お騒がせミステリー ウッチャン失踪事件(完結編)

●必殺ひまつぶし人 パート2

 訓練を終えて、3階へ戻る内田。その足取りは重たく、手すりにつかまって疲れたように階段を上がっていた。そこへ、下りてくる足音、いったんその音が止まる。そして、今度は駆け下りる音に変わった。その音は、内田の前で止まる。自分の前に誰かがいる。ハテ?と内田が感じた瞬間。「内田さん、オハヨー」の声。声の主は、ライトホームの職員、末谷だった。内田が「おはよう・・」と返事をしようとする間もなく、末谷が「内田さん、これから訓練あるの」と聞いてきた。「ありませんよ」と答えた内田に、「そう、じゃあちょっと話をしようか」と言ってきたのである。

 この言葉に、ピンときた内田はおなり、「おれは、話す事ありませんから」と拒絶した。これに、「まぁ、いいからいいから」と返事をする末谷に、話すことないですから・・」と内田。この返事を聞いても、「いいから腕につかまって」と言う末谷だった。こうなると従うしかない。内田は末谷の腕につかまり、2階の訓練室へと戻って行ったのである。

 訓練室は2つある。矢野がいる部屋の隣へと入る末谷と内田。隣の部屋にいた矢野が、二人に気づいて声をかける。好きで戻って来たわけじゃありません」とつかれたように返事をする。「そう、でも内田さんは人気者だから、内田さんと話をしたいって人はたくさんいるんですよ。ガンバッテネ」と笑いながらの一言に「がんばりたくないです」と捨てぜりふのような返事をする。この返事のどこが面白いのか、矢野だけではなく末谷まで大笑いしたのである。

 この後、矢野と同じ問いかけをする末谷に、「さっき、矢野さんに答えてあるから矢野さんから聞いてください」と返事をする。これに、「私は、内田さんから聞きたいんです」と言う末谷に、しかたなく「受話器をちゃんとおいてなかっただけですよ。もう知っているくせに、なんでおれに言わせるかなぁ」とつかれたように答える内田に、「まぁまぁ、怒らない怒らない。でも、ほんとにそれだけ?」と聞き返す末谷。このしつこさに、「期待はずれですいませんでしたね」と受け流した。ここで、ツッコミかボケの一言でも言えば、相手のペースになると思っての返事をした内田だったのである。

 なんとか、2人から解放され3階に向かう。もうすぐ昼食時間、ホールには入所者たちが集まり食堂では、職員が昼食の準備を始めていた。そこへ、内田が現れたのだから大騒ぎになる。職員まで集まって来る。

 内田の第一声は、「おれも人気者になったもんだなぁ」だった。がしかし、ボケられたのもここまで、集まった連中にマシンガンのように質問され、それに答えると、「ナーンダ。つまんない」の返事。これに、「ツマンナイ。とはなんだ。だいたい、騒ぎを大きくしやがって、うるさいっての。それに、半分面白がって動いていたんじゃないのか」と、内田が逆ギレすると、「半分以上だったかも・・」と、いさおちゃんが笑いながら言った。その言葉に、ツッコミ返すと思いきや「クソー、おれはいい友達もってシアワセモノだよ」と力無く答える。

 そして、内田は言葉を続けた。「まぁ、とにかくもうカンベンしてくれ」とため息まじりに言った。これには、周囲は大笑い。そんな中、食堂から「昼食の用意が出来ましたよ」と、職員の声がした。それに、「ハーイ」と返事をして食堂へと入っていく入所者たち。一人残された内田は、フーと息をきながらリュックの中から弁当箱を取りだし食堂へ入って行ったのである。

 ライトホームでの食事は、職員が配膳してくれる。しかし、食後はトレーを自分で片付ける。つまり、自分の席から食堂のスミにある棚まで持って行くのである。料理が入った状態の時は運ぶのは、チトあぶない。だが、食べ終わった後ぐらいは、自分でやれって事なのだ。ここでの生活は、どこかしこに訓練のような形が組み込まれているのである。

 ちなみに、入所者たちの席も決まっている。食堂に入ると、それぞれの方法でそれぞれの席に座る。入所当初はおっかなびっくりしながら移動、もちろん席を間違ったりする。これが、1週間もすると、スイスイと動いて自分の席に座れるようになっている。感覚的に、身についてくるのだろうが、当の本人たち自身が驚いているのは、室内とは言え白杖を持たず、恐怖感を感じる事もなく移動している事なのである。

 ヘンなたとえだが、コワイと足がすくんで動けなくなるのと、オッとと足を止めるのとは違うのである。世間では、視覚障害者に心の眼を持って・・なんて言うが、ウッチャンに言わせれば、眼ではなくアンテナを立てている、と言うたとえの方が正しい。オッと!話を元に戻そう。

 入所者たちが席につくと、職員はトレーに載っている料理を説明する。みそ汁の具は・・とか、大皿のおかずは・・とか。それを聞き終わると「イタダキマース」となるのである。ところが、その日は料理の説明をし終わった職員が「内田さん」と声を発した。これには、なんだと思いながら返事をした内田。すると、職員が「よかった。ちゃんといますね」。この一言で、食堂は大爆笑。手をたたいて大笑いする者もいた。いつもなら、何か言い返す内田なのだが、一言も発しない。ただため息をつくだけだった。

 何かを言うだろうと想っていた職員は「いつもと違うなぁ。どうしたの」と心にもない心配そうな声で内田に聞いた。聞かれた限りは返事をするしかない。「ウルセィナー。だまって食え」と声を荒げた。すると、「オー!いつもの内田さんだ。よかったよかった」と笑いながら職員が言った。これに、「何がよかったんですか」と、余計な一言を誰かが言った。この言葉に、「なにがよかったのか、後でウッチャンを交えて聞いてみようよ」と、またまたよけいな一言があった。そして、そうしようそうしよう」の笑い混じりの大合唱。この大合唱の中、(しばらくは、こいつらのひまつぶしのエジキだな)と思いながらうなだれる内田であった。

 さて、食事をすませた入所者たちはホールに戻るとしばしたわいのない話をして、午後からの訓練を待っていた。そして、13時近くになると、一人また一人と訓練へと向かう。ホールを離れる際に「ウッチャン、今日は真っ直ぐ帰るんだよ」「もう、お母さんに心配かけるような事したらだめだよ」などなど、内田に余計な一言を笑いながら言って去って行く。その一言一言に「ウルセェ」と言い返すのがやっとの内田だった。

 13時を過ぎ、静まりかえっているホールに、内田が一人。朝から何度となく繰り返してきた、つかれたようなため息をすいていた。そこへ、廊下を歩く足音。その足音が、ホールの前で止まった。そして、「内田さん、コンニチワ」と女性の声。その声に、身を縮める内田。声の主は、職員の赤木だった。内田にとって、ライトホームの職員の中で、一番頭が上がらない存在であり、矢野とは違った意味で難敵だったのである。

 赤木の担当は、簡単に言えば炊事洗濯から部屋の掃除に、洗濯物のたたみ方。果ては、煮魚や焼き魚を食べる際のじょうずな骨のとり方。ざるそばのそばをうまくめんつゆの入ったおわんへの移し方まで指導してくれるのだ。視覚障害者用の生活用具の使用法なんてのを教えるだけでは終わらない。見えなきゃ使えないと思っている物を、チョットした工夫で使える事を教えてくれる。

 訓練中に、憎まれ口や減らず口をたたいても、最後は、ナルホドと思ってしまい、必死に覚えようと身体が動いてしまう。内田が、ホームヘルパーはいらないと言い切って、一人暮らしをできているのも赤木の指導がなければありえない事なのである。つまり、内田が赤木の声を聞いて、恐縮するのは当たり前の事と言っていいだろう。

 身を縮めている内田の前に、テーブルをはさんでソファーに座る赤木。それを感じ取った内田が、「赤木さん、訓練は?」と尋ねる。「これから会議なの。だから訓練はないのよ」と答える。「そうですか」と返事をした後「アノー・・」と口ごもる内田に、「どう、一人暮らしは」と静かな口調で赤木が聞いてきた。

 「なんとかやってます」。「そう、考えていたよりたいへんでしょう」「ハイ、でも日本に全盲で一人暮らししているのはおれだけじゃないし・・。たいへんだって思って、何もしなかったらなんのために訓練受けたのかわかんないですよ」「でも、自由な時間もある事で気がゆるんで周りに心配かけるような事があるから気をつけないとね」。この言葉に、(キタカ)と思いながら内田は「気をつけてはいますけど、みんなどこまで心配してんだか・・」と内田は言った。

 この言葉に、少し間をおいて、穏やかではあるが内田を諭すように赤木は話した。「内田さん、結果論になるけど何か事が起きて何もなかったり、あったにせよ大した事になってなかったりとなれば、だれでもホットするものでしょう。その気持ちが冗談や笑い話になったり、人をからかう言葉になったりする。それは、心配してたようにならず事がすんだからです。本当に、たいへんな事になっていたら面白がるどころか冗談も言えませんよ。その辺の区別をしてみんなを笑わしている内田さんならわかるでしょう」

 相対しているのは赤木。ツッコムにしてもボケルにしても相手に不足はない。どう切り返してやろうかと考えていた内田だった。だが、相手の方が何枚も上手だった。赤木の言葉を聞いて「ハイ」とうなだれるしかなかったのである。内田を見つめながら「バスの時間は大丈夫?」と明るい声で聞く赤木に、「もうそろそろ・・」と返事をすると、「気をつけて帰るようにね」と一言言ってソファーから立ち上がって職員室へ向かった赤木だった。

 職員室のドアが開く音を聞いて、「まいったなぁ」とつぶやきながら帰り支度をして廊下を歩きだした内田だった。内田の起こした騒ぎを赤木が知らないワケはない。だが、他の連中のように面白がって、あれこれ聞いてこない。挨拶だけをしてその場を離れても呼び止める事もしなかっただろう。内田が、深読みした余計な一言を言わなければ、諭すような物の言い方はしなかったに違いない。分かっていながらそれには触れず、それでいて、心にグサッと来る一言を口にされた。完全に、内田の負けである。

 階段を下りて1階へ。午後の訓練やリハビリが始まっている時間、車椅子の連中も暇を持てあましてたむろってはいなかった。その静けさにホットしながら本館への渡り廊下を進む。正面玄関を出て、バス停へ。バスが到着するまでに、少し時間がある。白杖でベンチを確認して腰掛ける内田。(アー言われてもなぁ。いつまでネタにされるかわかんないからなぁ。でも、しょうがないか)と赤木の言葉を思い出しながらつぶやく内田だった。

 この日を境にしばらくはおとなしくしていた内田。だが、ひまつぶしのネタにされる日々は、本人が思っていたより長く続いたのである。