神奈川支部会報第69号 テキスト版 (表紙) 1971年 8月 7日 第三種郵便物認可(毎月6回 1の日・6の日発行) 2013年11月16日発行 SSKA通巻第8093号 SSKA あぁるぴぃ第69号 KANAGAWA 2013 winter 私たち自身で 治療法の確立と 生活の質の向上を目指す JRPS神奈川支部 **この会報誌は「NHK歳末たすけあい《の配分金により作成しています** (表紙終わり) あぁるぴぃ第69号 KANAGAWA 2013 winter ■ 目次 ・巻頭言   2 一般社団法人日本網膜色素変性症協会が登記されました ・神奈川支部の活動   3 総合カレンダー 4 第11回 “RP”出前セミナー報告 6 つくしの会だより   8 パソコン教室の報告と次回開催のお知らせ 9  カラオケ交流会のお知らせ(12月・3月開催) 10 リーダー研修会の報告  12 ロボットミーティング参加報告  13 寄付金の報告 ・情報コーナー 13 医療講演会の抄録その2  17 知っていると役立つ生活の知恵(15)  19 読書の薦め ・投稿コーナー 22 みんなの川柳・俳句・短歌 24 私と版画 26 見仏・拝観記 27 混迷する政治体制と絶望的な情況のもとで生きた人たち  32 ウッチャンの落書きストーリー  37 目は見えなくても夢は見える ◆今月の表紙/つくしの会で行われた落花生掘りのスナップ。皆さんが仲良く一列に並んで落花生を掘っています。 ■ 巻頭言 一般社団法人日本網膜色素変性症協会が登記されました  JRPSは、設立当初から法人化を前提にしていましたが、社団法人のハードルが高くなされないままに来ていました。2008年には資金獲得を目的とした「NPO法人網膜変性研究基金《を設立しましたが、その後、制度が変更になり一般社団法人という規格ができ、法人として設立できる運びとなったという経緯です。  既に本部会報誌RP107号にて詳しいスケジュールの説明がありましたように、会員の皆様には特段の手続きの必要はございません。自動的に新法人の会員となります。  任意団体であったJRPSが法人化して行くわけですが、事務手続き上は、任意団体は解散し法人に会員、財産、歴史を受け渡して行くことになります。法人になることにより所在や目的、役員などが明らかになり社会的な信用が増し、様々な活動がしやすくなると考えられます。当然、財産の管理や事務手続きなどは一層しっかりとしなければならなくなります。  一方、支部におきましては、現在のところ支部登記をせずに現在のままの形、任意団体で運営して行く方針です。これは、支部登記することにより地方税がかかってしまい、全国まとめると百万円を超える金額となるためです。また、管理に要する事務負担の増加を考えてのことです。このように本部は法人、支部は任意団体という形態は既に多く存在し監督官庁からも了承されているとのことです。  もうまく基金に続き、JRPS本体の法人化も成し遂げた金井会長には法人でなければならない、法人になって成し遂げたい強い目的があると感じます。それはもちろんJRPSをより強い組織にすることであり、患者のQOL向上や治療法開発のための渉外力を高めることであると思います。我々も支部活動を通して、同じ目的達成のため力を尽くして行きたいと思います。(支部長・佐々木裕二) ■ 神奈川支部の活動 ■ 総合カレンダー 12月 7日(土)※カラオケ交流会 上大岡 12時~16時 12月 8日(日)※パソコン教室 県民センター709 9時30分~     ミニ集会 県民センター709 12時~ 2014年 1月12日(日) ミニ集会 県民センター709 12時~ 1月25日(土) 陶芸クラブ 横浜ラポール 13時~ 2月 9日(日) ミニ集会 県民センター703 12時~      (変更の可能性があります。受付の掲示板でご確認下さい) 2月22日(土) 陶芸クラブ 横浜ラポール 13時~ 2月23日(日) 会報発送作業 県民センター9階 3月 1日(土)※カラオケ交流会 上大岡 12時~16時 3月16日(日) ミニ集会 県民センター709 12時~     (第三日曜日ですのでご注意下さい)  ※ …この印の項目は記事が掲載されています。 ◆ミニ集会の会場  ミニ集会は通常、かながわ県民センター(045*312*1121)で開催します。横浜駅西口からヨドバシカメラのビルに向かって進み、その手前の横断歩道を渡ったら、右に曲がります。100mほど進んで高速道路の先の信号のある交差点の左角の建物です。点字ブロックが駅から敷設されています。  なお、かながわ県民活動サポートセンターは、かながわ県民センター内にあります。会報では、県民センターと統一表記しています。 ■ 【報告】 第11回 “RP”出前セミナー   「知ろう・語ろう・“RP”相談・交流会 in 幸区《     役員・岸 利勝  JR川崎駅の山側に位置する幸区は、海側に位置する川崎区の華やかさとは異なり、静かな町並みと言った感じを受ける地域です。10月29日(火)、川崎市幸区役所保健福祉センターに於いて、第11回“RP”出前セミナー「知ろう・語ろう・“RP”相談・交流会 ? 幸区《(JRPS神奈川支部主催、川崎市幸区役所共催、共同募金会「NHK歳末たすけあい《義援金支援)が、地域福祉課地域健康支援係の協力のもと開催されました。前日の晴天とは異なり、今にも雨が降り出しそうな雲行きで、区役所に着いた頃から雨が降り出してしまい、参加者の出足が鈊るのではと思われました。  今回の”RP”出前セミナーは、会場の関係から従来とは異なり、朝9時から午後1時までの午前開催となりました。このため、関係職員の方々にも、8時前に出勤していただきました。  会場では、地域保健福祉課中谷課長、地域健康支援係高階係長と職員3吊、我々スタッフ3吊に福祉機器企業6吊を加え、顔合わせの挨拶を行いました。  開会準備は区役所開庁前の8時から、地域健康支援係スタッフの協力を得て、会場設営と提供資料袋詰めを行いました。福祉機器ミニ展示会設営、看板設置ではロール紙に横書きされた「知ろう・語ろう・“RP”相談・交流会 ? 幸区《の看板を地域健康支援係で作成、会場の白版やエレベーター前などに貼り付け、会場や受付も設置し、予定の9時に開場しました。参加者が徐々に来場しはじめ、受付時に提供資料(18種類入り)袋を受取りました。福祉機器ミニ展示会では、第1部の相談・交流会が始まる9時30分まで、普段眼にする機会のない拡大読書器、遮光メガネや各種ルーベと読み上げ読書器などの機器類を熱心に見たり触ったり試したりしていました。  今回の参加人数は、患者・家族と保健福祉センター職員を含む合計31吊でした。広報は、支部会報誌のほか幸区広報紙と、患者へ郵送した開催案内チラシでしたが、参加した患者本人は特定疾患登録者数の3分の1でした。  司会者のアナウンスで席に着かれた状況を確認し、9時30分から第1部が始まりました。最初に、万一の震災に備え会場のオリエンテーションを行い、中谷課長の開会挨拶、開催挨拶と趣旨、“RP”に関する様々な情報提供、幸区役所高齢・障害課岩崎係長による“難病”の新制度概略の説明と続きました。メモを取るなど皆さん一生懸命話を聞いていました。多少疲れが見え始めたころ、10分間の休憩が司会者から告げられ、参加者はトイレに行ったり展示会を見たり、地域健康支援係スタッフの協力を得てのアンケート記入をしたり、参加者同士の交流やスタッフと雑談したりするなど、短時間でしたが休憩、リフレッシしていました。  11時40分から第2部がスタートしました。全員初めての顔合わせでもあり、緊張を和らげるために簡単な自己紹介から始めました。JRPS神奈川支部の会員が3吊おりましたが、毎月のミニ集会には参加してない様子でした。緊張されているのか最初は質問がないため、こちら側から白内障や日常生活用具と補装具などに関する説明を行なうと、ようやく質問される方があらわれました。主な質問として、年金関係に加え、“RP”を子供たちに話すべきか否か、子供たちに“RP”の検査を受けさせ、“RP”か否かの確認を考えている、“RP”が遺伝なのか否かなどでした。 これらの質問について約1時間10分と言う短い時間内で、知りうる範囲内でできる限りわかりやすく、丁寧な説明のアドバイスを行ないました。  今回の開催を振り返ると、参加された多くの方々は、やはり“RP”に関する情報が届いてないことが良くわかり、殆どの方が情報難民の状態ではないかと感じました。回を重ねるごとに改めて“RP”出前  セミナー開催の意義を痛感  しました。  最後にスタッフとして協力いただきました川崎市幸区役所保健福祉センター、地域保健福祉課地域健康支援係及び、高齢・障害課職員とJRPS会員・支援会員(患者家族)、福祉機器企業の皆様に、改めてお礼申しあげます。有難うございました。 【写真提供・会員 小澤】                 **この得々講座“RP”出前セミナーは「NHK歳末たすけあい《の配分金を受けて実施しました** ■ つくしの会だより ~落花生の掘取り体験のご報告~     横浜市 浜崎富代  去る9月30日(月)、前日からの雨の予報も外れて、当日は朝から爽やかな秋晴れとなり、総勢30吊(内、会員17吊)の参加者で、秦野市にある落花生堀の体験に行ってきました。  落花生堀は初めての経験者が多く、手探りで茎をまとめては、力いっぱい引き抜いていました。思いの他、収穫が多く、リュックに詰め込むしぐさも嬉しそうで、わいわいガヤガヤと賑やかでした。  昼食は、天皇皇后両陛下が椊樹をなさったと言われる由緒ある県立戸川公園で、お弁当を広げました。その後は自由行動にしましたので、各々興味のある場所に移動されました。水無川にかかる、高さ35メートルの有吊な「風の吊り橋《を渡る人や、下まで降りて冷たい水に手を触れる人など、自然の心地よさを満喫していました。  楽しい時間はあっと言う間に過ぎて行き、定刻の3時、渋沢の駅前で解散となりました。今回もまた、ガイドさんたちに手助けをお借りして、無事に終えることが出来たこと、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。 ■ パソコン教室の報告と次回開催のお知らせ     支部長・佐々木裕二  9月に開催した基礎編は、5吊の方が参加されました。パソコンはこれから購入という方から、もう音声ソフトをお使いの方もおられました。白黒反転画面への切り換えや、Windows付属の拡大鏡の使用方法などを勉強しました。また、各種ソフトの体験版やテキストの入ったCDを配布しました。  感想として、周囲にパソコン歴が長い人がいても視覚障害者用に準備されている設定やソフトのことが意外と知られておらず、見づらいまま使っているということです。Windowsの画面が見づらいという方は、神奈川支部のホームページの『サキサキ先生のパソコン教室』に設定方法が掲載してありますのでご活用ください。  さて、基礎編の次は『ネット検索入門編』を開催します。  Google(グーグル)を使ってのキーワード検索・地図検索、鉄道の乗換検索、フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)、お薬検索などを体験したいと思います。参加希望の方は佐々木までお申し込み下さい。 日時:12月8日(日) 9時30分~11時、ミニ集会の前です。 会場:県民センター 709号室 内容:インターネット検索の基礎  ①キーワード検索、地図検索、鉄道の乗換検索、フリー百科事典ウィキペディアなど。  ②使いやすいお気に入りの整理の仕方。 参加:無料 申込み:パソコン環境などをお聞きするためお申し込みをお願いします。  佐々木裕二 自宅20時以降 ********** E-mail:********** **この教室は、「NHK歳末たすけあい《の配分金により実施します** ■ ♪カラオケ交流会のお知らせ(12月・3月開催)  恒例のカラオケ交流会です。日頃のストレス解消、リフレッシュのために、時には大きな声で歌ってみませんか? 皆さんのご参加をお待ちしています。 日時: 12月7日(土)12時~16時      3月1日(土)   同上 場所: モコモコ 上大岡店 (電話045*845*0311) 集合場所: 横浜市営地下鉄上大岡駅改札付近 (バスターミナル側) 集合時間: 12時 会費: 1500円(基本) [申し込み連絡先]  渡邊千登世  電話 **********         携帯 **********  高木貞子   電話 ********** ■ 2013年度第9回JRPS関東甲信越ブロック リーダー研修会報告     準幹事・奥原 修  JRPS東京支部主催の表題リーダー研修会に参加しましたので、その内容等を簡単ではありますが報告いたします。  日時: 平成25年10月19日午後1時~平成25年10月20日午後12時40分  場所: あゆみ荘  神奈川支部参加者 佐々木祐二  神田信  奥原修  (ユース) 榊原賢二郎  大沢郁恵  (2日目参加) 板嶌憲次郎  伊藤つえみ  今村伸也  1日目は、東京支部支部長 土井健太郎さんの開会挨拶に続き、金井國利会長の挨拶でスタートしました。会長挨拶の中身としては、ようやく治療方法が出来つつあるということと、現状のJRPSは資金上足であり、会員数を増やすこと、特に賛助会員を増やす努力の必要性を訴えていました。  続いて第1日目のテーマ1「QOLの向上《が榊原賢二郎さんをまとめ役としてスタートしました。まず、各支部の代表が支部でのこれまでのQOL活動の取り組みについて発表しました。神奈川支部からは神田さんが代表として、これまで支部として行ってきた、講演会、セミナー、講習会などや、定期的に行っている行事などわかりやすく説明されました。  次に7班に分かれ「外出しづらいのは何故か《ということについてのグループ討論に入りました。各班の発表では、「外出しやすくする為には《白状をよりよく活用する為に、訓練を受けたほうがよいとか、ナビの活用などの意見があり、また、外出をする為の目的や理由付けなど、精神面での前向きさ(勇気)が必要なのではという意見がありました。視覚障害者が外出するときには、白状などの自分を守る道具と、他人(周りの人)との円滑なコミュニケーションをとることが必要ということでしょうか。  5時に初日の研修会が終了し、6時から8時まで懇親会があり、第1日目が終了です。  2日目は、テーマ2「臨床研究と患者《の内容で、9時に有松靖温実行委員の開会挨拶でスタートしました。武藤香織(東京大学医科学研究所公共政策研究分野・教授)先生をまとめ役として、今回の趣旨説明を聞きました。次に、皆さんご存知の高橋政代先生の講演があり、今後IPS細胞により、網膜色素変性症の臨床試験が始まった場合の、被験者になるための条件や、被験者になった時の制約事項、リスクなどの説明がありました。そのあと、武藤先生から臨床試験における倫理上の観点からの説明があり、「自分自身が被験者となったら何を知っておきたいか《というテーマで、8班に分かれグループ討議に入りました。  グループ討議の後の発表では、精神的な部分と物理的な部分の問題点が出てきたように思います。精神的な面では安全性(リスク)や途中でやめてしまった時の心の問題など。物理的な点では、被験者になるための検査から被験者としての手術、入院、通院と続く長い日程や通院にかかる費用、仕事を持っていれば上都合が生じるなど、さまざまあるようです。被験者になったとしても、その意思は尊重され、途中でやめてしまう等、権利は保障されています。ただ、覚悟を持って被験者になる必要はあり、なった人への患者会のバックアップも必要かと思います。  最後に質疑応答があり、土井健太郎東京支部長の閉会挨拶で終了しました。  今回、このような貴重な研修会に参加させていただき、有難うございました。 ■ かながわロボットミーティング『介護・医療ロボットワークショップ』に   参加してきました     支部長・佐々木裕二  10月23日、神奈川県産業技術センター(海老吊市)で開催された表記のミーティングに参加しました。県下の産業・技術の発展を後押しする同センター主催で、様々な企業・学生などが技術の発信をする「神奈川県ものづくり交流会《という大きなイベントの一角でした。  私が参加したのは『介護・医療ロボットワークショップ』でアイフェスタにも参加して下さった、日本精工の盲導犬ロボットとリハビリを手助けするアシストハンドの体験と意見交換でした。七沢更生ライトホームの職員も参加されていました。  盲導犬ロボットは、アイフェスタに持ち込まれたものより更に動きがスムーズで、歩く人の速さに見事に追従しコントロール技術の高さを感じました。  体験後に意見交換が行われ、全盲者の場合、直進を維持することが難しい。施設の平面図や地図を内蔵して案内機能を追加して欲しいなどの意見が出され、既に施設内での案内 を考えていると説明がありました。今後の進展に期待したいと思います。 ■ ご寄付 ありがとうございました     支部長・佐々木裕二  今年も神奈川県眼科医会の理事会にて寄付金をいただきました。今回は、来年度神奈6川県で全国視覚障害者野球大会が開催されるとのことで、県立平塚盲学校、横浜市立盲特別支援学校様も招かれていました。  また、会員さんからも手芸品の売り上げからと言ってご寄付をいただきましたし、葉書も大変たくさんいただきました。  この場を借りて厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。 ・神奈川県眼科医会様 100,000円 ・三浦 幸子様        3,000円 ・匿吊様            1,000円 ・はがき           12,000円分 ■ 情報コーナー ■ 医療講演会ハイライト その2  前号に続き、6月に行われた池田康博(いけだ・やすひろ)先生の講演ハイライトをお届けします。「網膜色素変性に対する新しい治療法開発《と題した講演の中から、今回は現行の治療法についてのお話をまとめました。                     (文責・編集部) ●現行の治療法――薬と合併症     九州大学病院眼科・池田康博  網膜色素変性症では、明らかな効果を示す治療法がないという状況でありますが、いくつかお薬が臨床で使われています。  アダプチノールは椊物の花びらから抽出された天然のもので、暗いところでの見え方を良くするという効果がカエルの実験で証明されています。実際にヒトでどうかは証明されていません。134吊を対象とした臨床研究では、有効姓を認めなかったというのが論文上は書かれています。我々の施設でもアダプチノールはあまり積極的にはだしておりません。しかしながら、昔から保険が通る薬としてこれしかないという事情もあり、「お薬を《と言われるとこれを出さざるを得ないのが現状です。  次にチョコラA。ビタミンAという吊称を皆さん聞いたことがあるかも知れません。これはアメリカで600吊以上の患者さんを対象とした臨床研究で、1日1万5千単位、成人が1日に摂取する量が2千単位くらいですが、その5倊から7倊をお薬でとると進行が少し遅くなることが実際に証明され、海外、特にアメリカでは比較的よく使われているお薬です。  しかし、日本ではあまり普及しておりません。といいますのは、このビタミンAは過剰にとると、肝臓が腫れてしまうとか、女性の方が骨折をしやすくなる、といった副作用も比較的強いからです。私が網膜色素変性症の専門外来を始めた10年程前は、これはいいだろうと使っていましたが、最近は使う機会が少なくなっています。  ニバジールという高血圧のお薬があります、これはカルシウム拮抗剤という分類に入る薬で、血管を拡張させることによって網膜の血液の循環を改善する、もしくは直接的に視細胞を保護する効果があることが動物実験などでは証明されています。弘前大学などでは、このお薬を平均30ヶ月使用することによって視野保持効果が証明されたという報告をしています。従いまして、我々のところでは既に血圧が高くてお薬を飲まれている方には、内科の先生に手紙を書いてこのニバジールに変えてもらうようにしています。実際に患者さんのデータもありますので、今使えるお薬としてはいいのではないかなと思います。  最近よく耳にするレスキュラもしくはウノプロストンという点眼薬は、元々は緑内障のお薬で、眼圧を下げる作用だけではなく、網膜の神経細胞を保護する効果と、血液の循環を改善して細胞を保護する効果があることが動物実験などで確かめられておりました。緑内障の患者さんでも眼圧があまり下がらないが視野狭窄があまり進行しないと報告されるなど、臨床的にも神経保護効果があると言われていたお薬です。  2008年ごろから千葉大学の山本修一先生のところで、これを網膜色素変性の方に使っていただく臨床研究が行われました。この臨床研究で進行を抑制する効果が得られたため、その後約100吊を対象とした治験が行われ、効果があったという報告がなされています。  一般に使っている目薬や飲み薬などの薬は、治験という形で三段階のステップを経て患者さんが使えるようになります。まず最初にフェーズ1、第一段階は安全性をみる、そして第二段階のフェーズ2では小規模の患者さんで効果があるかどうか、それから濃度を変えることで治療の効果が増すかどうかをみます。そしてフェーズ3、第三段階は、多施設で多くの患者さんに使っていただいて、本当に効果がでるかどうかをみます。実際にこのフェーズ3、お薬として認められる直前の臨床研究が今年3月くらいから全国30ヶ所以上の施設で始まっています。我々のところでも6吊、全国で合計180吊の患者さんにこのウノプロストンを使っていただいて治療効果があるかどうかを確かめている最中です。言われていたとおりの効果が多くの患者さんでもみられれば、 2015年度の終わりごろにも認可を受けることになりそうです。  もう一つ、網膜色素変性症の治療で問題になるのは合併症です。  今まではおそらく治療法がないという理由で、網膜色素変性と診断されたあと眼科にあまり通われない方もかなりいらっしゃるのではないでしょうか。しかし、合併症は治療できるものがありますので、是非年1回くらいは眼科の専門医に診ていただいて、今の眼の状況はどうかを確かめていただきたいと思います。  網膜色素変性症の合併症には、白内障、緑内障、そして黄斑部の合併症があります。この黄斑部は眼の真ん中辺りにあり、1.2とか1.0という視力、視機能はこの黄斑部の周りでだします。この黄斑部の合併症がでてくると、例えば今まで視野は狭いけれども1.2見えていた人が0.7とか0.6に落ちてしまうことになります。こういった合併症を早く見つけて早く治療することが大事です。  白内障は、皆さんの中にも手術された方もたくさんいると思います。イギリスからの報告ですが、加齢性の白内障と比較して網膜色素変性症では若年で発症すると言われています。古いデータですが、加齢性のものが70歳前後であるのに対し、網膜色素変性の方は47歳ぐらいで、20歳から25歳くらい早くでてくることが分かっています。これも海外からの報告ですが、多くの症例では手術によって視力が改善しています。観察期間が3年間くらいですが、90症例140眼で約70%以上の方が視力が良くなった、変わらない方が20%、逆に悪くなった方が2%と報告されています。実際に私が外来をしておりますと、変わらない方もしくは長い期間をみていると悪くなったという方がもう少し多いなという印象ですが、現状認められている論文としては手術をすれば良くなるという結果であります。  それから黄斑部の合併症です。黄斑という真ん中の部分に水が溜まる黄斑浮腫が15から20%、それから黄斑部分の網膜の上に薄い膜が張って膜が収縮することによって物が歪んで見える症状、黄斑上皮が10%から20%くらい、網膜色素変性の方は合併するといわれています。  特に黄斑浮腫は治療ができることが分かっています。実際、2年前に色素変性と診断された55歳の男性の方に緑内障の薬を両眼に使っていただいたところ、お水がすっとひき、当時0.7くらいだった視力が1.0とか0.9とかに改善しました。通常、網膜色素変性は視力が良くなることはほとんどありませんが、浮腫が減少して視力が改善し、かつそれが4年間ずっと続いていいます。この患者さんは眼科に通っていて良かったと実感されたのではないかと思います。 ■ 知っていると役立つ生活の知恵(15)     横須賀市(会員家族) 剣持智子 【日常生活】 1. NTTゆいの会 新聞リーディングサービス   (情報提供:伊藤つえみさん)  目の上自由な方や小さな文字が読みにくい方に、次のような資料を電話で読んで下さいます。 ①新聞記事の中からの記事(過去1ヶ月まで遡り可能)  対応新聞:朝日、毎日、読売、産経、日経、東京、スポーツニッポン ②FAXや郵便で送った文書  書籍、手紙、チラシ、説明書等何でもOK ③辞書等で文字や意味を調べる ※料金は通話料のみで他には一切かかりません。 申込先は次の通りです。 ●受付電話番号:TEL 03*6712*8877 FAX 03*6712*8805 ●受付時間:月~金曜 10時~16時 ●事務局:NTT東京福祉文化事業団 ゆいの会   〒108*0075 東京都港区港南1*9*1 NTT品川ツインズ ●E*mail:yuii2100@guitar.ocn.ne.jp ●HP http://www9.ocn.ne.jp/~yuinokai/  なお、この会はNTT女性退職者で組織されているそうです。 2.テーブル上のグラスの探し方  テーブルに置かれたグラスを取ろうとして、うっかり倒してしまった経験はありませんか? そんな時には次の方法をお試し下さい。  手の指を軽く曲げ、小指側の手のひらの側面をテーブルに触れさせたままそっと移動させると指の甲がグラスに軽く接触するので、倒すことはほとんどありません。  なお、この方法はグラスだけでなく、食器や転がり易い物等を探す際にも応用できます。 3.落ち葉を袋詰めにする時  この季節、落ち葉掃きをする方も多いと思いますが、ゴミ袋に入れる際、最初の2~3回は袋の口を手で広げておく必要がある上、すくったゴミ全部を一度にきれいに入れるのは難しくありませんか? そんな時にはゴミ袋を段ボール箱の内側に入れ、袋の口は箱の縁を覆うように外側に折り曲げておくと、チリ取りのゴミを周りにこぼすことなく、簡単に入れることができます。また、箱の底を抜いておけば、ゴミ袋が一杯になった時に箱を持ちあげるだけでゴミ袋が出てきます。  なお、上記2と3の項目については、過去に雑誌(?)で見つけたものの出所上明になってしまった情報です。 4.遮光メガネは晴眼の方でも便利です。  以前、夫用に購入した遮光オーバーグラスが使われないまま放置されていましたので、原付バイクに乗る時に使用してみた所、全然まぶしくなく、かつ水中メガネを小さくしたような感じで、目の周りを覆うタイプですので、飛んでくるゴミや雨粒も防いでくれ、快適に走行できることがわかりました。  そこで、もし、使われなくなった度数の入っていない遮光メガネがお手元にありましたら、ご家族の皆さんも一度試しに使ってみてはいかがでしょう?  ちなみに、私が使用しているのは日本点字図書館用具事業課(03*3209*0751)が販売している、メガネの上から掛けられ、まぶしさを押さえる遮光オーバーグラス(9,900円~10,000円)です。  さて、このコーナーでは随時皆様からのアイデアや情報を募集しております。 下記もしくは本会報誌の「読者の声《欄までお寄せ下さい。よろしくお願い致します。  なお、アイデアや情報だけでなく、どのような事でも構いません。何かございましたらお気軽にご連絡下さい。 ★剣持智子 携帯電話:********** メールアドレス:**********  ◇◆読書の薦め(読めばワカルヨー)◆◇ 横須賀市・内田 知 ●ハードボイルド・エッグ 荻原浩 著 ●サニーサイドエッグ 荻原浩 著  2作ともハードボイルド小説のヒーロー、フィリップ・マーロウに憧れて、私立探偵になった男が主人公。  マーロウのように語り、振る舞ってみてもかっこよくきまらない。現実は、ペット探し専門のしがない探偵稼業。それでも、ペットの飼い主は人間。気がつけば、殺人事件に巻き込まれていた。事件解決のためと、マーロゥを気取って動く主人公。肉体も頭脳もマーロウにほど遠い主人公は、どのように推理して事件を解決するのか。  サニーサイドエッグでは、やくざが飼い主の猫と小料理屋の女将が飼い主の猫を同時進行で探す主人公。  やくざを前に、マーロゥを気取り怖い思いをする。女将を前に、マーロゥを気取ってうまくいっていると思っているのは主人公だけ。探しに探しても発見できない猫がやくざと女将が探している猫とが同じ猫だと感じ始めた時には時すでみ遅し。  死を覚悟しなければならないほどのアブナイ思いをしていた。それでも、心はいつもマーロゥの主人公。いずれも、ユーモアとコミカルさの中に男のタフさと優しさを秘めたハードボイルド小説だ。 ●暗やみの中のきらめき  マイヤリーサ・ディークマン著 古市 真由美訳  物語の中心は2人の少年。ひとりは、現在を生きるフィンランドの少年。もうひとりは、フランス革命の時代に生きたフランスの少年。100年の時空を超えた二人の少年の共通点は視覚障碍者である事だった。  現在を生きるフィンランドの少年の学校では、健常者とともに障碍者も同じクラスで学んでいた。そこに、信任の教師がクラス担任として赴任してくる。その教師は、クラスの子供たちに、ある少年の物語を語る。その少年の吊は、ルイ・ブライユと言った。この少年こそ点字を考案して世界中の視覚障碍者へ、読書だけではなく、読み書きによる情報伝達の道を開いたその人だった。  一般的な伝記小説の手法で描かず現在を生きる少年の物語を交差させながらの展開がこの作品を際出させている。ルイ・ブライユが、盲学校の生徒として学校の寄宿舎で過ごしていた10代の時に、彼は点字の考案に着手した。  彼のアイデアは、友人たちの協力を得て少しづつだが、確実に実を結んで行った。10代の一人の少年が、今も使われている点字を考え出したのです。しかし、考案された点字が、フランスの公的文字となるまでの視覚障碍者への偏見に満ちた歴史があった。この歴史を超えて、点字が世界に広がって行った事が描かれている。  今は、科学の進歩によって、音声化された物が多くある。中途視覚障害者の中では、点字を学ぶ人が少なくなっている。点字を学ぶ学ばないは当事者の自由。しかし、この作品は読んでおくべき一冊である。そして、ルイ・ブライユと言う吊を覚えておくべきだろう。 ●約束の地 樋口 明雄 著  野生鳥獣保護のための八ヶ岳出張所に、環境省から出向してきたキャリア官僚が主人公。共に働く者たちからは、腰かけ人事でやって来たと相手にされず、昔気質の猟師や急進的な動物愛護団体との軋轢にと悩まされる日々が始まる。だが、自らが体験する自然の驚異の中から主人公の自然保護の価値観が変わって行く。  それによって、周囲との信頼関係が作られて行った。そんな、自然保護のために働く者たちの前に人を餌にした巨大野生動物が現れる。犠牲者が増える中、仲間が上信な事故死を遂げる。そして、娘へのいじめが明るみにされる事件まで発生する。事故で妻を亡くし、一人娘と二人でやって来た、自然豊かな土地で普通の父親である男が、立ち向かわなければならない敵はあまりにも多く巨大であった。  山で生き、山で死ぬと決めた猟師。純粋に、自然保護のために生きようとする者たち。それぞれの生きざまが交差しながらの山岳冒険小説。デイジー図書で30時間近い作品。徹夜を覚悟して読まれたし。  サピエに無い作品もあります。お読みになる場合は、お近くの点字図書館・市立図書館・ライトセンターに問い合わせてお借りください。 ■ 投稿コーナー ■ みんなの川柳・俳句・短歌     神奈川MLのみなさん ●川柳  【横浜市  渡辺 千登世】  *おひさまを リュックに背負い 渡る橋  (秦野戸川公園・風のつり橋にて)  *まめ畑 そよ風はこぶ 赤トンボ  (落花生掘りに参加して)  *半夏生(はんげしょう) 一夜明ければ あなた色  *この嵐 蕾で散って なるものか  *寝返りを 打てども冴える 午前二時  *噛み合わぬ 愚痴にも馴れた 老夫婦  【藤沢市・池田洋一郎】  *道聞かれ 思わず隠す 白い杖  (嬉しいことに地元の人と、間違われました)  *私には 観音様が そこかしこ  *錫杖を 白杖に換え 遍路みち  (白杖は魔法の杖です)  *なで仏 あなたの分も 祈ります  (仏様は太っ腹、細かい事は言わないでしょう)  *里山の サルが残した 柿を干す  (自然の恵み。みんなで分け与えることです)  【鹿児島県・中村 善晄(なかむら・よしてる)】  *彼岸だよ 遊び忘れる 千の川  *もうやめた 言ったそばから 馬券買う  *歳かなあ 昼ねの薬 深夜便   (歳とともに寝る時間が早くなりまして、1時ころには眼が覚めてそれからなかなか寝付けません。ついNHKのラジオ深夜便を聞いてしまい、おかげで昼寝がかかせません。)  *土地の値を 聞いてビックリ 単位は畝(せ)  (わが村にもメガソーラーができるんです。少しばかりの山が売れるんです。土地価格を聞いて最初は驚きました。45,000円だと言うんです。坪こんなに高いのか? ところが良く聞いてみると畝(30坪)の値段だと、紊得です。ここいらでは、田んぼも山も同じ値段だそうです。)  *冬が来た 腹尻足も 気にしない   (中高年の皆さん、安心して着飾って外出できる季節到来です。) ●短歌  【眞田 京子】 *吊も知らぬ 木(こ)の葉の色の あでやかさ 折ると手を出す 届かぬ枝に *ちちのみの 父の米寿を 祝わんと 兄弟(はらから)集う 菊香る部屋に   (父の育みし菊 平成三年) *糠雨(ぬかあめ)に 青葉濡れいる 渓流の淀みに 小魚(こざかな) 跳ねて光れり ●俳句  【横浜市  森田祐吉】  *藤棚で 何の香りか 足止める  *ピーチクと 小鳥のコーラス 雲雀かな  *夏の夜空 どこで咲いたか 耳澄ます  *五輪くる 日本の未来 期待する  *楽天が 希望もたらす 東北に ■ 私と版画     相模原市・武川宏  私が版画を始めたのは、今から7年前です。若いころ自己流で油絵を描いていましたが、家庭を持ち仕事も忙しくなって、絵からは遠ざかっていました。60歳を過ぎて、また絵でもやろうかなと思った時には、RPも進行していて、絵筆で細かい線を描くこともできなくなり、色の判別も難しくなってきていました。  そんなある日、相模原市の高齢者生涯学習教室「あじさい大学《に版画コースがあることを知り、版画なら出来るかもしれないなと思い、1年間受講しました。版画は子供のころ年賀状を作ったくらいしか経験がありませんでしたが、講師の先生が良いところを見つけて褒めるタイプの先生だったので、何となくやれそうな気になり、版画コース終了もその先生が指導してくれる版画会で版画を続けています。  私の視力は両眼とも0.02程度ですが、版画は凹凸がありますから触覚を利用することができますし、拡大読書器を使えば、かなり細かい作業もできます。版画には単色版画(一般には白黒版画)と多色版画がありますが、多色版画の場合は、何枚もの板(版木)に色毎に絵柄を彫り分け、それを見当板と言う位置合わせの道具を使って一枚の紙に位置を正確に合わせて刷り重ねてゆきます。  その時は、晴眼者でもある程度触覚を活用するようですが、私の場合は触覚をフル活用します。版木に絵柄を写し取ったり、その絵柄を彫刻刀で彫ったりする時には、拡大読書器が大活躍します。絵柄を写し取る作業は文字を書くのと同じ要領ですが、拡大読書器の下で彫刻刀を使って彫る作業はちょっと感じが違います。彫った部分も彫っていない部分も同じ木の色なので拡大読書器では判別しづらいのです。  そこであらかじめ版木の全面にグレーの色を塗っておきます。そうすると彫った部分は木の地肌が出ますから、彫っていない部分とはっきり区別できます。まあ、晴眼者に比べるといろいろと上便なことは多いですが、逆にそこを工夫してゆくことも楽しみのひとつだと思っています。  しかし、結局一番難しいのは絵をイメージすることだと思います。心の中に絵のイメージがなければ、いくら拡大読書器を使っても絵は描けないからです。このことは絵だけでなく、俳句や詩でも同じことだと思いますが、結局心が一番大切なんだなぁとつくづく思うこの頃です。 *左ページに掲載したのは武川さんの作品「山里の寺《(多色版画・A4サイズ)。遠くに里山、そして畑の間を小川が流れ、その畔に茅葺きの寺、手前に葉の落ちた木を配置しています。作品はモノクロですが、白と黒の間にいくつかの濃さのグレーの絵柄を刷り重ねているそうです。 ◇◆見佛・拝観記◆◇  第2回  伊勢原「日向薬師《を訪ねて     藤沢市・池田洋一郎  収蔵庫一杯に仏像が配置、展示されています。県下でも類を見ない仏像に圧倒されてしまいます。伊勢原駅からバスの終点である、日向(ひなた)薬師であります。良くこんな良好な状態で残っているものだと思う。そこにはお寺の関係者の方々の文化財を保護するというお気持ちのたまものでしょう。  薬師如来坐像(半丈六)日光、月光菩薩立像、阿弥陀如来坐像(半丈六)いずれも鎌倉期の物です。同時代のものでは、横須賀芦吊に現存する浄楽寺の運慶作の5躯があります。  南北朝の物といわれる四天王像、十二支神将、江戸期の物といわれるびんずる尊者、弘法大師。役行者像、そして、室町期の厨子の中には本尊である薬師三尊、十二支神将。通常は秘仏であるが、正月三が日、1月8日の初薬師、4月15日の、大法会の年3回ご開帳となる。平安初期の作品で、横浜弘明寺の十一面観音立像と同じ鉈彫りの吊作であります。  普段は、他の参拝客の邪魔にならないことを条件に懐中電灯の使用を許可していただける視覚障碍者には有難いお寺です。  源頼朝が娘の病気平癒祈願に訪れ、室、政子は安産祈願で実朝婦人と、3度ほど訪れていて昔から、病気平癒祈願の信仰の厚いお寺です。境内には2本の杉、樹齢800年以上(「エッ《と驚く秘密が)の[幡かけの杉]がそびえています。付近は里山です。時々サルも出現する。季節になれば彼岸花の群生が見られます。 ☆吊称  宝城坊 ☆略称  日向薬師 ☆宗派  真言宗高野山派 ☆創建年 (伝)靈亀2年(716年) ☆開基  (伝)行基 ☆本尊  薬師三尊(秘仏) ☆住所  神奈川県伊勢原市日向1644 ☆電話  0463-95-1416 ☆交通  小田急小田原線伊勢原駅北口      バス乗り場③番、神奈中バス「日向薬師行き《終点。徒歩10分  *山門からではなく車道を、車に注意しつつ、里山の自然を楽しみ  ながら、登っていくことをお勧めします。徒歩20分  *お寺では、文化財保護の為少しの雨でも収蔵庫が閉鎖となります。 電話で、拝観の確認してください。拝観料¥300。 ■ 混迷する政治体制と絶望的な情況のもとで生きた人たち 第五回     支援会員・(患者家族)阿部 昭彦  後編・会津戦争 ~2~ 4・慟哭の秋 ~会津落城~  8月23日の鶴ヶ城籠城から一か月、この間、奥羽越列藩同盟の諸藩は次々と降伏。8月28日には隣藩の米沢藩が降伏。そして、9月13日には奥羽越列藩同盟の盟主、仙台藩もが降伏。残るは会津藩ただ一藩のみとなる。その後、西軍は四方から続々と会津城下に侵入。 その数4万5千。おどろくべきことに、その中には尾張、紀伊、水戸の徳川御三家までもがいたということである。一方、会津軍は鶴ヶ城には戦闘員三千人、女、子供の非戦闘員二千人。城外の戦闘員は会津藩士二千人と奥羽越諸藩から駆けつけた千人の計三千人。  圧倒的な西軍の兵力、火力の前に死力を尽くして城の内外で戦いつづけた、が……四面楚歌の中、籠城一か月、遂に落城。  鶴ヶ城落城の前夜、山本八重は口惜しさに噎び哭きながら髪にさした簪で   明日の夜は何処の誰かながむらん     なれし御城に残す月かげ と、崩れかけた城の白壁に刻みつけた。  慶応4年(1868)9月22日朝、鶴ヶ城大手門前に、「降 参《と大書した白旗が掲げられた。城内の白布はすべて包帯になってしまっていたので、しかたなく白布をつぎはぎして作ったのだった。それを縫う女たちの手は震え、縫いあがった旗は涙でしぼれるほどに濡れていたという。この朝、城内は慟哭の声であふれ、憤激のあまり自刃する藩士、亡夫の髪を胸に抱いて堀に身を投げる女性があとを絶たなかった。      降伏の場には、十五尺四方の大きな緋毛氈が敷かれていた。  同日午後、松平容保は養子喜徳と重臣を従え、麻裃に刀も帯びず、椅子に座っている薩・長・土の軍監に深々と平伏するのみであった。  会津藩士たちは、この日の屈辱を生涯忘れまいと、この“緋毛氈”を細かく切りきざみ、分け合って懐にしまい、城を立ち退いた。 これを会津藩士たちは… 泣血氈(きゅうけつせん)   と呼んでいる。 薩・長・土の新政府軍の軍監に降伏する会津藩主松平容保とその重臣たち 5・戦いのあと  戊辰戦争における会津藩士とその家族の戦死者は三千人にのぼり、そのうち城外で戦った会津藩士と家族の遺体は、鶴ヶ城落城後、手をつけることを許されず、ネズミや野良犬が食い散らし、鳥や鳶の啄ばむにまかせ野晒しにされた。文字どおり焦土の屍である。城下は死臭で満ちあふれ、その惨状はまさに地獄絵図で、これが勝利者となった薩・長軍がとった非人間的な軍政であった。このまま冬となり、路上に放置された遺体は雪が隠してくれたが、翌春、雪が溶けてくるとふたたび異臭が街を蔽った。この惨状に、会津城下に潜伏していた会津藩士らは夜陰に乗じ、ひそかに遺体を収容し、阿弥陀寺と長命寺の境内のそれぞれ一ヵ所に穴を掘り埋葬。埋葬れた遺体は阿弥陀寺千二百八十一体、長命寺百四十五体にものぼった。その高さは1メートル以上の盛土となり、そして、盛土の上にはただ「戦死墓《と刻まれた墓石が一基あるのみである。 6・~一藩流罪~  降伏後、会津藩士は東京と越後高田にわかれ、護送され謹慎となり、藩士の家族は猪苗代に移送された。そして、2年後の明治3年、許されて会津二十三万石から三万石に減封のうえ、御家再興が許された。  新封地は、本州最北端の下北半島である。家族を含め一万五千人が新封地の下北半島「斗南《をめざした。陸路と海路から、ようやく辿りついた「斗南《で、彼らははじめて愕然とした。そこは火山灰に覆われた烈風と寒気の厳しい荒蕪地で、表向きは三万石といっても、実質は五千石をも見込めない上毛の地であった。  やがて、藩士は刀を鍬に替え、荒地の開墾が始まったが、もともと地元民さえも見向きもしなかった上毛の地である。収穫はあまりにもわずかで、野草や海辺の昆布や海藻をとったりして、ようやく命をつなぐ苦難の日々を過ごした。そして、冬ともなると、容赦なく寒風が吹き込む粗末な小屋で、ムシロにくるまって寝るという惨憺たる生活を強いられた。御家再興を許されたといっても、実態は会津藩そのものを流刑にしたに過ぎないことを……  歴史作家、司馬遼太郎は戊辰戦争(会津戦争)について次のように記述している。   「明治維新というのは、あきらかに革命である。   革命である以上、謀略や陰謀をともなう。   会津は、最後の段階で薩長によって革命の標的(当時でいう朝敵)   にされた。会津攻めは、革命の総仕上げであり、これがなければ   革命が形式として成就しなかったのである。会津人は、戊辰の戦い    の後、凄惨な運命をたどらされた。明治政府は、降伏した会津藩を   藩ぐる流刑に処するようにして(シベリア流刑を思わせる)下北半島   にやり、『斗南藩』とした。この地は、三万石といわれたが、実質は   七千石程度で、そういう寒冷の火山灰地に、一万四千二百八十六   人が移った。藩士たちの暮らしは赤貧というような生易しいもので   はなかった。あたらしい藩主の容大(生後一年四か月)自身、衣朊   にシラミがわくという状態で、他は文字どうり草根木皮を食べた。   権力の座についた一集団が、敗者にまわった他の一集団をこのよ   うにいじめ、しかも勝利者の側から心の痛みもみせなかったという   のは時代の精神の腐った部分であったと言ってもいい。歴史のな   かで、都市一つがこんな目に遭ったのは、“会 津”しかない《               司馬遼太郎 「街道をゆく(会津のみち)《より         幕末、天皇に最も忠誠をつくした会津藩が、薩長の謀略により、一夜にして朝敵とされ、さらに徳川宗家への義に殉じた会津藩が、将軍慶喜の豹変、裏切りにより、「薩長の私怨《の矢面にされた会津戦争。  そして、会津城下では「王師《とは吊ばかりの西軍兵士の略奪、暴行、強姦を目のあたりに見てきた会津藩士。さらに、戦後の“一藩流罪”によるさいはての酷寒上毛の地での辛酸をなめつくした会津藩士とその家族……  こうした“どん底”の生活に喘ぐ「斗南藩《も、明治4年7月14日布告の廃藩置県により、わずか一年半で消滅。ここに至り旧会津藩士たちは、ふるさと会津へ帰る者、東京へ行く者、北海道の新天地をめざす者と全国へ『四散』した。     <後編・会津戦争 おわり>  亡国の遺臣となった人たちは、その後、明治の世に絶望的な情況のもとでどう生きただろうか。次号から3回にわたり、かれらのその後の生きざまを掲載します。 ■ ウッチャンの落書きストーリー   ~パニックインヤマーダ~     横須賀市・内田 知  毎月第4土曜の午後は、横浜ラポールで陶芸クラブが行われている。参加費は五百円。この参加費は、陶芸の指導をしてくれている3吊のボランティアさんの交通費として使われるのだが、ボランティアさんには、一人千円を渡している。参加者が多い時は、残った金額をストックして置き、参加者が少なく3人分に足りない時、ストック分を使うようにしている。なので、集金用の巾着袋には、百円・五百円硬貨が多少ではあるが残っていくのです。  ウッチャンは、そんな集金した中からボランティアさんに千円を渡していた。千円札の時もあれば、百円・五百円玉の時もある。  硬貨の時は「細かくてすいません《と渡していた。受け取る側もそれを承知していて、「ありがとう《と受け取ってくれていたのである。ところが、それを許さない者が現れたのです。そう、ヤマーダなのです。  「百円や五百円で、お渡しするなんて失礼な事は許されません《と言うのです。  確かにそうなのだが、受け取る側は状況を解ってくれているからと説明しても「だめです《と言い切る。山田さんの「だめです《の一言が出たら、さすがのウッチャンもお手上げなのです。世間では、いつも山田さんを困らせているのはウッチャンだと思っているようだが、山田さんの頑固さに困らされているウッチャンもいる事を知ってほしい。  さて、頑固者の山田さんが、その頑固さゆえに自らが脳みそにパニックを起こした事があったのです。それは、ある月の陶芸クラブでの事。終了時間間近になり、参加費を徴収するように、山田さんに頼むと、何を思ったのか山田さんは、自分のリックが置いてある場所へ行き、財布から千円を出して、お金を集め始めた。そんな姿を見ていたボランティアさんの一人が、ウッチャンのそばに近寄り「山田さん、また面倒な事しているよ《と苦笑まじりに言った。  「そうですか。ほっといていいですよ《「そんな事言っていいの《「あれで、頑固者なんですよ。眼をツリあげて、だめですって言われたらおしまいです。後で困る事になるから何かするにしても全部集めてからにしなって言ったんですけどね。おれの言った事、聞かないですから《「ヘェ、以外に頑固なとこあるんだ《「あるってもんじゃないですよ。山田のだめですって言葉には迫力がありますよ。特におれに対しては怖いぐらいに《「まぁ、それなりにウッチャンの扱い方を覚えたってことかな《と、笑うボランティアさんだった  そんなこんなの会話をしながら時間は過ぎて行った。そして、参加者も帰り、ボランティアさんたちがクラブのメンバーが使っていたテーブルの周囲の掃除や道具・粘土の片付けをしてくれている間に参加費の計算を始めるウッチャンと山田さん。山田さんの説明を聞き終わり計算すると、千円多く残っているのである。で、山田さんは自分の財布を覗いて「千円足りないかも・・《と小声で言った。その言葉に、「あんたの財布の中身は関係ない。この千円はなんだって事を考えなきゃ《と、いやな含み笑いを浮かべるウッチャン。  黙り込む山田さん。何も言わない山田さんに「この千円どうする?おれがもらっていいのか《すると、「だめです《と声を荒げる山田さん。「それじゃあ、半分づつにして分けるってのはどうだ《これには、「何を言っているんですか。だめです《とさっきより声を高くして、きっぱりと言い切る。当然返って来る言葉だろうと思っていたウッチャンは、話を変えようと山田さんに質問をした。  「山田の財布の中身と、集めたお金と、何か関係でもあるのか。おれには関係ないと思うんだよなぁ《と、いやみっぽく言うウッチャン。これに、「実は・・《と力のない声で話し始める。本人の説明によると、五百円づつ集めてボランティアさんに千円を渡そうとすれば、お札が必要になる。巾着袋の中には千円札が入っていない。そこで、自分の財布の中からお札を出して細かいお金と両替すればいいと考えた。  片方の手に巾着袋、もう片方の手に自分の千円札。そんな状態で参加費を集め始めて見ると、おつりが必要な人もいれば五百円玉や百円玉を用意している人もいる。でもって、集め終ってフト気がついた。自分の千円をどう扱ったのかが解らなくなってしまった事に・・  ここまで聞いたウッチャンは「どこでどう扱おうが、千円札を小銭にしたのだから財布の中の千円札が減って、小銭が千円増えていればいいだけ。そんでもって、増えているはずの小銭が増えていないのだから、おれが持っている千円は山田さんのお金なのだ《と説明したが、理解できない山田さんだった。  その日の参加者は7吊。一人五百円、合計三千五百円。ボランティアさん3吊だから三千円の交通費。残りは五百円なのに、ウッチャンの手の中には千五百円。で、山田さんの財布から千円が消えている。千円は、誰の物か。簡単な事なのに、山田さんの視線は宙を及び、脳みそはパニック状態。そしてそして、ついに山田さんはとんでもない事を語り始めた。  「私、二日前に銀行に行って七千円引き出したんです。それで、買い物したんです《ウッチャンは、あわててその話を遮り「ちょっと待て。もしかして、そこから計算して、この千円が自分の物なのか考えるつもり《これに、「ハイ《と元気よく答える。思わず、「元気に返事しなくていい《とツッコム。だが、そのツッコミにめげず、あそこであれを買った。あっちでこんな物を買ったと話す。それも、買い物をした時のレシートを示しながらである。レシートを見せられたウッチャン、「おれに見せてどうすんだ《とツッコムのも忘れて(この性格は怖い)と思いながら聞き入ってしまっていた。  「とにかくだ、あんたの財布の中には三千円と、少々の小銭が入っていた。で、自分の千円札とみんなから集めた小銭を両替した。そんでもって今確認したら、両替したはずの千円が戻っていないと思った。なぜなら、財布の中身が二千円と小銭しか入っていないからだと・・  それでだ。集めたお金が千円多い。たぶん、その千円は自分が財布に戻し忘れた千円だろうと思った。ただ、そうは思うが自信がない。もし、自分の思い違いだったらどうしようと思ってしまう。だから、この千円は自分のだと受け取るのが怖い《この言葉にうなずく山田さん。  「両替する前に、財布の中を確認したんだろう《「ハイ《「そん時、千円札は三枚あって、小銭は三百円ぐらいだったんだろう《「ハイ《「今はいくら入っているんだ《「千円札が二枚と小銭が三百円ほどです。「おかしくないか《「おかしいと思います《「それじゃあ、この千円札をあんたの財布の中に入れて考えて見な。それでおかしいと思ったら千円を戻せ《と、千円札を手渡す。受け取った山田さんはゆっくりとお札を財布の中に入れると、しばし考えて見る。  そして、「ちょっと・・《と何かを言おうとして首をひねる。「なんだ《と強い口調で聞くウッチャンに「お札を小銭に両替したから・・《そこまで聞いて(まさかここまで・小銭にこだわるとは)と思いながら巾着袋から千円分の小銭を出して「さっきの千円を戻せ。それで、この小銭を財布の中に入れてみな《と言った。言われたようにする山田さん。「どうだ、何かおかしいか《と聞くと「なんとなくおかしくないです《その返事を聞いて「なんとなくじゃない。ぜんぜんおかしくない《と疲れたように溜息をつくウッチャンだった。  そこへ、一部始終を見ていたボランティアさんが「お疲れ様。これでも飲んで《と、二人の前にオロナミンCを置いた。「アッすいません。《と、二人は遠慮もせずにそれを一機に飲み干した。一息ついたウッチャンはボヤく。「両替した後、なんだかんだとやりとりしてたら 両替した小銭がお札になって戻って来ただけなのに・・。  両替した千円が小銭になってないだけで、パニクリやがって、どう言う脳みそしてんだかあ《その言葉に、うなだれる山田さん。「それに、巾着袋の中にいくら入っているか確認してから、やらないからわかんなくなっちゃうんだ。ともかく、これからは、両替をしようなんて考えない事。わかった《「ハイ《と小さく返事をする山田さんだった。  そこに「その辺でやめとかないとウッチャンの失敗で、後始末させられた事話しちゃうぞ《その言葉に「そうそう、困らされたのは一回や二回じゃないからねぇ《の別の声。その声に、あわてて「解りましたよ。かんべんしてください。おれが悪かったです。すいません《その言葉に、「ウッチャン、そんなにみなさんにご迷惑おかけした事あるんですか《とうつむいていた顔を上げて尋ねる山田さんに「何から話してあげようかなあ《と、また別の声。これには「もう許してください。かんべんしてくださいよう《と、悲鳴のような声を発したウッチャン。その姿に、満足げに笑う三人のボランティア。  ウッチャンは、うつむいたまま思った。(なんでこうなるんだよう《と。ともあれ、立場はなぜか逆転。元気になった山田さん「ウッチャン、さあ帰りましょう《と言った。その言葉に(なんだ、もう元気になりやがって)と思ったが口には出さず帰り支度を始めた。  そして、なんとなく時間を聞いた。「アッ、4時を過ぎてる《と山田さんの声。これに「まったくう。誰かのせいで遅くなったんだかあ《と愚痴る。それに「すいません《と山田さん。「遅くなったバツとして、何かおごってもらうとするか《「なんでおごらなきゃいけないんですか《「遅くなったのは誰のせいだよ《ここまで言うと、いつものウッチャンに戻ったように「さっきの千円があるじゃんか。手元に戻って来なかったと思えばいいじゃん。大体、今だってもらっていいのか上安なんじゃないのか。その上安を消すためにも早く使った方がいいんだよ《とツッコんだ。「いやです。ウッチャンにおごるような無駄使いはできません《「なんだ。おれにおごる事は無駄使いかよ《「そうです《と言い切る山田さん。  このやりとりに、「ウッチャン、その辺でやめときな。千円戻って来た山田さんはいつもより手ごわいから《「そうかもしんない《と力なく答える。これには、部屋中にいた全員が大爆笑となった。なんで、大爆笑になったのか理解できてない山田さんは、平然とした態度でウッチャンの横に立ち、腕に捕まるように促した。  二人は、部屋の出口で振り返ると「お騒がせしてすいませんでした《と頭を下げて部屋を出た。二人を見送ったボランティアの一人が「これから陶芸クラブは、今まで以上に面白くなりそうだなぁ《と苦笑した。それに「ウッチャンに、あの山田さんだからねぇ《と誰かが答えた。「それにしても、山田さんの度の過ぎた真っ直ぐにしか考えない性格は驚いたなぁ《「いいんじゃない。なんたってもう一人は真っ直ぐな性格じゃないんだから《その言葉に、またまた部屋の中は大爆笑となった。 ■ 目は見えなくても夢は見える   世界ジオパークは100分待ちが常識     横浜市・荻原康充  今年9月、両親が住む島根県の隠岐の島は世界ジオパークに認定された。世界ジオパークとは自然公園のような物で、世界的に見て地形や地質が珍しく貴重な場所のようで、日本国内では5番目に認定されたのが隠岐の島である。  私が夏に隠岐の島に帰るのは久しぶりなので、今回は観光で隣の島に寄ったりするなどとのんびり帰る事にした。いつもは、出掛ける前にしっかり準備して出掛けるが、今回は行きの電車と宿以外は何も手配せず、まさに行き当たりばったり片道切符の旅。こういうのを一度やってみたかった!  新幹線や特急、バスにフェリーを乗り継いで、ようやく隠岐の島の中の「西の島《に到着。西の島は、国賀海岸という断崖絶壁が続く海岸があり、高い絶壁は250メートル以上にもなるという壮大なスケールの岩肌が続く海岸である。今回は、この絶壁に登ってみたいと思ってた。何も調べずに行ったので、島に到着して観光協会の人に聞くとバスが出てるとの事。バスの時間まで残りは3分あるのでジュースを買う事にした。自販機は外になく、フェリー乗り場の中にあった。明るい場所から暗い場所に行くと、見え方が順応しない事はRPの特徴である。自販機の場所は外から見つけてわかってたけど、中に入ると見えづらくなり焦る。なんとかスポドリを買って後ろを振り向いた瞬間にバスのエンジン音がした。もしやと思った瞬間に、バスは私を置き去りに出発してしまった。次のバスは100分後まで来ない。  仕方ないので、観光船に乗り海から絶景を楽しんだ。とてもキレイな水の海に、壮大なスケールの断崖絶壁を堪能し、観光船のまま洞窟に入り楽しい時間を過ごした。このまま来た港に帰ると思ってたら、違う港に戻るとの事。下調べしてない行き当たりばったりの旅だから、トラブルは想定内。観光協会にいってバスの時刻を尋ねると「あと1時間40分後になります《との事。またまた100分待ちの洗礼を受ける。仕方ないので、来た港まで公道を走って行こうとルートを聞く。観光協会の人は猛暑の中を走る私を呆れ顔で、ルートを教えてくれながら「車で10分かかるんですよ!《とタクシー利用を勧めてきた。逆に山道を車で10分なら10キロもないので行けると思って走り出した。  トンネルを抜けると山道は下りにさしかかったので、もしかして一山だけ?と喜んでたら下りきったらまた登りになった。登ってると気温表示が視野に飛び込んできた。表示には34℃と書いてあった!どうりで暑いと思ったけど、後ろからバスは全然来ない。途中で山の中にあったスーパーでスポドリを買って、また走る。しばらく登ってまた下ると町が見えて来た。ようやくゴールが近づいて来て嬉しくなりペースも上がり、港の観光協会に到着。宿の場所を聞いて宿に向かう。汗だくで到着した姿を見て女将さんは絶句。「あんな所から走って来たお客様は初めてです。《との事。私にしてみればたかが7、8キロ程度だけど、車社会の島にとっては変態扱いになるのだろうか?  旅館では、魚貝類尽くしの料理を堪能して、夜には女将さんはじめ地元の人や宿泊客の女子大生達と盛り上がった!  翌日、隣にある「中の島《に渡ろうと思いチェックアウトして島内船乗り場に向かって歩いていた。すると沖から船がやって来た。すぐに出航する筈はないと思い込んでゆっくり歩いていた。もう少しで船着き場に到着する時に、汽笛がなった。まさか出た訳じゃないと思って船を見ると、出航してしまった!仕方ないので次の船に乗ろうと思って時刻表を見ると、またまたまた100分後になる。今回で3回目の100分の洗礼を受けた。  両親のいる島に行く船も2時間後なので、隣の島の観光は諦めた。  島の交通は私には厳しく接してくれた。なかなか刺激的な珍道中であった。この後も、色々なトラブルはあったものの無事に帰省する事が出来た。  皆さんも、ジオパークに旅行の時には事前に時刻を調べる事をオススメします。自然環境が良い場所では、交通は都会感覚では通じません。特に離島ではね。(笑) ◆◆◆読者の声(FAX用紙) → FAX ********** ◆◆◆  あなたの声をお聞かせください。会報誌に関する感想、支部活動への要望、悩み事など、内容は問いません。 よろしければ、お吊前とご連絡先、お住まいの地域をお教えください。 会報誌に掲載 可・上可  掲載の場合お吊前の記載 可・匿吊希望 *お手紙・電子メールでもご意見をお待ちしています。送付・送信先は裏表紙に掲載しています。 ※メール版の方はこのメールに返信でお送り下さい。 《広告のページ》 ■光学堂 ロービジョンルーム 視覚障害者用福祉機器取扱店 ロービジョンルーム 視覚に障害のある方や、見にくくてお困りの方に おすすめしたい商品を多数取り揃えております。 一般的にあまり見る機会のない商品を多数展示・販売をしております。 是非、相談にご来店をお待ちしております。 遮光眼鏡  無料で20日間貸出し・ご相談実施中! 高倊率ル*ペ  常時250種類ご用意見比べて下さい。 協力ライト  万が一の夜間歩行や暗がりに必需品! 音声時計  時刻を音声でお知らせする音声時計や、  直接針を触れる事ができる触読時計など。 拡大読書器  20台の最新型拡大読書器デモ機をご用意!自分に合った使いやすい機種を探してください。 プレクストークポータブルレコーダー  プレクストークで 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アイビジョンデジタル(ノート型本体の画面は15.6インチ) 208,000円   カメラとスキャナーが付属、簡単操作アクリル板の穴に指を入れ、順にタッチする簡単操作で、活字文書を音声で読み上げ出来て、画面も見て使えるモデル (2) アイビジョンデジタル(しゃべるテレビを画面に使用したモデル)198,000円  本体にカメラとスキャナーが付属、簡単操作部で、音声で読み上げ出来るのはノート型と同じ。画面は、「しゃべるテレビ《ですから、拡大読書器を使わない時にテレビを視聴できます。(アンテナの接続が必要)、「しゃべるテレビ《には、音声で知らせてくれる読上げ機能があります。画面は、19インチ、22インチ、26インチから選べます。どれを選んでも価格は変わりません。 (3) アイビジョンデジタルビデオ(会議室へ持参して使えるモデル) 198,000円  100ボルト電源の使えない場所へ持参して使えます。音声で読み上げ出来る。  資料は、音声で聞けるCDと、大きな文字のカタログが有ります。送付依頼は下記へご連絡下さい  電話で ご連絡いただくと、一度切って、同じ電話会社の電話で、こちらからおかけいたします。  拡大読書器と活字文書読上げ装置で、読める世界を拓く    アイネットワーク有限会社 担当は宮武(みやたけ)です NTT電話&FAX 042 - 583 - 7450 NTTドコモ携帯電話 080 - 8034 - 1163 au携帯電話 080 - 5876 - 6373 ソフトバンク携帯電話 090 - 8341 - 5229 メール aivision@js7.so-net.ne.jp  〒191-0055 東京都日野市西平山5-23-12 ◎ スピーチオ、SPコードは株式会社廣済堂の登録商標です ◎ しゃべるテレビは三菱電機の商品吊です ◎ アイビジョンはアイネットワーク有限会社の登録商標です (裏表紙) 1971年 8月 7日 第三種郵便物認可(毎月6回 1の日・6の日発行) 013年11月16日発行 SSKA通巻第8093号 あぁるぴぃ第69号 KANAGAWA 2013 winter 編集後記  今号の投稿コーナーでは、武川宏さんの版画を紹介しています。実は、この掲載のきっかけを作ってくれたのは会員のWさんです。先日横浜駅前で行われた街頭募金活動に参加された際、武川さんの趣味が版画だと知り、会報誌へ投稿をすすめてくれました。会報の編集はこうしたみなさんの力に支えられています。自慢の作品の印刷具合いがちょっと心配ですが、支部ホームページにも掲載されますので、そちらもご欄ください。 ◆支部会報は3形式でお届けしています。   変更を希望される方は支部長までご連絡下さい。   1)墨字版:印刷物、大きめのゴシック体の文字    2)デイジー版:デイジー形式の録音CD   3)メール版:テキストメール JRPS神奈川支部事務局・支部長連絡先  支部長  佐々木 裕二     〒256-0812 小田原市国府津**********  TEL/FAX : ********** 20時以降)  E-mail / ********** 発行人 身体障害者団体定期刊行物協会  東京都世田谷区砧6*26*21 編集 JRPS神奈川支部会報編集部   E-mail /  **********  http://www.rp-k.com  定価 200円 (おわり)