ウッチャンの落書きストーリー

●ウッチャンどこへ行く。(後編)

横須賀市・内田 知

 JR品川駅の山手線ホームの階段を上がると、ウッチャンの位置から左が私鉄の乗り換え口。右がJRの別方面行きのホーム。ウッチャンは右へ向かった。そして、となりのホームへ。階段を示す点ブロを確認すると、そのまま下りずに、点ブロに沿って横切る。そして、手すりにつかまり階段を下りていった。下りるなら、横切らずに下りればいいのに、なんで面倒なことしたのか。ウッチャンの乗りたい電車は、そのホームの左側に着く電車。ホームで右から左へ移動するなら、初めから左側に下りればホームでの移動をしないで済む。

目的地はどこなのか

 ホームに降りると、左側へ回り込んで階段のヘリにへばりつくように立った。点ブロの位置までの距離はわからないが、着いた電車と平行に立っている事になる。後は、直進すれば点ブロを杖が教えてくれる。電車の到着を知らせる構内放送が流れ、ワンパターンの大きな深呼吸をして、(ヨシ)と気合いを入れて、耳をダンボにするウッチャン。電車が停車し、ドアの開く音を確かめながら数歩前へ。近いのは左だと判断して身体を点ブロに沿って進もうとした時、「こちらですよ」と声をかけられ右方向へ連れていかれる。思わず、「左のドア・・・」と声を上げると、「コッチの方が近いですから」と言われてしまったのだ。確かに、ほんの数歩で乗れたのである。手すりにつかまり、「左だと思ったんだけどなぁ」と、無事に乗れた事より、自分の思ったドアから乗れなかったのを悔しがるウッチャンだった。

 電車に揺られること約30分、目的の駅に到着。ホームに降りると数歩前に進み立ち止まったままジットしている。耳をダンボにしてドアの閉まるのを確認し、電車がホームを離れるのを待った。そして電車が離れた後、数歩戻って点ブロに沿って歩き出した。

 なぜジットしていたのか。もし、階段付近に下りたとすれば、駆け込み乗車する人もいる。杖に気が付かず足をひっかけられたら、ウッチャンよりひっかけた方が危ない。それに、ジットしていれば、降りた人たちの流れた方向が確かめられるし、後はその流れに向かって行けば、ホームを出るための階段はあるのだ。

 ところで、ここが目的地なのか?深呼吸して考える。ここではないようだ。ただ、利用しなれている駅らしく、スイスイと歩いてJRから私鉄へ乗り換え、私鉄の終点の駅へ。そこから、また乗り換える。

 乗り換えた電車に乗って二つ目の駅で降り、改札を出て駅構内から外へ。そして、(ヤッター!ゴールダァ)と心で叫び、「これで最後だろう」と、大きな深呼吸。ウッチャンがゴールと叫んだ場所は、小田急線本厚木駅。エッ?何だって?数時間前、ここから出発したんだよ。

ひらめいた「各駅停車の旅」

 それでは、ウッチャンの不思議な行動の謎解きをしますか。話は、数ヶ月前に遡る。ライトホーム退所間近のウッチャンに、「退所したらどうするの」と誰もが聞いてくる。ウッチャンの返事は一つ。「世間と言う大学に入学して、人間社会学を学ぶ」と答える。「なんだ、プータローじゃん」と必ず言われる。すると、「そこいらのプータローと一緒にすんな。おれのはレベルが違う」と言い返していた。

 世間と言う大学ならば世間と関わり、いろんな体験や経験をしなければならない。そんな学生生活を始めた頃。たまたまテレビをつけた時、「各駅停車の旅」という番組がやっていた。番組を見ながら、(これだぁ、おれも各駅停車の旅をしよう)とひらめいてしまったウッチャン。しかし、やればできると言うチャレンジ精神はウッチャンにはない。あくまでも記憶をたどり、乗り換えの方向、駅構内がどうなっているか思い出せる駅を折り返し地点にして利用したことのある路線を使って戻ってくる。駅から駅の移動も、それだけでもいろんな体験はできるし出会いもある(ウーン!身を以って学ぶ。これぞ人間社会学)。何を自慢げに語っているのか、それも誰も居ない部屋で……。

 とにかく、思いついたら吉日と、乗り換えをする駅に電話して、自分の記憶通りなのか確認した。そしてまずは肩慣らしと、歩行訓練で覚えたコースを何回か通ってみた。(なんとかなるべぇ)と、適当な自信がついてきたところで、(ヨシ、やってやる)となったのだ。

 コースは、本厚木から新宿へ、JRに乗り換え品川。ここで折り返し京浜東北線に乗って横浜、横浜から相鉄線で海老名へ。ここで小田急線に乗り換え本厚木。このコースの旅は、3回のチャレンジが必要だった。1回目と2回目は、新宿駅の小田急からJRに向かう途中で、ありとあらゆる方向へ流れる人の多さにビビッてしまい、冷静さをなくしてしまった。たまたま、声をかけてくれた駅員や親切な人に助けを求め、本厚木に逆戻り。足がすくむほどのコワイ思いをしたり、危険な目に会っていたら3回もやりはしない。落ち着いて行動すれば、援助を求めて誘導してもらえればできたはずなのである。

たくさんの落書きストーリーが生まれた

 技術が未熟ならあきらめる。しかしそうではない。ライトホームの歩行訓練の指導をしてくれた職員の言葉が蘇る。「できないことをできるようにするのでなく、できることをできるように教えているだけ、自分の力を過信してはいけない。冷静になって行動すれば、白杖が内田さんを守ってくれる。今の内田さんは、それだけの技術を身につけているんだよ」

 言葉のすべてがウッチャンの心を刺す。このままでは終われない。「3度目の正直、仏の顔も3度まで」なんて例えもある。まだ1回ある。3回目のチャレンジで何とかやれた後、月に2回のペースで、自分の考えたコースを実践していった。

 ただし、朝夕の通勤ラッシュにもまれ、毎日が危険と隣り合わせの生活をしている視覚障害者の人達に比べれば、ウッチャンの体験など子供の遊び。「おまえは、気楽でいいよ」と、言われたら返す言葉はない。ただ、あまりきついツッコミはしないであげてほしい。なぜなら、この各駅停車の旅の中から、たくさんの落書きストーリーが生まれたのだから……。