●2017年JRPS代議員会特別講演
 〜患者にとっての臨床試験の意味を問い直そう〜

会長 佐々木裕二 

 去る6月3日、JRPS代議員会の冒頭で、東京大学医科学研究所の武藤 香織(むとう かおり)先生の講演がありました。
 臨床試験が目前に迫ったRPの再生医療に関して、患者として私たちが知っておかなければならない重要な事柄でした。以下その要約を報告させていただきます。(文責:佐々木 裕二)


1.臨床試験とは何か? 私たちはどう向き合うべきか
 いよいよヒトiPS由来の臨床研究で、この網膜色素変性症が対照となる時期が近づいてきました。そこで臨床試験とは何か? 試験に臨む患者の義務と権利とは何か? 再生医療を取り巻く環境などについてお話しします。

@臨床試験とは何か?
 治験、臨床試験、臨床研究の違いが分かりますか? 似たような内容で三種類もあるのは日本だけです。海外では通常、クリニカルトライアルと呼ばれています。また、この3つと治療が違うことは分かりますか? 治療というのは、色んな実験をして、その効能と副作用が国としても妥当な範囲に納まっていて、国民に、患者に治療法として届けて良いということが決まっているものです。医薬品と医療機器があります。
 臨床研究、臨床試験、治験は、その治療法を作るまでの段階にやらなければならないことです。
 治験とは、「医薬品医療機器等法(以前の薬事法)」で監督されている人を対象とした研究のことで、いよいよこれで国の許可さえ取れば販売できるという、最終段階の実験のことです。
 臨床試験というのは、人に対して試してみる、飲んでもらう、付けてもらう、割り付けると言って、二つの群に分けて新しい薬候補を飲む群と、今までの薬を飲む群に分けてやる。というようなタイプの研究のことです。
 臨床研究はもっと幅が広いもので、人に対して行うものもあれば、血液とか皮膚とかカルテ情報とかを使う、基礎的研究を含めて研究全般を言います。
 図に書くと、一番外側に臨床研究があって、その内側に臨床試験があって、そのトップ、一番医療に近いのが治験です。これを分かって使い分けている人とそうでない人がいるので、お気をつけいただきたいと思います。今日は海外にあわせて臨床試験という言葉に統一して話します。

A臨床試験の目的
 研究対象者の同意をいただいた上で、まだ開発途上にある治療法を試しに実施して、一定期間観察して厳格な条件の下でデータを蓄積して、客観的な評価を行うことです。やることは治療に似ていますが、メインの目的はその人を治すことではなく、データをいただいて今やっている行為が意味があるかどうかを確認することです。
 データを提供するというのが患者さんの大事な仕事で、私のデータを使って、新しい医薬品や医療機器の開発に役立ててもらいたいと思う人が、協力するものです。

B患者の義務と権利
 臨床試験に参加するという患者さんには、とても大事な権利として、インフォームドコンセント(充分な説明を受けた上での同意)があります。臨床試験のそれは、データを集めるためにあなたに協力して欲しいという依頼です。なので断ってもいいし、一度同意しても撤回することができます。試験に参加してくれるよう依頼があった時は、納得して参加してもいいし、今回はやめときますという判断も全く問題ありません。
 ただ、今回のiPS細胞由来の再生医療のように、新聞にもテレビにも報道されるというような臨床試験に参加することになると、一例目二例目の方などプレッシャーがかかります。もし皆さんの仲間、あるいは皆さんご自身が声をかけられた時には、温かく見守るというか、どういうスタンスで見守ればいいのかご議論いただきたいなと思います。

 私の知っている遺伝子治療ではこんな事がありました。それは安全性を確認する試験で、ご本人のメリットは一切ない、このデータが仲間のためになればという気持で参加をされました。途中で、日本代表として頑張ってくれよとか、患者会からも何とかさんを送り出す会が催されて、帰ってきたら報告会をして下さい。みたいな話になってもうすごいプレッシャーで押しつぶされそうになりました。実際途中でとても具合が悪くなって、ご本人は、みんなに約束したから頑張って耐えてやってこなければと思ったんだけれども、いやいやそんなに体調が悪いんだったら、同意撤回すべきじゃないですか。と病院のコーディネーターにすすめられて、そのかたは途中で同意撤回されました。だから同意撤回するというのは大事な権利なので、それを行使するのを我慢するほどのプレッシャーを、周りが与えないようにしなきゃいけないというのが、とても大切な核心的な治療の時のレッスンなのかなと思います。
 似た話でとても悲しかった事件は、まだ日本で臓器移植が盛んでない時に、ある患者さんが外国で肝臓移植を受けた。その時にテレビが募金の協力をしてくれ、町内会が、ライオンズクラブが、同窓会とか色んな人たちが集まってくれて、ものすごいたくさんのお金があっという間に集まった。そのかたは頑張って記者会見も乗り越え移植を終わって帰ってきたんですけども、今度は帰ってきたら、あの人は募金でいったのにビールを飲んでいたとか、軽自動車を買い換えたけれども、何の金で買い換えたのかとかという苦情が殺到して、その都度弁明をしていましたが、最終的にアル中になって自殺をしてしまいました。
 今のは渡航移植の話しなので、iPSの試験とはちょっと違う話ですけれども、でも注目をしすぎないということはとても大事なことです。そのためには報道というのはとても大事なことです。それによってご本人を傷つけたりデータも歪んじゃう可能性があるからなのです。
 本来、医薬品や医療機器の臨床試験の時には、客観的な評価が終了するまでは、一切の情報は公開しないのが原則です。特に治験においては、かなり徹底して色んな箝口令が敷かれて行われています。それは秘密にしたいのではなくて、データが偏ったり歪んだりする原因になるからというのが一番大きな理由です。それは多くの場合、投与している医者も参加している人も、どっちの薬を飲んでいるかは知らない。ランダム化比較試験というのですけども、そういうやり方で行うのも知っちゃうと、「私、新薬飲んでいるのかしら」と思った瞬間に治る人とかいるから、思い込みで体調が良くなるのを排除したいので言わないのです。そのかわり確かに秘密主義に陥ってはならないので、臨床試験の概要は、研究開始前にデータベースに登録するということになっており、また、色んな委員会が設置されていて監視が行われています。


2.報道の在り方について
 なんですけども、マスコミの人が知りたいことは、研究者の思いとか研究のルールとは異なっています。自家移植の一例目の時は、一人投与しました。というだけでその日に記者会見が行われ、iPS細胞無事成功。っていう見出しで記者会見の様子がテレビでは流れていました。また、色んな人たちの応援とか励まし、感謝のコメント、街の声みたいなのがずーと流れていきました。
 私たちからすると、たった一例、しかも細胞入れたその日だけに関して注目して報道することに、何の意味があるのか。と思うわけです。もちろんその患者さんがその日無事に過ごされたと言うことはとても大事なことです。ですけれども問題なのはそこから先で、投与された細胞がちゃんと生着していく期間であるとか、その人に有害事象が起きないことなんかがずっと大事なんですけども、報道する人たちが主張する国民が知りたいニュースと、臨床試験を実施したり、支援している我々から見て大事なニュースの価値観が全然違うんです。
 iPSの自家移植の一例目の報道を見ていて思ったのは、昔、脳死臓器移植の一例目の時は、脳死判定をしている病院の前で生中継していました。死ぬのを待っているみたいな中継が行われていました。さすがにそれは後でたくさんの批判がでて、患者さんのプライバシーは守りましょう、ということになりました。その頃よりはましになったけども、やっぱり自家移植の一例目の時は落胆をしました。高橋政代先生も大変だったと振り返っておられます。

 そこで他家移植に関しては、昨年の6月に開始しますと会見をされた時に、これについては手術日を含めて一切公表しません。とその時点ではおっしゃっていました。我々もそうして欲しいと言いました。その後記者さんの不満が続出して、何故言わないのかということになった訳です。
 3月21日に、高橋政代先生と手術を行う病院の先生、たくさんの記者の前で倫理の人の意見はこうです、というのを説明しました。私たちとしては、研究として重要な試験なので、安心して被験者さんと研究が行えるようにして欲しいと言ったんですけども、色んな反論が出て、結局記者会見をしなければ、当日までに病院に押しかけることになりますけどもいいんですかとか、協定を結んで報道しないのは、誘拐事件だけですとか、関係者が多いからあなたが喋らなくても、他の人突けば喋りますよ。とか言われ、結局どういう落としどころに落ち着いたかというと、正確な話しを伝えていただくことが良いのじゃないかということで、実際にはその日、3月28日に会見をされました。
 高橋先生としては、手術日公開の同意が得られたとしても、患者の性別、年代の情報は出したくないとおっしゃっていましたが、やはり手術日に加えて、患者さんの性別や年代、在住都道府県の情報が必要とのことで、同意を得ることになりました。
 これ以降の手術日、その後の患者さんの経過、全部で5例募集する予定ですけれども、5例の人たちの手術日とか経過は一切公開しないとおっしゃった。これについては時事通信とかフジテレビでは、「しばらく公表はされない予定です。」というところまで含めて報道はしていたので、一応飲んで受け入れたのかも知れません。
 私としては、手術日と疾患名、在住県、年代でほぼ個人が特定される病気もあるので、それをルールにするって事には今でも非常に違和感があります。ですので患者さんのほうから、臨床試験の在り方と言うことに関して、色んな意見、提言は出していっていただきたいと思っています。


3.意見を求められる時代
 今年が患者さんの臨床試験参画の元年になります。と話しましたけども、実は日本以外の多くの国では、臨床試験を実施する時に、患者がこの臨床試験を歓迎しているかどうか、意見が取り入れられているかどうか、必ず聞かなければならないというルールがあります。それは臨床試験全体が始まる前の段階、デザインを検討している段階、始めるにあたってのインフォームドコンセントの中身であったり、試験が終了した後の結果報告であったり、とにかく研究の色んな場面場面、段階段階で患者さんに意見を聞く、というのが欧州やアメリカでのルールです。
 日本では今年からそれがやっと検討されるという段階になります。具体的には今年の夏頃に、先程のAMED(日本医療研究開発機構)という厚労省、経産省、文科省の医薬品、医療機器開発の研究費の大半がそこから配られているんですけども、そこに「患者・市民参画委員会」というのができます。ですので、患者さんから見て望ましい臨床試験のやり方、あるいは意見の言い方、そして結果をどういう形で自分たちに還元されるのかと言うことについては、その委員会を通じて、今から1年か2年かけて検討していく予定です。その検討が終わると、今度はAMEDが研究費を渡して行くんですけども、患者の意見を聞いたのかという欄を作ることになると思います。
 たぶんJRPSさん始め、以前から研究開発に熱心に関心を持っておられた患者会のご意見というのは、とても重視されていくと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。


4.遺伝情報に基づく差別を禁止する法律について
 「遺伝情報に基づく差別を禁止する法律」が、アメリカ、カナダ、ドイツ、韓国にもありますが、日本にはないんです。ないまま、ゲノム医療とか遺伝子検査はどんどん盛んになってきていて、これで本当にいいんですか?と言い続けてきて、やっと去年それの研究班ができて、どういう形で日本に定着させるかという研究をやりました。
 遺伝性疾患の方々にどういう経験をされましたか?という話を聞くと、なかなかひどい目にあっておられます。結婚とか妊娠という非常にプライベートな出来事に対して、あなたの家は遺伝病なんじゃないんですか?染色体検査をやりなさいと言われたりして、私人間での遺伝情報差別みたいなことは、結構根深いものがあるということが分かりました。
 一人ひとりの遺伝情報の多様性を尊重して、遺伝的な特徴に基づいて差別をしないということについて、法律理念を打つということは是非やって欲しい。人に遺伝子検査を受けることを頼んだり、その結果を提出させたり、買ったりするということは、欧州でもアメリカでも韓国でも禁止されています。それが今日本で自由にできちゃうことについては危機感を持っています。ですので10何年も議論は遅れましたけども、もう日本でも議論を再開したいと思っています。
 臨床試験をする時には、ゲノムのデータを解析に回すというのは基本的な作業になりますので、そこにおいても皆さんに安心して参加して欲しいというところがあって、最期に申し上げた次第です。


●最期にまとめとして、お一人お一人が臨床試験にどう係わるかということを考える上で、注意点を5つだけ申し上げて終わりたいと思います。

@強制力が働かない環境で、一人ひとりが自由に意志決定する環境作りをどうするか考える。インフォームドコンセントに関しては、一人ひとりが本当に自由に意志決定する。

A一度やります、参加しますと言ってもやめて良い。これは国の指針でも理由は問われないと書かれています。同意書にサインをしたとしてもやめて良い。そのことを周りの人も知っておく事が大事で、「何でやめたんだよ」と言うことを言わないでほしい。

B臨床試験の途中で健康に異常がある時には、研究者はいつでも中断する必要があるし、中止になった場合でも、健康状態を取り戻すケアをすることになっています。被験者自身がやめたくなくても、検査値を見て来月から来ないでいいです。と言われることがあります。
 多くの場合、医学的理由で中断になった被験者の方は心の底から落胆して、自分なんて役に立たない人間なんだみたいなことを言ったりするんですけども、そうではなくて、そのデータを提供して下さったことが大事、それだけで貴いことなので、まずは健康を取り戻すことは当然のことだということです

Cただし被験者としてその研究に参加し続ける時は、決められた回数の通院や生活上の指示、ルールとか制限が結構あるので、頑張って守って欲しい。入ったからには、正確なデータを出すために努力はしていただきたい。とても守れないと思ったら、途中でやめるということをむしろ決めていただいた方がいいのかもしれません。

D被験者になった人は、自分が参加した研究の進み具合とか、結局その薬は販売されたのですかとか、そういうことは聞く権利があって、どんどん質問していい。それは皆さんが社会貢献したので聞いていいことです。
 聞いた時に、実はあなたはプラセボ群だったと言われるかも知れないし、その薬は承認がおりませんでしたということもあるかも知れません。でもその都度あまり落胆しないで欲しい。プラセボ群だったと言うことは、プラセボの正しいデータを提供した、そのお陰で試験が成り立ったと言うことなので、本当にありがとうございますと言うことですし、最終的に世に出なかったということは、世の中に迷惑をかけなかったということですので大事なことなんです。データを集めたって事が目標だし、いいデータを出せたって事が狙いなので、それに皆さんが関わったこと、それ自体がとても貴いんだということで、誇りに思っていただきたいと思います。
 以上です。