横須賀市・内田 知
ある日の夕方、妹と甥の勇気がひょっこり尋ねてきた。そして、ウッチャンを呼ぶ妹。それに促されるように部屋を出ると、勇気と並んでと指示をする。意味もわからず勇気の隣に並ぶと、何かに感激したかのような声を上げながら、今度は母親を呼んだ。何事かと居間から出てくる母親に、並んで立っている二人を見るように言う妹。そして、二人の方向に眼をやると、妹に負けないほどの声で「アリャマァ」の声を上げたのである。
何がなんだかさっぱりわからないウッチャンは、勇気に「なんなんだ。どうしたってんだよ」と聞くと、妙な含み笑いをしながら「お兄ちゃんとおれの背が同じぐらいなんだよ」と答えたのだ。これにはウッチャンもビックリ!「なんだって」と声を上げて、並んでいる勇気の肩の位置を確かめた。すると、ほぼ同じだったのである。
「中学生のくせに、おれの身長と同じになるとは生意気な」とウッチャンの言葉に、「そんなこと言われてもなぁ」の一言。それに、「ウルヘェ、おれより高くなったら承知しねぇぞ。これ以上伸びないようにこうしてヤルー」と、勇気の頭を軽く叩く。これに負けじと、背伸びをして「もう、おれの方が高いもんね」と笑いながら言い返す勇気。
なんとこの時、妹と勇気は、ウッチャンと背の高さが同じかどうかを確かめるだけのためにやって来たのであった。二人が帰る際、それを聞かされたウッチャンが、ツッコミの言葉を連発したのは言うまでもない。
さて、二人が帰り、騒々しい時間が過ぎて、静かな時間が流れ始めた頃、ウッチャンは、過去の記憶を辿りながら焼酎を飲んでいた。何に思いをはせていたのか。それは、勇気の成長の記憶だった。
いつも、手をつないで歩いてくれる母親が、ある人間が現れるとその人間の手を引いて歩く。どんなに泣き叫んでも手をつないでくれない。その頃の勇気にとって、最大の敵は俺だったかもしれない。
「外に出たら、お兄ちゃんを守るんだぞ」
しかし、物心もついて、自我に目覚めはじめた頃、誰かの手助けが必要な人間であり、自分が何とかしてやろうと考えて行動するようになった。家族の誰よりも早く、おれのそばに来て、手をつなぐ勇気。読めない漢字を飛ばしながら絵本を読んでくれた勇気。おれの指を持って、形に合わせてなぞりながらドラえもんを説明してくれた勇気。音声信号機を、お兄ちゃんの信号機だと叫んだ勇気。
弟の元気に、外に出たら、おれたちでお兄ちゃんを守るんだぞと命令していた勇気。公園で、拾ってきたボウッキレを、振りまわして遊ぶのかと思いきや白杖をつくマネをして歩きまわり、「お兄ちゃんみたいにうまくいかない」と言って首をかしげていた勇気。
小学3年になった時、「おれがついて行ってあげる」と、横須賀から厚木までの小さな冒険の旅をした。往復3時間。電車の乗り換えはあるし、バスを乗りついでの1日がかりの旅。ましてや、行く先は、初めての場所。帰りの電車内では、おれに寄りかかって熟睡していた勇気。
ただ、周りの大人のマネをしたくて、おれの世話をやいていた幼い頃。自分なりの知恵でおれを助けてくれるようになった小学生の頃。今では、おれの横に座って、パソコンの操作を助けるだけではなく変換した漢字の間違いを指摘するようにまでなった現在の勇気。
(おれにとって、頼りになる存在になったのは、いつのころかなぁ)と思いながら、ホロ酔いのウッチャンの記憶は、過去の時間を行ったり来たりしていた。どのくらいの時間が過ぎたのだろう。ふと我に返り、グラスに残っている焼酎を飲み干すと、信仰心などほとんどないウッチャンが、何かに願いを込めるがごとくつぶやいた。(勇気、元気。お前たちはおれと同じ病気にはなるなよ)と……。