横須賀市・内田 知
2010年は、胆石と胆嚢(たんのう)の摘出手術から始まったウッチャン。約半月の入院後、自宅療養していた。そんな中、ウッチャンにとって、身体の痛み以上の悲しみを味わわなければならない日が来るのである。それは3月に入り、傷口の痛みも弱まり始めたある日に起きた。
電話が鳴り、受話器をとったウッチャン。電話の相手は、親戚のお姉さん、ウッチャンの従姉にあたる人である。「モシモシ」の言葉に、「サトル・・」とあまりに沈んだ声。これに、「おねえちゃん、どうしたの」と問いかける。返って来た言葉は、「おじちゃん、死んじゃった」だった。
自分の耳を疑いたくなる返事に聞き返す勇気が出ない。すぐさま、「おねえちゃんから・・」と、母親に受話器を渡すと、自分の部屋へ。何も知らないで受話器を受け取った母親の驚きの声と涙声が聞こえて来る。ウッチャンは、携帯を手にとり、今を伝えるために、妹に電話した。この時、冷静に出来る事は、これくらいだったのである。
なぜ?どうして? ただ自問自答を繰り返す。どれくらい時間がたったのだろう。母親に、声をかけられ我に返る。そして、おじさんの家へ。玄関を入り、合掌した後、おじさんの枕元に座らせてもらった。
ウッチャンの横にはお姉さん、ウッチャンの手をにぎって、「お父さん、サトルが来てくれたよ」と一言。涙を堪えながら声を震わせ、おじさんの姿を説明してくれる。その言葉に、ウッチャンはうなずく事しかできない。言葉を発したら冷静でいられなくなる自分を感じていた。
そんな気持ちの中、お姉さんが何かを思いだしたように「おじちゃんは、ここにいるんだよ」と、ウッチャンにおじさんをふれさせてくれたのである。冷たくなってしまった身体、その感触が手に伝わる。受け入れたくない現実が手の中にある。がまんできるのもここまでと、「おねえちゃん、泣いてもいい、ごめんね、おねえちゃんががまんしてるのに・・」。この言葉に、だまってウッチャンの手をやさしくなでるお姉さんだった。
この後、ウッチャンは声を上げて泣いた。2度と会えない別れは何度と泣く経験して来た。泣いて別れを惜しんだ事もある。がしかし、ウッチャンにとって、これほどの悲しい別れはなかった。声を上げ泣くウッチャン。息が苦しくなって咳き込む。それでも声を上げて泣き続ける。
ウッチャンをここまで悲しみの底に沈めるほどのおじさんとはどんな人なのだろうか。
苦労覚悟で移り住んできた若い二人
その人の名は、市川佑助(いちかわゆうすけ)。将棋が強くて釣りが大好き、優しいくせに亭主関白ぶる。そして、仕事には厳しい職人堅気の大工さん。初めて会ったのは、ウッチャンがおもいきり子供の頃。お姉さんとの結婚を期に大工として独立を決意。そして、一国一城の主として生きると決めた場所が、横須賀の地だった。頼れる者はいない。自分が、大工である事を誰も知らない。すべてがゼロからのスタート。世間で言われる新婚生活を楽しむ暇もなく働くおじさんとお姉さん。そんな二人を見て、黙っていられないのが、親戚のおばさん。苦労覚悟で移り住んできた二人を励ますウッチャンの母親だったのである。
だが、若い二人を頼りにしていた感もある。それは、誰も頼れない地に移り住んで、自分の腕一本で勝負してやると決める根性を持ったおじさんが、頼れる存在にならないワケがない。
さて、若い二人は、仲良く犬も食わない夫婦ゲンカを繰り返しながらの生活。年月を一つ又一つと重ねて行く度におじさんの努力が実っていく。そして、一人、二人、三人と、家族も増えていった。遠い親戚より近くの他人なんて言葉があるが、二つの家族はおもいきり近い親戚同士として30年以上の長きに渡りつき合いは続いた。
年月は流れ、おじさんとお姉さんは孫達に囲まれ、おじいさん・おばあさんと呼ばれるようになっていた。その頃のウッチャンは、RPの発症によってもがき苦しむ生活を送っていた。完全に心が折れてしまっていたかも知れない。目の前にある物が、見えているのか見えないのかを理解する力をも失いかけていた。そんな時期に、久しぶりにおじさんと会った。母親から、ウッチャンの状態を聞いてはいたが、病気にかかった本人に会うのは、その時がおじさんも初めてだった。
恐る恐る尋ねるおじさん「おじちゃんの顔わかるか」、ウッチャン「わかんない」、おじさん「治らんのか」、ウッチャン「だめみたい」
おじさんの言葉に突き動かされ一大決心
ここまで話した後、おじさんはだまって、何かを思いめぐらすように考えて、ウッチャンに話しかけた。「ワシが助けたる。サトル、おじちゃんが助けたる。困った事があったら言ってこい」。この言葉に「おじちゃん、ありがとう」と返事をしたウッチャンだった。
どこか、恥ずかしそうにテレながらの言葉。自分の気持ちをうまく言えないもどかしさ。だからストレートな言葉しかでない。しかし、おじさんの思いがウッチャンに響く。毎日が苦痛の日々、もう耐えられるのも限界だった。
(今なら間に合う、なんとかしなければ)と、やっと思い始めた時のおじさんの言葉に、ウッチャンの小さな脳みそは動き始めた。
(今の俺は、迷子になって泣きじゃくっている子供と同じ、親切な人が声をかけてくれる。しかし、泣くばかりで、なんとかしようとする問いかけに答えなければ迷子のまま。こんな俺をおじちゃんは助けてくれるだろうか。泣きじゃくる子供に、泣きやめと言いたくなるように、サトルしっかりしろと言われるだろう。これから先、おじちゃんに助けてもらうばかりだろう。かと言って、今のままではいけない。同じ助けてもらうにしても、せめて後は、任せろと言ってもらえるだけの事はできるようにならなければ)
この思いに達したウッチャンはライトホームへ入所。退所後、母親の心配を押し切って一人暮らしを始める。約8年間の厚木での生活から横須賀に戻った年明けのお正月、おじさんとの久しぶりの再開。おじさん「サトル、やっと戻ったか。長かったなぁ」、ウッチャン「ウン、でももう少しがんばりたかった。覚えたいことあったから」。そして、少しの間の後。おじさん「やりたい事は、やろうと想えばここでもできる。ただ無理はするな。こまったら電話するんだぞ」。その言葉にうなずく。ウッチャンには、おじさんの気持ちは十分伝わっていた。
さて、厚木から戻ってから、ウッチャンは不思議な事に気がつく。それは、体調を崩しやすい母親が、具合が悪くなると、お姉さんが「夕飯のおかずに」とか、色々何かを持って、なぜか訪ねて来る。そして、寝込んでいる母親を見て、あれこれ世話をして帰って行くのだ。この偶然があまりに多い。
ある時、訪ねてきてくれたお姉さんに不思議な偶然の多さを話した。すると、「そうかなぁ」の返事。「この間も・・」と話すと「そうだったっけ」と言う。そして、「それよりも、おじさんが釣れた魚を持っていけだの、あれを持っていけとか、コレを持っていけとか突然言い出す。こっちの都合なんかお構いなしで言うんだから、ハラたつのよねぇ」と笑いながら話すお姉さん。(おれが、不思議だなぁと思っていた事は、不思議でもなんでもなく、おれたち家族を思っていてくれるおじちゃんとおねえちゃんだから、あって当たり前の事なんだ)と、おねえちゃんの笑い声を聞きながら思うウッチャンだった。
ところで、ここ数年年齢のせいなのか、ウッチャンの母親が体調を崩す事が多くなっている。そして、体調を崩したではすまない事が、ついに起きたのです。母親が突然倒れて、妹が子供二人を連れて、1ヶ月近く泊まり込んだり、10日近く入院したりとたいへんな日々を経験した。この時は、さすがに自力で何とかするには無理と判断して、おじさんに助けを求めたのである。もちろん、おじさんもお姉さんもすぐに来てくれた。そして、ウッチャンと妹の手助けをしてくれたのである。
ちょっとばかりたいへんな日々が終わり、元気になった母親が、いつもは自分がやっている事をウッチャンがしてくれていたとおじさんに話す。帰り際に、おじさんは「やるなぁ、サトル」と一言。この後、少し間があって「これからも何かあったら電話するんだぞ」の言葉を残して帰って言った。
(自分には、おじちゃんとおねえちゃんを助ける力はない。それでも、泣きじゃくる迷子のように自分の名前も言えない、そんな生き方はいやだ)。不器用だけど、思いがこもったおじさんのあの言葉から「自分の心の弱さと戦う勇気」がウッチャンの中に生まれた。何もせずできないと思い、自分の無力さに嘆き、自分を責める。どうせ自分を責めるなら、無力なのか試してからでも遅くはない。
思いを心に刻み込み生きる
おじさんの出棺の時、家族を代表して長男の大介君が挨拶をした。その中に、父親に、頼る人もいない所で仕事をしてこられたのは、多くの人に助けられ支えられて来たからだとよく聞かされた、との言葉があった。ここで勝負すると決めたおじさんも決して強い人間ではない。お姉さんに弱音を吐いた事もあっただろう。不安をお酒の力を借りてうち消そうとした事もあったかもしれない。
大波小波の人生を生きた。探せばどこにでもいる大工さん。だが、ウッチャンにとっては、自分を見失わず、何をすべきかを考える。そんな余裕を日々の中に与えてくれたおじさん。あの時からおじさんは、おれを助け続けてくれたのかもしれないと想うウッチャンだった。
今、おれは多くの仲間に支えられ日々を生きている。見て見ぬフリをされず、しょうがないなぁと助けられて生きて来られた。だからこそ、助けてくれと叫ぶ前に、おれにはやらなければいけない事がある。自分の心の弱さと向き合う勇気。この思いをウッチャンは心に刻み込む。おじさんの名と共に。
去りゆく人と残されし人の間に、大きく深い川がある。川は優しく静かに流れている。なれど、流れゆく水の音は、悲しいメロディーを奏でる。この川の源が、残されし人のほほをつたう涙の一滴であるかのように。