●ブラックストーン(前編)

横須賀市・内田 知

 2010年1月13日、草木も眠る丑三つ時。胃の痛みで眼をさますウッチャン。苦痛に顔を歪めながらベッドから起きると、胃薬を手に台所へ。いつも感じる胃痛とは違う痛みの激しさに、首を傾げながらも薬を飲む。しばらくがまんしてれば落ち着くだろうと思いながら部屋に戻る。横になり痛みに耐える。だが、痛みは治まるどころか激しさを増す。

 四転八倒とか、転げ回るほどの痛みなんて表現があるが、身体を動かせるぐらいの痛みは真の痛みとは言わない。呼吸するか痛みに耐えるか。それを悩むほどの痛み。少しでも力を抜いて呼吸しようとすると、痛みが倍増して身体を走る。そこで、グッと身体に力を入れて、息を止める。当たり前だが、息を止めたままでいられるワケがない。そこで呼吸しようとするが身体の力を抜くことができない。ともかく、この痛みをがまんするのは無理と判断して、母親を起こして、状態を説明。救急車を呼ぶように頼んだ。

息子の苦しみより世間体?
 それを聞いて、「こんな時間に近所迷惑になるからがまんしろ」との返事。「息子の訴えより、世間の眼を気にするのか」と言い返す。この言葉に、何やら言って来たが、痛みに耐えるのがやっとの状態のウッチャン。言い返す気力もなく部屋に戻って行った。

 こうなると、耐えられるだけ耐えるしかない。だが、限界だったのである。部屋に戻って5分もしない間に、保険証を用意して着替えをして母親の元へ。もう一度「救急車を・・」と頼んだ。ここでやっとただごとではないと思った母親であった。ただごとではないと、さっき思ってくれていればと怒りにも似た思いが、ウッチャンの胸を過ぎったのは言うまでもない。

 で、救急車を呼ぶと思いきや妹に電話する母親。連絡を受けた妹は、あわててやって来た。そして、ウッチャンの状態を見てヤバイと思う。もちろん、救急車と考えるのが普通だろう。そして、電話をする。ここまで話が進んでいるのに、サイレンを鳴らして来られると近所迷惑になると言う母親。そして、サイレンを鳴らさず来てほしいと言ってみてと電話をしている妹に言う。

 仕方なく、それを先方に伝えると、それはできないと返事があったらしく、「だめだって」と母親に伝える妹。それを聞いて、「どうしよう」と一言。痛みに苦しみながら妹と母親のやりとりを耳にしていたウッチャン。子供より世間への心配かよ。なんて親だと、怒りを感じたのである。だが、それはそれで、そんなことより、この痛みをなんとかしてくれーと叫びたい思いを必死にがまんするしかなかった。

 こうして、救急車の到着を待つこと数分。サイレンとともに救急車がやって来た。ここまで来ても、近所に迷惑をかけるとぼやく母親。こうなると、サイレンよりオマエの方がうるさいと心の中でキレていたウッチャンであった。

 到着した救急車の中、ストレッチャーに横たわるウッチャン。救急隊員が受け入れ先の病院を探す。1件目、2件目、3件目と、受け入れ拒否の返事。それを苦しみながらも耳にしていたウッチャン。受け入れなかった病院の名を復唱しながら、フザケヤガッテ、いつか化けて出てやると意味のない言葉を心の中で叫んでいた。

 隊員が連絡をする事、5件目あたりでようやく受け入れ先が決定。救急車が走り出す。10分ほどで病院に到着。医療ドラマや緊急医療24時とかのドキュメンタリー番組の1場面のように、運び込まれる。そして、いくつかの検査を受ける。担当医が、ウッチャンのそばに来て、「石が暴れてますね」と一言。痛みに苦しみながらも、(石ってなんだ)と考える。その疑念そうな顔を見て、「胆石ですよ。3つほどありました」と医者が答えた。

あの時医者の言うことを聞いていれば…
 その答えに、記憶が甦る。それは、10数年前、ライトホームへ入所するために受けた健康診断の際、「小さな石がある。早い内に取り除いておいた方がいい」と言われた。だが、ライトホーム入所を優先と考えたウッチャンは、(なんでもないんだから)と医者の意見を退けたのである。そう、あの時のあの石が成長して今暴れ出したのであった。

 現状について、ストレッチャーから少しはましな移動用ベットに移されて説明を聞くウッチャン。だが、そんな事を聞く余裕などはない。そんな中、なぜか胆嚢の摘出と言う言葉だけが耳に残った。ウッチャンの頭に、?マークが浮かぶ。 (胆嚢ってなんだ。摘出って、石じゃないのか)。胆嚢を取ったらどうなるんだ。頭の中は?マークと恐怖感でイッパイになる。

 そんな思いをよそに、ウッチャンの家族は、「わかりました」「ハイお願いします」を医者に連発して答えている。(オマエラが納得してもおれにはわかってないんだぞ。おれにもわかるように話せぇ)と声にならない声で訴えていた。そんなウッチャンが発する事ができたのは「手術はいつ」だった。この問いかけに、「すぐは無理ですが、準備は始めます。痛み止めを打ちますからがんばってください」の返事に、「すぐが無理って・・」と聞き返す。これに、「午前中か、午後一番に」という医者の言葉に、(今何時だろう)と痛みに耐えながら考えた。ともあれ、そんなに長い時間ではないとホッとするウッチャンだった。がしかし、結局ウッチャンの手術が開始されたのはその日の夕方。つまり10時間以上をウッチャンは、胆石の痛みにもがき苦しんだのである。

 待たされるだけ待たされて、手術室へ向かう。手術への怖さはない。それよりもこれで楽になると言う安堵感が全身を包んでいた。手術台で薄れゆく意識の中、これで楽になると、ウッチャンはつぶやいた。

 どのくらいの時間がかかったのか、手術は無事終了。病室に戻ったウッチャンは、医者に声をかけられ眼をさました。「内田さん、終わりましたよ」この言葉に力無く「ありがとうございました」と答えたウッチャン。そして、少しずつ戻る意識とともに、術後の痛みを感じ始めていた。

 のど元過ぎれば・・なんとやら。術前はこれ以上の痛みはないと訴えたのが、終われば終わったで、ここがあそこがと痛みと苦しみを訴える。だが、周囲にはわがままにしか聞こえない。こうなると、ウッチャンファミリーのどたばた劇が始まる。

 さてさて、ウッチャンの闘病生活はいかに・・