●医療講演会の報告

佐々木裕二

 総会に引き続き医療講演会が行われ、昨年同様会場は約80名の入場者でほぼ満員となりました。

 講演は埼玉医大の森圭介先生により「網膜色素変性研究の現状と諸問題」と題して行われ、その後高野雅彦先生を座長として質疑応答が行われました。以下その要旨をお伝えいたします。

「網膜色素変性研究の現状と諸問題」

・ 過去の眼科医療は感染症に対する内科的治療がほとんどでした。現在は外科的治療が主体で、将来は遺伝子医療(ゲノム創薬、再生医療、遺伝子治療)、人工臓器が発展してゆくことが期待されています。現実に加齢性黄班変性に対してゲノム創薬による薬が使えるようになり、現在の外科的治療から遺伝子医療による内科的治療に確実に移行しつつあると言えます。

・ 眼科領域における遺伝子治療は2005年暮れから今年にかけて相次いで行われました。一つは網膜細胞腫(目の腫瘍)に対する遺伝子治療が2005年11月に論文で報告されました。実際に始まったのは1999年だと思います。我々のグループは加齢性黄班変性に対する報告を2006年2月に行いました。また、レーベル先天盲という網膜の変性疾患で異常遺伝子がRP65という網膜色素変性と同じ場所の遺伝子治療が、今年5月2日にイギリスで行われました。特にJRPSの皆さんにとっては、最後のレーベル先天盲に対する遺伝子治療が進んだということはかなり大きなニュースだと思います。

・ 網膜色素変性の研究は昭和の時代から行われていましたが、現実的に病態がとらえられたのは1990年にロドプシン遺伝子の異常が発見されてからです。ですから近代眼科医療の歴史が100年としても、網膜色素変性の研究が本当の意味で始まったのは17年前であるということになります。その17年の間に130以上の原因遺伝子が発見されています。これはかなりのスピードで進んでいると言えますが、治す方から考えると原因遺伝子が多いと言うことはマイナスの要素です。というのは、それぞれの遺伝子に対して導入ベクターや遺伝子、あるいはブロックする遺伝子がそれだけの数必要となるわけで、手数がかかると言うことです。ということから網膜色素変性は単一疾患でなく様々な遺伝子による複合疾患であり原因遺伝子を修復する遺伝子治療は、現状では大変申し上げにくいんですが、困難であると言えます。

・ 他にどういった治療法があるかと言いますと、人工眼、カメラの映像を脳に送る方法で、これも既に何例か人に応用されています。また、再生医療は変性した視細胞・色素上皮細胞を再生させる方法で新しい細胞を移植するという方法です。また、遺伝子治療は原因遺伝子を修復する究極の治療法ですが現時点では難しいとしか言えませんが、神経保護による進行抑制は現在の技術でも可能となってきています。

・ 遺伝子治療のスタートは異常遺伝子を修復して治すということですが、色素変性は非常に沢山の原因遺伝子があるということで物理的に大変膨大な作業であり多くのお金と人手と時間がかかると考えられます。この辺が大変大きな問題です。

・ もう一つは、薬となるような物、治療効果のあるタンパクを発現する遺伝子をそこの細胞に導入することによって組織そのものが治療薬を生産する工場のような物にする方法があります。網膜色素変性の場合は神経が変性して死んでしまうのが原因ですから、その死んでいくのをストップさせる作用のあるタンパクを導入することになります。要するに薬を目の中に一生注入し続けることはできませんので、目玉の中でその薬を作らせてしまおうという考えです。それは、我々が行っているアデノウイルスベクターによるPDFというものを発現させる方法ですし、九州大学でも行われています。

・ 遺伝子というのは遺伝情報の単位で細胞の核の中にあるDNAというものに入っている情報のことです。これがメッセンジャーRNAに写し取られて核の外に出てリボゾームと言うところでタンパクが作られます。ここの部分で神経保護作用のある遺伝子を組み込んでしまえば、メッセンジャーRNAがそれを転写してリボゾームで神経保護作用のあるタンパクを作ることができます。そうすると細胞自身が治療薬を作ることができるということになります。

・ どうやって遺伝子を核の中に導入するかというと、ウイルスを使います。ウイルスは簡単に人の核の中に入って遺伝子を置いてくると言うことをします。我々はアデノウイルスから遺伝子を取り出して、病気を起こすような遺伝子とウイルス自身が増殖するのに必要な遺伝子を取り除きます。そこに治療となるような遺伝子を組み込みます。このウイルスベクターは体の中で増殖することができませんから、一旦細胞の核の中に必要な遺伝子を運んでいってくれた後は、死んでいってくれます。ということで病気を引き起こすことなく必要な遺伝子を網膜の中に移しこんでくれる。言わば、悪者をうまく飼い慣らして、良い遺伝子を運んでくれる者に変えていってしまうというのがウイルスベクターを治療に応用する時の考え方です。

・ 全く新しい治療法が認められるまでには相当の動物実験を経た後に三層の臨床試験が行われます。アメリカの黄班変性の第一層試験はアデノウイルスベクターの毒性の試験でしたが、一過性の虹彩炎と眼圧上昇が認められた他は重篤な症状はなく、かえって出血や浮腫が縮小したり、特に視力は末期であるにもかかわらず48%の症例で改善されて現在第二層の段階に入っています。この第一層の結果で視力の改善が見られたと言うことは予想以上の強い神経保護作用があるのではないかと言うことで、網膜色素変性の患者さんでも効果があるのではないかと九州大学の先生のグループが一生懸命やっています。

・ 今、日本は医学研究に関して風向きが悪くなっています。そのことを我々医者が世の中に向けて発信してゆかなければならない、世論を変えてゆかなければならない様な動きが出てきております。私が留学していたところでウイルスベクターのディレクターをしていた友人がいます。彼も私も高野先生も准教授で年齢的にも似ていますが、決定的に違うところがあります。私自身JRPSから助成金をいただいたこともあって何とかやっているんですけれども、平均的に私が年間使えるお金は120万円です。それに対しまして、彼は研究を立ち上げたばかりということもありまして年間1億円です。圧倒的な差がある。それから私が研究に割ける時間は一週間の内半日ですが、彼の場合は2日半から3日です。彼の場合は手術をしながら研究をしていますが、研究だけをしている人は一週間丸々使えます。研究室には研究助手というのが居るんですが私の所には居ません。彼の所は5〜8人です。日本の研究者はこういった少ない時間を何とか活用して自分の手もしくは共同研究の医局の若い先生達と実験をして居るんです。そうして何とか細々とでもアメリカに、世界に負けてなるものかと色々やろうとしているんですが、ここ2〜3年の医療環境の悪化でそのわずかな時間も奪われようとしているのが現状です。もちろん日本でもメジャーリーグ級の研究室もありますが、多くの研究者が難しい状態に直面してきているのは間違いないと思います。

・ GDPに対する医療費の割合はアメリカが1位、日本は18位です。G7では最下位です。一方G7の中で日本以外の6ヶ国の土木建築費の合計は28兆円、それに対し日本は一国で50兆円です。予算の割り振りがだいぶ違う。何でこんなお金の話をするかというと医療費が少なく抑えられると、何十人もの患者さんを抱えている病棟を担当する医者が少なかったり看護士さんが少なくなったりせざるを得ないわけです。また、資本投資自体も抑えなければなりません。そういった環境自体が医療費削減ということで悪くなってきてしまっている。そういう状況で研究をしようと思っても結局手数がどんどん減ってしまってやりにくい状況になってしまっています。

・ それだけでなく研究に携わるような大学病院は、新研修医制度により研究室に入ってくる研修医が激減している。それに加え、リスクの高い高度医療に携わる大学病院から沢山の勤務医が離れてしまっている。当然残っている医者は目の前の患者さんを救わなければなりませんから手もお金もそちらにかけなければならなくなっている現実があります。憂鬱な話ばかりで申し訳ありませんが、是非これは伝えなければならないと思いました。リスクの高い先進医療を担う病院ほど弱体化し日本の先進医療や研究は荒廃しつつあります。長い時間ありがとうございました。