●たびだちの詞 (後編)

横須賀市 ・ 内田 知

 誰に見送られる事なく、ライトホームを後にしたウッチャン。本厚木駅へ向かうバスの中、車内放送に耳を傾け観音坂と言うバス停でバスを降りると、バス停近くのスーパーに立ち寄り何やら買い物をして細い路地へと入って行ったのです。

 行き先は、一人暮らしをするために借りたアパート。車が一台通れる程度の道を、右に曲がったり左に曲がったりしながら歩いて行く。アパートの部屋の前、ズボンのポケットからカギを出して、カギ穴に挿す。家族の反対を押し切り、周囲をなやませ困らせてまで、自分のわがままを押し通してきた。自らが求めた世界が、ドアを開ければそこにある。軽く深呼吸してドアノブに手をかけるウッチャン。

 後編にきてやっとシリアスな文章が書け……、ちょっと待って。そんな雰囲気ではないみたい。深呼吸なんてしない。それより靴をはいたまま上がり込むほどの勢いで部屋の中へ。いったい何が起きたのか。部屋に入った後、しばらくして、(危なかったなぁ)と、ホッとしたようにつぶやくウッチャン。

 みなさんも、何があったのか知りたいでしょう。ウッチャンが部屋に飛び込んだワケは、トイレです。そう、我慢が限界に達していたのです。バスを降りた時からやばかったのに、買い物ぐらいはとスーパーに寄ったりするからたいへんになる。

 もっとたいへんなのは、ヤバイヤバイと言うあせりがあざとなって覚えたはずの帰り道を間違えてしまったのです。ココハドコ状態に陥っているだけではなく、オシッコモレチャウ状態まで重なってしまったから、冷静さはいつもの半分以下。あせりの渦の中で右往左往しながらやっとたどり着いたのだから、何かに思いをはせて、深呼吸なんて言ってられる状況ではなかったのです。もしこの時、親切な誰かが、「どちらに行かれますか」とウッチャンに声をかけていたら、「トイレー」と叫んでいたでしょう。

 さて、トイレから出てきたウッチャンは、ホッとした気持ちと、迷ってしまったくやしさが入り交じった気持ちを落ち着かそうとタバコに火をつけた。(間に合ってよかったなぁ。しかし、なんで迷子になったのかな。確認すべきとこはちゃんと確認したのになぁ)、(どうしてだ、どこでだ)と考えれば考えるほどくやしさが大きくなっていく。

背中に妙な違和感、幽霊か?
 タバコを吸い終わると、台所へ。冷蔵庫を開け、缶ビールに手を伸ばす。奥の部屋に戻ると、テーブル代わりのこたつに置く。そして、あぐらをかいて座るウッチャン。ビールのフタを開けると、(明日やる事は決まった。サーテ祝杯だぁ)と、ググッと一気飲みをした。フーと息をはいて、(気分転換は、ヤッパこれだなぁ)と思いながら、残ったビールを飲もうとした瞬間。背中に違和感を感じた。なぜか妙に重いのだ。エッ、まずいだろうそれは。ウッチャンの借りた部屋に霊が住んでいて、もうとりついたのかも……。どうするウッチャン。どうなるウッチャン。落書きもホラー的な話になってしまうのか。

 それでは、ウッチャンにとりついた霊の正体は? なんと、リュックだったのです。つまり、アパートに帰ってきてから、ずっとリュックをしょったまま過ごしていたのです。時間にして約20分ほどなんですが、なんとも笑えない。ただただ、これから大丈夫かと思うばかりです。

 さて、本人も落ち込みました。苦笑いさえできずにリュックを背中からおろすと、(なんだかなぁ)と呟くのがやっとだったのです。一気に飲み干すつもりのビールも、ちびちびと飲みきる始末。しかし、落書きの主人公はウッチャンなんです。簡単にめげる人間ではないんです。

 フト、時間を確認すると、17時を少し過ぎた頃。遅くなるとまずいと、近くに住んでいる大家さんへ、あらためての挨拶に出かけた。そして、帰り際にはアパートのお隣さんたちに挨拶をして回った。戻ってくると、横須賀の実家へ電話。ここまできても反対しつづける母親に心配かけないから……と話して受話器を置いた。そんなこんなで、やっておかないと、と思った事を済ませたウッチャンは本番は明日からと、調べて置いた宅配ピザに連絡。一人だけの祝杯を挙げて、その日は終わったのでした。

 次の朝、7時を回った頃。台所に立つウッチャンの姿があった。何をしてるかって。それは朝食の準備でしょう。メニューは、コーヒーにトースト、それに目玉焼き。(一に確認、二に確認)とつぶやきながら作っていく。さて、お味は、コーヒーは良いとして、トーストはちゃんとマーガリンをぬれてない。目玉焼きはちゃんとできているのだが、お皿に乗せるのを失敗。白身が折れて、黄身にかかってしまっている。それでも、完璧だと独り言を言って食べ始める。朝のワイドショーを見ながらの食事。2杯目のコーヒーを飲み終わると、せっせと後かたづけ。出かける準備をして、昨日みたいにならないようにと、一応トイレに入る。でもって、またまた(一に確認、二に確認)とつぶやきながら台所の火の始末や、ベランダのカギを確認して外へ出る。

「運任せ」では我慢できない
 ウッチャンの足は、バス停に向かっているようだ。だが、後もう少しでバス停と言う所で回れ右してアパートの方向へ。忘れ物でもしたのか。何やらぶつぶつ言いながら戻って行く。そして、最初の曲がらなければいけない箇所に来ると、白杖で何かを確認して真直ぐ歩き出した。エッ、そのまま行ったら、また迷子だよ。何してんのと心配な状況だ。

 ところが、ウッチャンの顔は、何かを探している眼をしている。捜し物とは何か。それは、昨日迷ってしまった場所なのです。どこで間違って、どこでそれに気づいたかを知るために歩き回る事にしたのです。昨日は、右往左往しながらも戻って来れた。しかし、どう戻ったかが思い出せない。となれば、昨日は運がよかったからと言う事になる。ライトホーム出身者のおれが、運に助けられて戻って来れた。なんとかなるさと、運任せで生きてきたようなウッチャンだが、今回ばかりはそうならなかったのです。運に助けられたと言うくやしさが湧いて来る。運に助けてもらわなくても、なんとかなる方法をおれは覚えたはず、それなのに。このくやしさをなんとかしないと、と思ったウッチャンはある方法を見い出したのです。

自分流の生き方探しが始まる
 アパートからバス停、それにスーパーへの行き方は覚えた。しかし、アパート周辺の地図は完全に頭に入っていない。となれば、また間違った方向に行った時に、運を頼りにして戻って来なければならない。そんなのはイヤだ。となったウッチャンは、まずはアパート周辺の自分なりの地図を頭に作るために歩き回る事にしたのです。でもって、昨日迷った場所を見つけだすのを最初の目的としたのでした。

 視覚障害者として生きるためではなく、今の自分らしく生きる方法を見つけるために。甘えと言われても、わがままと言われても、自分がやりたいと感じる何かを探す。運任せでなく、自分流の生き方を探す。そう、この日からウッチャンの落書きストーリーがスタートしたのである。