●たびだちの詞 (前編)

横須賀市・内田 知

 春から夏へ向かう季節のある日の午後。ライトホームでは、静かな時間が流れていた。そんな中、ある部屋で忘れ物はないかと身の回りを確認しながら身支度をしているウッチャンがいた。それなりに確認し終わると、部屋を出て職員室へ。どこかに出かけるのか? イヤイヤこの日は、ウッチャンがライトホームを退所する日なのである。

 ところで、ライトホームでは退所していく仲間を、残る入所者たちが見送るという恒例行事が行われていた。それも、3階から1階まで出向いてバンザイ三唱をやるのである。こうなると、1階はちょっとしたお祭り騒ぎとなる。そうであれば、ウッチャンがライトホームをオサラバする日、見送る者が大勢いておかしくない。それなのに、この静けさはなんなんだろう。ましてや、入所者達は誰もいない。マァ、今までの言動を考えれば、ウッチャンを見送る者がゼロと言うのも仕方がないかもしれない。しかし、これほどまで嫌わなくてもと思う。と言いたいところだが、この状況を作ったのはウッチャン自身だったのである。

退所はウッチャン流で
 数日前、退所の準備をするウッチャンと職員との間で、ある会話がなされていた。「おれの退所の時は、見送りはナシ。みんなが、訓練でいなくなった時間に出ていく」と話すウッチャン。「そんな事したら、みんな怒るよ。それに、なんでそんなことするの」と職員に聞かれ、「オレのやり方なの。つまり、ウッチャン流ってやつかな。ヒーローは静かに去っていくってのがカッコイーじゃん」と答えたのである。すると、「内田さんがヒーロー? みんなに迷惑かけるヒーローなんて聞いたことがない」と、笑いながら言葉を返す。職員のその言葉に、「ナハハハ、聞いたことないヒーローが、ここにいるのだぁ」とボケる。これに、(又、始まったか)と苦笑するしかない職員。そして、ウッチャンの希望通りにするしかなかった。

 さて、職員室の前に立つウッチャン。ドアをノックすると、中から「ハーイ」の返事。その声に反応するように、ドアを開けながら、何かを口にしようとすると、それよりも早く職員が、「アレ、まだいたの」と言ったのである。それまで、どことなく神妙な顔つきだったのが一変。いつものウッチャンに戻って、「まだいてワルカッタナァ。退所するのを明日にしてヤルゥ」と言い返した。

 すると、「別にかまわないけど、夕食は出ないよ」と笑いながら返事をする職員。「晩飯はどうでもいい。チャント挨拶してから行こうとしたのに、『まだいたのか』はねぇだろう」と言い返すウッチャンに、「挨拶? 昼食すませた後、したじゃん」と職員のカルーイ一言。その軽さにまたまたムッとして「1ヶ月たったら、迷惑かけに戻って来てやるからなぁ」と言い返した。すると、「そうだよ、1ヶ月後には、通所で訓練受けに通ってくるんだから、内田さんの本当の退所はまだまだ先だよ」の職員の返事。その言葉に思わず「確かに」と言ってしまう。

 そうは言ってみたものの、どこかしっくりしない様子のウッチャンに、ニコニコしながら職員が「とにかく、気をつけて帰ってね。バスの時間、大丈夫?」と尋ねてきた。それを聞いて、(そうだった。みんながいない間に…)と職員に「そんじゃぁ、失礼シマース」と頭を下げて職員室を後にしたのである。

蘇る訓練の日々…
 ライトホームの廊下。静けさの中、聞こえるのは、ウッチャンの振る白杖の音だけ。階段まで来ると、杖で段差を確認。大きく深呼吸をして、階段を降り始める。1年半前、自らが望んだとはいえ、不安な思いを一杯にして昇った階段を今日は、(今を、明日を、オレ流で生きてやる)の思いを胸に降りていく。そして、階段を1段また1段と降りるたびに、蘇る訓練の日々…。

 ナーンテネ。こんな風に書けたらカッコイイんだけどね。実際は、入所した日はエレベーターで3階へ。退所するこの日もエレベーターで、一気に1階へ。シリアスな文章で表現するなんて無理ってもんです。それに、ウッチャンの心の中にあったのは、(バスの時間に間に合うかなぁ)だもんね。てことで話を進めます。

 エレベーターを降りて、バス乗り場へ向かうウッチャン。途中、ここでの生活の中で顔なじみになった者達がウッチャンに声をかける。いつものように、オヤジギャグを交えた一言二言の会話をして別れる。中には、「オミヤゲヨロシク」と言葉を投げかける者もいた。それには、「覚えていたらな」と返事をするウッチャン。これもまた、いつもの会話なのだ。そう、いつもと同じウッチャンがそこにはいた。そして、本人も(これでいいのだ)と思いながらその場を去っていくのだった。

(つづく)