●必殺!白杖下段の構え

横須賀市 ・ 内田 知

 横浜駅、朝8時をすぎた頃。京急線から相鉄線へ向かう連絡通路を歩いているウッチャンがいた。駅構内は改装工事中。足下は、ゴム板がひかれ歩きづらいだけではなく、白杖がうまく使えない。ましてや、時間帯がラッシュ時だから、人の流れは多いし速い。改札を出て数メートルしか歩いていないのに、2回3回と杖をけられてしまう。けられる事には、ムッとはするが、杖をひっかけて転んでケガでもされたら困ると言う思いが頭をよぎる。

 杖を短く持って歩いているだけではだめだなと感じたウッチャンは 久しぶりに奥の手を使うかと、少し大きな声で、「スイマセーン、通りマース」と、繰り返し言いながら歩き始めたのである。

杖に強い衝撃が…
 身の安全のためとは言え、あまりカッコイイ姿ではない。だが、ウッチャンにとっては秘策と言うか必殺技なのである。本人は、周りがどう見ようが、そんなのカンケイネェと今はやりのギャグそのままの気持ちなのです。あまり人には勧められないが、効果パツグン。ウッチャンは、それなりにスイスイと前へと進んでいた。そんな中、(そろそろ階段だな)と思うあたりまできていた。そして、最初の段差を確認するために、短く持っていた杖をいつものように持ち替えて歩き始めた。

 歩き出して数歩、その間、声を出すのを忘れていた。(ヤバイヤバイ)と思って、声を出そうとした瞬間。杖に強い衝撃が走った。杖を持つ右手は右へ大きくふられ、言葉では表現できない音とともに杖が曲がったのを感じた。(やられた)と思ったと同時に、バターンの音。そして、「イテェ」の男の声。杖を曲げられた事よりもその声に、思わず「すいません。大丈夫ですか」と叫んだウッチャン。

 (ケガだけはしてないでほしい)と、思いながら転んだ男性の方向へ身体を向け、改めて謝ろうとしたウッチャン。だが、そんなウッチャンに、転んだ男性が浴びせた言葉は、「何やってんだ。テメェ、イテェじゃんか、コノヤロー」だった。それを聞いた瞬間、「ナンダッテ。もう一回言ってみろ」と叫ぶように言い返していた。

 ウッチャンの意識は完全にキレてしまっていた。本人も知らぬ間に杖のグリップを両手で持ち、右斜め下に構えていた。剣道で言えば下段の構えか。そのまま、左へ円を描くように動かせば、眠狂四郎の円月殺法となる。イヤハヤ、構えはカッコイイかも。しかし、杖が真っ直ぐならの話で、ウッチャンの杖は曲げられて、くの字なのだ。

 くの字の杖で、円を描いてもなぁと、誰もが思う。マァそれはそれとして、下段の構えのまま、眼光鋭く相手をにらむウッチャン。だが、サングラスをかけているから相手にとっては、(そんなのカンケイネェ)って感じだったかもしれない。ともかく、相手の出方次第だとジッとしていると、「アノー、転んだおじさん逃げちゃいましたよ」と女性が声をかけてきた。それに、「エッ、そうなんですか」と返事をしたウッチャン。(クソー、いなくなったのがわかんなかった)と心の中でテレながらもホットした気持ちになっていた。

お兄さんに杖を直してもらう
 そこに、「杖、曲がってしまっていますけど、大丈夫ですか」と言われ、我にかえるウッチャン。声をかけてくれた女性に、「すいません、通路のハジまで連れてってもらえますか」と頼んだ。「いいですよ」の返事と同時に、ウッチャンの腕を支えるようにしてハジへ移動した。女性は心配そうに、「直りますか」と聞いてきた。その言葉に、「ありがとうございます。後はなんとかなりますから、通勤途中にすいません。遅刻したらたいへんですから…」と返事をしたウッチャンに、「そうですか。それでは気をつけて」と、アッサリと去っていってしまったのである。

 頭の回転は遅いが、変わり身の早さはバツグンのウッチャン。いつもの意識で、(なんだよ、そんなに簡単にいなくなることないじゃんか)とガッカリしながら杖を直し始めた。アノヤロー。こんなに曲げやがって)と、うまく真っ直ぐにならないのに困っていると、「どうされたんすか」とお兄ちゃんの声。それに、思わず「杖を曲げられちゃって」と答えると、「ちょっといいですか」とウッチャンの手から杖を受け取ると「ウーン」と力を込める声を発した。そして、「こんなもんでどうですか」とウッチャンに手渡した。受け取った杖を確認するウッチャン。

 それなりに真っ直ぐになっているのに驚きながら、「ありがとうございます。すごい力ですね」と感心すると、「イヤー、チトスポーツをやってるだけなんです」と照れ笑いを浮かべるお兄ちゃん。「そうですか、本当に助かりました」と話しながら杖を前に延ばして、左右に振って床をたたく。そして、「これならバッチリだ。自分でやってたらここまで直せなかった。本当に助かりました」と、礼を言うウッチャンだった。

白杖は人のやさしさから生まれ作られた
 これに、照れ笑いのまま「そうですか。ところでどこへ行かれるんですか」と尋ねるお兄ちゃん。その問いかけに、(相鉄線まで連れてってもらえるかも)と感じたウッチャンが行き先を告げると「オッケー」の返事。いつものように、簡単な誘導法を説明。お兄ちゃんの腕につかまり歩き出した。道すがら、何があったのかと聞かれ、説明するウッチャン。 すると、「おれがいたら、そのオヤジ逃がさなかったのになぁ」とくやしそうに答えるお兄ちゃん。その言葉に、「今度、会ったら逃がさないでくださいね」とウッチャン。すると「ハハハ、絶対逃がしませんよ」と笑いながら返事をした。そんな会話が、終わりかけた頃、相鉄線に到着。お兄ちゃんに礼を言って改札を入り、ホームへ向かうウッチャンでした。

 さて、ウッチャンにとって、白杖は歩行を助ける道具ではない。我が身を守るための武器なのだ。杖を曲げられても転んでイタイ思いはしたことがない。必ず曲げた相手がイタイ思いをしているのだ。視覚障害者が外を歩けば、危険と隣り合わせ。恐怖感を味わうことばかりだ。白杖1本で身を守れるほどあまい世界ではない。

 それでも、白杖は今日もウッチャンを危険から守った。明日も守ってくれるだろう。決して万能ではない白杖だからこそ、指導を受けた日々の中で学んだ白杖の使い方を忘れてはならない。今回の経験で、ウッチャンは改めてそう感じていた。

 そしてもうひとつ、両手で杖を持ち、攻撃をも辞さない。自らの意志で、誰かを傷つける武器として白杖を使ってはならない。2度と、必殺白杖下段の構えはしないと誓ったのです。なぜならば、白杖は人のやさしさから生まれ作られた杖だからである。