お騒がせミステリー ウッチャン失踪事件(パート4)

●必殺ひまつぶし人

 佐山が帰った後、すぐさま母親に電話する内田。しかし、プッシュボタンを押そうとした瞬間、何を思ったのか受話器を置いてしまったのである。なぜためらったのか。理由は一つ、自分の声を聞いた母親がどうなるか、何を言われるのかを想像したら怖くなったのだ。(チョット待て、まずは一服)と、タバコに火をつけ、どう言い訳するか、考え始めたのである。しかし、言い訳は言い訳、ごまかしでしかない。この手の事は性分なのか、できない内田は、ためらっていてもしょうがないと受話器をとって電話したのである。

 電話の通信音が2回するかしないかで受話器を取る音がした。その早さにあわてながらも、「モシモシ、おれ・・」と声を発すると、何かを確認するかのように「お兄ちゃん・・」の母親の声。「ウン」とこたえる内田。その「ウン」の声を聞いたとたん、母親の「どこへ行ってたの。何をしてたの」と震えるような声で、心配していた事を訴え始めた。

 こうなると、母親の言う事を黙って聞くしかない。落ち着いて話しを聞いてもらえるようになるのを待つしかなかった。そして、5分ほどたって、ようやく落ち着いてきた母親に電話が通じなかったワケを説明したのである。

 話し終えて電話を切った。ホットしたのか大きなため息をつきながら(とにかく、一件落着だなぁ)と想っていた。だが、終わったと思っていたのは本人だけ。一人二人ではない「必殺ひまつぶし人」の攻撃が数日後にあるとは知るよしもない内田だった。

 ライトホームを退所はしたが、通いで盲人用ワープロの指導を受けていた。母親に心配かけた日から2日後、ライトホームに向かうバスの中にいた。バスがリハビリセンターに到着。正面玄関を入り、エレベーターホールを横切り、ライトホームのある建物へ向かう渡り廊下を進んで行く。しばらく行くと、ワイワイガヤガヤと会話しているのが正面から聞こえてくる。ライトホームのある建物の入り口である。

 いつもなら、内田に気づいた車椅子軍団が「オハヨー」と声をかけてくる。それに、「まいど!オハヨーサン」と、内田が応える。だが、その日は違っていた。雑談をしていた車椅子の集団の一人が、内田を見かけると、「ウッチャンだ」と叫んだ。すると、少し離れた場所にいたヤマチャンが「ナニ!ホントカ」と、車いすを走らせやってきた。正面から歩いて来る内田を見て、「ウッチャン、心配してたよぅ。大変だったんだからぁ」と内田に向かって叫んだのである。

 その声を聞きながら前に進む内田。何を言っているのかわからないまま、ヤマチャンの前で立ち止まり、「ウッセィナー。何かあったのか。だいたいお前らに心配してもらうような事してないぞ」と言った。この言葉に、ヤマチャンがキレた。「何言ってんだよ。そんじゃぁ、おとといどこに行ってたんだよ」と言い返した。これに、「おとといは、ここに来てたんじゃんか」と内田も強気の一言。「そんな事はわかってらぁ。帰った後だよ、帰った後の事言ってんだよ」と言い返すヤマチャン。

 「アパートに、おとなしく帰ったよ。文句あっか」と、返事をする内田。「そんじゃぁ、なんでウッチャンのお母さんから連絡がつかないって、電話がライトにあるんだよ」とヤマチャンが声を荒げて問いただした。この言葉に、強気の態度が一変する。

 「エッ、チョット待て。その事なんで知ってんのかな」と、恐る恐るヤマチャンに尋ねた。すると、ヤマチャンは勝ち誇ったような含み笑いをして、「サァネ」と返事をした。「サァネじゃなくてさ」と困ったように聞き返す内田に、「そんな事より、早くライトに行った方がいいんじゃないの。大変だったのはライトなんだからさ」と返事をする。その言葉に、あわてる内田。そして、思わず「ヤバイナァ。またやっちまったかな」と口走った。これに、「そう、やっちまったんだよ」と堪えきれずに大笑いしながら答える。

 こうなると、だいたいの事情を知っている周囲もつられて笑いだすのは当然の流れになる。そんな爆笑の中、ツッコム一言が浮かばず無言の内田に、「ウッチャン、急がなくていいの」と誰かが声を上げた。その言葉に、「アッ、そうだった」と、階段の方向に歩き出す内田。その後ろ姿に「ウッチャン!ガンバッテネ」とヤマチャンが声をかけた。これには、「ウルセィ」と、捨てぜりふをはくのがやっとの内田だった。とにかく、急がなければと、おさまらない笑い声を背に階段を駆け上がっていった。

 ライトホームのある3階に到着。廊下に出て、入所者たちの部屋を通り抜け職員室へ。途中、食堂とホールと呼ばれるスペースがある。テレビが配置され、テーブルとソファーが並べられている、入所者たちの憩いの場所である。いつもなら聞こえてくる話し声がしない。その静けさに(誰もいないのか。まったく、余計なことしゃべったのは誰なんだ。変に話が広がってなきゃいいけどなぁ)とムッとする気持ちと、心配な思いが交差しながら廊下を進んだ。

 職員室の前まで来ると、気持ちを落ち着けるように息を吐いてからドアをノックした。そして、「おはうございます」と声をかける。中から、「ハーイ、オハヨー」の返事。その声が佐山だと気づいた内田は、ドアを開け「佐山さん、この間はすいませんでした」と頭を下げた。その姿に笑顔を見せながら、「そんなに気にしなくていいよ。それより、お母さんにちゃんと連絡した?」と尋ねる佐山だった。これに、「ハイ、少しばかり泣かれました」と返事をした内田に、「もう、こんな事ないようにしないとね」と、くぎを差すような一言に、「ハイ」とうなずくしかなかった内田。そして、なぜ車椅子の連中が今回の件を知っているのかを佐山に尋ねようとするより早く、「訓練の時間が過ぎてるよ。早く行かないと」と言われ、「はい」と返事してしまい聞くことができなかったのである。

 ドアを閉めて廊下を歩く内田。意味もなく不安な思いが心をよぎる。その頃、1階の車椅子軍団は、ヤマチャンを囲んで爆笑していた。もちろん内田の話である。そして、締めの一言はヤマチャンの「ウッチャンのおかげでしばらく退屈しないで済むなぁ」だった。内田の仲間は恐ろしい連中である。

 さて、当の本人は3階から2階へと階段を降りて、感覚訓練室と呼ばれている部屋の前にいた。「遅くなってスイマセーン、内田デース」と部屋の中へ。その言葉に、「ハーイ、内田さんオハヨー」の返事。この返事の主は点字やワープロなどを中心に指導を担当している職員の矢野である。ライトホーム唯一の全盲の指導員でもある。

 矢野は、「内田さん、今日も遅れましたね」と嫌味な一言。これに、部屋に入りながら「どうしてですかねぇ、矢野さんの訓練を受ける時は、バスが時間通りに来ないんですよ」と返事をする内田。

 「そうですか。それでは、1本早いバスに乗ってはいかがですか」と矢野。この言葉に「そのバスも時間通りに来なかったりして」と笑いながら返事をする内田に「1本早いバスが遅れてもいいじゃないですか。私は、早く来なさいとは言ってません。訓練の時間に間に合えば良いのですから、遅れた分ちょうど良い時間に、ライトに着くかもしれません。今度、ためしてみてください」と言葉を返す矢野。すると、「早起きできたらやってみます」と内田。これに「内田さんは、訓練を受ける気持ちがあるんですか」と尋ねる矢野。この言葉を待っていたかのようにニヤリと笑って、「受ける気はありますよ。ただ教えてくれるのが矢野さんってのが問題なんですよ」と答えた。

 相手は職員、あまりの発言である。がしかし、矢野は受け流すように「内田さんは、私のこと嫌いなんですか」と苦笑しながら尋ねた。「エッ、そんな事、本人を前に言えませんよ」と内田。すると、「そうですか、私は、内田さんのこと好きなんですけどね」と矢野は言った。これには、多少びっくりの内田は、「おれみたいな嫌味な人間、好きなんですか?矢野さんも変わっている人ですね」と返事をした。

 矢野は、「大好きですよ。それに、職員としても指導にやりがいが持てる人でもありますから」。この言葉に、「やりがいってどう言う事ですか?」と不思議がる内田に、「馬鹿な子ほどかわいい。と言う言葉があります。物覚えの悪い内田さんに、ピッタリのたとえです。そう言う人に、ちゃんと指導して覚えさせる。これほどやりがいを感じる事はありません」と勝ち誇ったような高笑いをしながら内田に言った。

 「矢野さんに、やりがいを持ってもらえるとは、これほど光栄な事はありませんよ」とムッとしながら言い返す内田。これに、たたみかける矢野の一言、「そう思ってくれるなら、私の努力を無駄にしないように、内田さんもガンバッテください」。この言葉に、何も言えずにくやしがっている内田に、「ハハハ、内田さんとの会話はいつも楽しいから好きです」と笑いをこらえることなく言葉を続けた矢野に、「こっちがナンモ楽しかないですよ」と捨てぜりふをはく内田だった。

 これ以上、会話を続けてもやり込められるだけと感じた内田は、訓練の準備をしようとワープロの置いてある机に移動しようとした時、矢野が「内田さん、今日は訓練よりも少しお話しましょう」と声をかけた。その言葉に、「十分、話はしましたよ」と、ぶっきらぼうに返事をした。すると、「いいからこちらに来て座ってください」と、言葉を返す矢野だった。

 ここまで言われると逆らえない内田は、しかたなく矢野の前に移動。机をはさんで矢野の正面に座った。矢野は、「内田さん」と声をかける。これに「はいと応える内田。返事が自分の正面から聞こえた事で内田が前にいる事を確認した矢野は、ゆっくりとした口調で、内田に話しかけた。

 矢野「内田さん、一人暮らしを始めてどのくらいになりますか」
 内田「3ヶ月ぐらいかな」
 矢野「ヘルパーさん頼んでないって聞いたけど」
 内田「はい」
 矢野「なんで頼まないんですか」
 内田「一人でどこまでやれるか試すためと、ここで覚えた事を体に覚えさせるのが目的ですからね。最初からヘルパーさんに来てもらったらだめだと考えたんです」
 矢野「考えはわかりますが大変ではないですか」
 内田「大変なのは覚悟の上です」
 矢野「困る事も多くあるでしょう」
 内田「それも覚悟の上です。見えないんだから困る事ばかりですよ。それは、おれなんかより矢野さんの方が良く知ってるんじゃないですか」
 矢野「まぁ、そうですね」

 ここまでの会話の間、内田の頭の中は(早く終わらないかなぁ)であった。それを、知ってか知らずか矢野の言葉は続いた。返事をする内田は、それに付き合うしかなかったのだが、「ところで、ここ数日の間に人に言えないようなつらい事、ありませんでしたか。特に、晴眼者にはわからないだろうって思うような事が。私は、内田さんより視覚障害者として、長く生きていますから相談に乗れると思うんですが」

 それまで、右から左へ聞き流すような態度で返事をしていた内田だったが、この言葉で顔つきが変わった。矢野の「ここ数日」と言う言葉に反応したのである。(何か知っているな)と思った内田は「ここ数日って、なんで限定するんですか」と尋ねた。「いやぁ、なんとなくですよ」と答える矢野に「何か知ってるんじゃないんですか」と聞き返した内田。すると、「こう言うのは鋭いんですね。実は知ってますよ。だから心配して聞いているんです」と返事をした矢野だった。これには、なんで知っているのかを尋ねる内田。しかし、その問いかけには答えず何があったのかを話すように迫る矢野であった。こうなるととぼけようのない内田は話すしかない。

 事の顛末を、一通り話すと、(それだけですか」とつまらなそうに聞き返した矢野。これには、「これだけですよ。何か不満でもあるんですか」とムッとして言い返した内田に、「なんだ、つまらないなぁ」と軽い返事をする矢野。「心配なんてウソじゃんか。それより、なんで知ってるんですか」と詰め寄る内田になんとも言えない含み笑いをしながら「なんでですかねぇ。もしかしたら知っているのは、私だけじゃないかも知れませんよ」。この言葉にあせる内田(やばいなぁ)と頭を抱えたのである。

 そんな内田に、矢野の冷たい一言。「話は終わったので、訓練を始めましょうか」。これには、「訓練って言っても、もうそんなに時間がありませんよ。だから終わりって事に・・」と返事をする内田。これに、「いいから準備して」とキツーイ返事に、ムッとしながらも仕方なく準備を始める内田。もちろん、この時の訓練は、気もそぞろ状態、何をやってもうまくいかなかった内田だったのである。(続く)