JRPS神奈川支部会報第70号テキスト版 (表紙) 1971年 8月 7日 第三種郵便物認可(毎月6回 1の日・6の日発行) 2014年 2月20日発行 SSKA増刊通巻 第8180号 SSKA あぁるぴぃ第70号 KANAGAWA 2014 spring 私たち自身で 治療法の確立と  生活の質の向上を目指す JRPS神奈川支部 ** この会報誌は「NHK歳末たすけあい《の配分金により作成しています ** (表紙終わり) あぁるぴぃ KANAGAWA 2014 spring ■第70号 目次 ・巻頭言   2 今年JRPSは設立20周年を迎えます! ・神奈川支部の活動   3 総合カレンダー 4 3月の医療講演会のお知らせ 5 総会・医療講演会のお知らせ   6 つくしの会だより 7  カラオケ交流会のお知らせ (3月・6月開催) 8  寄付金の報告とお願い  12 ロボットミーティング参加報告 ・情報コーナー 9  盲導犬ロボットの実証実験  11 医療講演会の抄録その3  14 知っていると役立つ生活の知恵(16)  17 読書の薦め ・投稿コーナー 20 みんなの川柳・俳句・短歌 21 ジュリーライブの投稿文 23 盲導犬がはこんでくれたもの 27 “見仏”のすすめ  28 混迷する政治体制と絶望的な情況のもとで生きた人たち    32 目は見えなくても夢は見える 35 落書きストーリー ◆今月の表紙/銀座でライブ演奏を楽しんだ後の記念撮影です。後列中央が“ジュリー”ことマサトさん。 ■巻頭言  今年JRPSは設立20周年を迎えます!  日本網膜色素変性症協会(JRPS)は1994年5月に発足しました。当時千葉大学教授の安達恵美子先生の呼びかけにより、千葉ライオンズクラブの多大なる支援を受けて、患者・研究者・支援者の3部会で構成されました。  皆様ご存知の通り「私たち自身で治療法の確立と、生活の質の向上を目指す《というスローガンを掲げています。これは単に治療法ができるのを待つのではなく、私たち自身がより積極的に治療法研究や生活の質(QOL)の向上のために自ら努力する、行動する団体であるという、とても高い理想を掲げているものだと思います。  私はここにもう一つ初代会長である小野塚由可会長の言葉「誰かが何かをしてくれるのを待つのではなく、自分に何ができるかを考え実行していきましょう《という言葉をあわせて忘れないようにしてゆきたいと考えています。  今、20年前には想像することのできなかったほどに研究が活発になり、「これからは患者会が重要になってくる《と先生方は異口同音に話されます。あるいは、JRPSが法人格を取得しこれから一層対外的な活動を強めてゆこうとする時です。そういう時であればこそこの原点に返って「私たちの目的は何か? 自分は何ができるのか?《これを会員の皆様一人ひとりに考えていただきたいと強く願っています。  具体的にはJRPSの活動に参加していただくことではないでしょうか? 参加とは行事に参加することだけではありません。皆様一人ひとりのできることでJRPSを活発にしていただくことだと思います。  知恵のある人は知恵で、人脈のある人は人脈で、行動力のある人は行動力で、お金のある人はお金で、JRPSを盛り上げて下さい。それがいよいよJRPSを強くして行くものだと思います。   支部長・佐々木裕二 ■神奈川支部の活動 ■ 総合カレンダー 3月 1日(土)※カラオケ交流会 上大岡 12時~16時  ※ 医療講演会のためミニ集会は中止します。 3月22日(土) 陶芸クラブ 横浜ラポール 13時~ 3月23日(日)※医療講演会 県民センター 会議室402   13時30分~ 4月13日(日) ミニ集会 県民センター703 12時~   部屋変更の可能性があります。1階の案内をご覧下さい。 4月25日(金)※つくしの会「粘土クラフト《作り 県民センター604 4月26日(土) 陶芸クラブ 横浜ラポール 13時~ 5月11日(日) ミニ集会 県民センター709 12時~ 5月18日(日) 会報発送作業 県民センター9階 5月24日(土) 陶芸クラブ 横浜ラポール 13時~ 6月 1日(日)※総会・医療講演会 日本赤十字社神奈川県支部6階 6月 7日(土)※カラオケ交流会 上大岡 12時~16時  ※ …この印の項目は記事が掲載されています。 ◆ミニ集会の会場  ミニ集会は通常、かながわ県民センター(045*312*1121)で開催します。横浜駅西口からヨドバシカメラのビルに向かって進み、その手前の横断歩道を渡ったら、右に曲がります。100mほど進んで高速道路の先の信号のある交差点の左角の建物です。点字ブロックが駅から敷設されています。  なお、かながわ県民活動サポートセンターは、かながわ県民センター内にあります。会報では、県民センターと統一表記しています。 ■3月23日医療講演会のご案内   県民センターで、顧問の青木先生が講演   役員・神田 信  今回の医療講演会は、神奈川支部の顧問をしていただいています青木眼科院長の青木繁先生に私たちの病気、網膜色素変性症について詳しくお話しいただきます。  この病気の基本的なことをはじめ、気を付けなければならない合併症について、遺伝と結婚について、日常生活で留意すべきこと、見えづらさを補い、生活を快適にするための手法、すなわちロービジョンケアの紹介などです。  また、質疑応答の時間を設けますので、日頃困っていること疑問点などお聞きすることができます。顧問の先生ですので、お気軽にお越し下さい。 日時;平成26年3月23日(日曜日)  午後1時30分~ (開場午後1時20分) ※なお、青木先生の講演終了後、福祉機器や大学で研究している視野を拡大するメガネのお知らせも予定しています。 場所;かながわ県民サポートセンター  402号室 お願い;事前に参加人数を把握したいため電子メールで参加希望 人数をお知らせください。(電子メールの環境がない方は 神田携帯**********時以降に連絡下さい) 【申込み先】  メール********** 【申込み期限】 3月15日(土曜日)までにお願いします。 なお、事前に申込みがなくても入場いただけますが、事前申込み制へのご協力をお願いします。 ◆講師略歴:青木眼科 院長 青木繁先生   ・昭和52年 北里大学医学部卒業  ・昭和59年 医学博士  ・昭和59年 社会保険相模野病院眼科部長  ・昭和60年 北里大学医学部講師  ・昭和61年 北里大学東病院眼科主任  ・平成6年  北里大学医療衛生学部助教授  ・平成8年  北里大学東病院にてロービジョン外来開設  ・平成12年 青木眼科開業 ★青木眼科のご案内  住所:相模原市南区相模大野3‐17‐21川井ビル2階 (1階モスバーガー)  最寄駅:小田急線 相模大野駅より徒歩約5分   電話: 042*701*6246 ■総会・医療講演会のお知らせ   6月1日に横浜の日本赤十字社で   支部長・佐々木 裕二  来年度の支部総会と医療講演会の日程が6月1日に決まりました。会場は昨年と同じ日本赤十字社神奈川県支部の会議室をお借りします。例年は午後から総会と医療講演会をまとめて行っていましたが、今回は午前中に総会、午後医療講演会になります。まだ詳しいプログラムは決まっていませんが、皆様是非スケジュールに入れておいて下さいますようお願いします。  なお、医療講演会は千葉大学教授でJRPSの副会長でもあります山本修一先生にお願いしています。現在治験が進む「オキュセバ《や世界中の最新研究情報をお聞きすることができます。 【山本先生の略歴】       現職: 千葉大学大学院医学研究科    眼科学教授、    千葉大学病院副病院長 専門分野:網膜硝子体手術、加齢黄斑変性、糖尿病網膜症、網膜色素変性 資格: 医学博士、日本眼科学会指導医、 日本眼科学会専門医、PDT専門医 略歴: 1983年 千葉大学医学部卒業    1989年 千葉大学大学院医学修了、医学博士    1990年 富山医科薬科大学眼科講師    1991年 米国コロンビア大学眼研究所留学    1994年 富山医科薬科大学助教授    1997年 東邦大学佐倉病院眼科助教授    2001年 東邦大学佐倉病院眼科教授    2003年 千葉大学眼科教授    2005年 千葉大学病院副病院長 ■~つくしの会だより~  「粘土クラフト《作りのお誘い   横浜市・浜崎 富代  厳しかった寒さも日毎に春めいてきましたが、会員の皆さん如何お過ごしでしょうか?今回の「つくしの会《では、久しぶりに室内での手芸を企画しました。今年の干支にちなんで、かわいい馬を作りたいと思います。多数のご参加をお待ちしています。 日時:4月25日(金) 雨天決行 場所:神奈川県民活動サポートセンター 604号室    (ミニ集会と同じ場所です) 時間:10時30分~14時30分 費用:1200円 持ち物:お弁当 飲み物 エプロン 工作バサミ ◆申込締切:3月31日(月) ◆申込先:浜崎富代 電話**********   携帯:**********  なお、上明な点がございましたら、浜崎までお問い合わせ下さい。 ■♪カラオケ交流会のお知らせ (3月・6月開催)  今年も賑やかに、カラオケ交流会を開催いたします。楽しい仲間が、あなたの参加を心待ちにしています。日頃のストレス解消は勿論、リフレッシュできますよ。  さあ、大きな声を出して、一緒に歌いましょう! 日時: 3月1日(土)12時~16時     6月7日(土)   同上 場所: モコモコ 上大岡店 (電話045*845*0311) 集合場所: 横浜市営地下鉄上大岡駅改札付近      (バスターミナル側) 集合時間: 12時 会費: 1500円(基本) [申し込み連絡先]  渡邊 千登世  電話 **********             携帯 **********  高木 貞子    電話 ********** ■ご寄付のお礼とお願い   支部長・佐々木 裕二 ●奥原修様よりテレホンカードを寄付していただきました。  3500円を支部に入金しました。ありがとうございました。 ●書き搊じ葉書、青い鳥郵便葉書などをご寄付下さい。  失敗した年賀状、古い年賀状、青い鳥郵便葉書などで必要ないものがありましたらご寄付下さい。切手などに交換して通信用として使ったり、支部財政に活用したりさせていただきます。 ※ 送付先は裏表紙をご覧下さい。 ※ 「青い鳥郵便葉書《とは、郵便事業株式会社が重度の身体障がい者(1級又は2級の方)などに郵便葉書20枚を無償提供しているものです。4月から5月に郵便局に手帳を持参して申し込んで下さい。(詳しくは郵便局でお尋ね下さい。) ●ご寄付のお願い  ご存知の通り、支部活動の原資の多くは寄付金とNHK歳末たすけあいの義援金で支えられております。より充実した活動のため皆様からのご協力をお願い致します。  支部口座へ直接ご送金下さる方は以下へお願いします。その際は送金したことを支部長または役員までお知らせ下さい。よろしくお願いします。   口座:三井住友銀行 横浜駅前支店     普通預金 7406993   吊義: JRPS神奈川支部 ■情報コーナー ■『盲導犬ロボット』の実証実験に参加しました   支部長・佐々木 裕二  前号で報告した盲導犬ロボットの実証実験に参加しました。これは「さがみロボット産業特区《の生活支援ロボットの実用化に向けた取り組みで、神奈川県からの要請でモニター参加者を支部メーリングリストやホームページで募集協力もしました。モニターの条件概要は視覚障害1・2級、白杖歩行訓練を受けたことのある人などでした。  実験は、七沢の神奈川リハビリテーション病院で行われ、エレベーターホールから会議室までL形の廊下を、ロボットに誘導されて往復するというものでした。ロボットには、フロアの平面図がインプットされており、目的の場所まで音声で誘導してくれます。対象者はその案内を聞いてハンドルを操作し、ロボットを操縦して歩行するというものです。  ロボットの会議室ボタンを押すと「会議室までご案内します《と音声が流れ、次に「左、左、少し左《「まっすぐ、まっすぐ《と音声が流れ、それに従ってハンドルを操作して進みます。  途中、狭くなっている扉部分を通過したり、廊下の角を曲がったり、他の部屋のドアが開いていたり関門?がいくつかあり、目的の会議室までは34メートルだったそうです。  私はまだ中心視野が少しあるのですが、視力ではなくロボットの案内音声に従って運転?しました。しかし、残念ながら会議室に到着するまで4度やり直すことになりました。  原因は、ロボットが自分の位置を見失ってしまったからだとのことでした。ロボットは、車輪の回転やセンサーの情報で平面図のどの位置にいるかを計算しているとのことですが、車輪のスリップが大きかったりすると地図とのマッチングができなくなるのだそうです。  まだまだ課題の多いことを感じましたが、初めての施設で目的地まで案内してくれるロボットが完成したら、忙しい人に案内を頼むこともなく、気兼ねなく利用できるのではないかと期待するものです。その夜NHKテレビで紹介されていて驚きました。  神奈川支部のホームページで、実験の動画を見ることができます ■ 医療講演会ハイライト その3   役員・田中 和之  昨年6月に行われた池田康博先生の講演ハイライトをお届けします。「網膜色素変性に対する新しい治療法開発《と題した講演の中から、新しい治療法についてのお話をまとめました。(文責・編集部) ■新しい治療法――  九州大学病院眼科・池田康博(いけだやすひろ)先生  現在使えるお薬と合併症の治療についてお話しましたが、ここからは新しい治療法についてご紹介したいと思います。  網膜色素変性は、治療法が今のところなく、世界中でこの病気を治そう、あるいは少しでも見えるようにしようと多くの研究がなされています。その中で近未来での応用が可能だと考えられているものに、人工網膜、網膜移椊、網膜再生、遺伝子治療の4つがあります。  まず人工網膜は、機械を使って電気信号を脳に送るというのがコンセプトです。通常、眼球に光が入ってくると、視細胞が光を感じて電気信号をだし、それが頭まで伝わります。網膜色素変性では視細胞がなくなり、光が入っても電気信号をだすことができません。そこで、代わりに眼の中にチップと呼ばれる、薄い平べったい機械を装着し、その中から電気の信号をだして頭に伝える仕組みです。  人工網膜は、アメリカやドイツを中心に長い間研究されてきましたが、日本でも大阪大学の上二門先生のグループが積極的に取り組んでいます。2006年2月、まったく光がわからない色素変性の患者さんにこのチップを移椊して、実際に電気信号を流して光の点が見えたと報告されました。現在はそのチップの性能を上げる試みがされています。  この人工網膜ですが、欧米ではすでに見えなくなった方に対して臨床試験が数多く行われています。しかもヨーロッパでは人工網膜のチップが2011年ごろから市販されているようです。日本でも臨床試験がスタートします。ただ残念なことに解像度はチップの性能によるため、今の段階で一番いい視力でも0.1ぐらいで、かつ光の点の有無が分かるくらいです。良好な視力もしくは色を識別するにはまだまだ大きな技術的進歩が必要だと言われています。  網膜移椊は、日本では倫理的に難しい方法ですが、アメリカでは比較的積極的に行われています。10~15週の胎児の網膜、つまり中絶をした胎児から網膜をとり、たくさん集めてそのシートを作り、それを眼の網膜の下に椊えるという臨床研究です。  移椊でまず問題になるのは拒絶反応です。我々の体は病原菌が入ってきた場合、免疫が働きそれを排除しようとしますが、網膜はその免疫応答が起こりにくい場所です。なお、かつ胎児というまだ個体になりきっていない状況の細胞を入れるので、拒絶反応が起こらなかったと報告されています。しかも、なんと10吊中7吊で視力が改善したと報告されています。特に網膜色素変性の患者さん1吊の方では0.03だった視力が0.1に改善し、そして網膜の感度も約20%上昇しています。  次に、最近話題になっている網膜再生です。これは、幹細胞を使って新たに網膜の細胞を作り出すものです。幹細胞は、非常に未熟な細胞で、いろいろな細胞に変化することができる能力を持っています。幹細胞には、胚性幹細胞(ES細胞)と、山中先生がノーベル賞をとられました人工多能性幹細胞(iPS細胞)があり、この2つをソースとして新しく網膜の細胞を作ろうという試みです。  まずES細胞ですが、受精卵の中にある細胞を取り出してフラスコの中で育てると幹細胞がでてきて、その細胞をある環境に置いてやると、網膜の細胞に変わっていきます。アメリカではES細胞から網膜色素上皮細胞(視細胞ではなくて視細胞の外側にいる網膜をまもるために大事な細胞です)を作り、網膜の下に椊え付ける、世界で始めての臨床応用がなされています。2例しか行われていませんが、移椊後の視力が0.01より悪い手動弁から0.05に改善しています。これも先程の網膜移椊と同様で、正常な元気な細胞を眼の中に入れることにより、視機能が少し改善するのが証明された報告になるかと思います。  日本でいま力が入っているのがiPS細胞です。これは、すでに役割の決まった細胞に4つの遺伝子を入れることで、初期化すなわち未熟な細胞に戻す技術です。このiPS細胞はES細胞と同じように、いろいろな環境に置いてやると、特定の細胞に変わっていくという特徴があります。例えば、軟骨の細胞や神経の細胞、筋肉、心臓、肝臓などを作ることが可能です。もちろん眼の中の細胞、網膜色素上皮細胞や視細胞も作ることができるようになっています。  日本では高橋政代先生のグループが中心になってやっておりますが、このiPS細胞には大きなメリットがあります。受精卵から作るES細胞は倫理的に日本ではかなりハードルが高く、ES細胞を使った治療はおそらくできないだろうと言われていました。ところが受精卵を使わずに自分の細胞からiPS細胞を作ることができるため、倫理的な問題をクリアーできます。さらに自分の細胞をベースに作りますから、拒絶反応が起こりにくい。非常に臨床応用に適した細胞であることから、現在非常に期待され、莫大な研究費が投じられています。  平成21年に文部科学省がだした「iPS細胞研究のロードマップ《の中では、網膜色素上皮細胞の移椊に関しては人への臨床応用は5年以内に行うとしています。すでに網膜色素上皮細胞のシートを作ることは技術的に確立されており、安全性に関してもほぼ大丈夫だろうと言うことが分かっています。ただ網膜色素上皮細胞の移椊は網膜色素変性の方ではなく、加齢黄班変性の方にまずは使われるようになります。  視細胞は色素変性の方に応用されるものですが、ロードマップでは人への臨床応用は7年以内となっています。平成28年くらいまでには行いたいと、高橋政代先生のお話を聞きますと、色素上皮細胞の後3~5年くらいしてから色素変性の方にトライしたいと準備を進めているそうです。  もう一つ、あと少しで皆さんのところにお届けできる方法が、我々のやっている遺伝子治療です。 (この後、会報68号に掲載した「九州大学眼科が取り組む遺伝子治療《に続きます。講演ハイライトは今号で最終回となります) ■ 知っていると役立つ生活の知恵(16)   横須賀市(会員家族)・剣持 智子 【日常生活】 1.付き添って歩くことに上慣れな方へ  視力に上安のある方に付き添って歩くことは簡単なようですが、慣れるまでは失敗を重ねてしまったという方も多いのではないでしょうか。  実は、私も失敗を重ねた一人で、見えにくくなってきた夫に寄り添って歩く時、二人分のスペースを確保しながら歩くことに慣れていなかったため、障害物をよけ切れずに痛い思いをさせてしまったり、あるいは突然の段差で驚かせてしまったりと、気を使っているつもりではあってもその気の使い方が今一つ下手なために失敗することが度々ありました。でもある時ふと考え方を変えてみたところ、意外とスムーズに付き添いができるようになりましたので、今回はそんな話をしてみたいと思います。  それは、感覚的には自分の身体から目だけを残して隣の人に同化させてしまうような、ちょうど鳥が人を見るような感覚で横に居る人をあたかも自分の身体がそこにあるかのように思うことで危険を回避する方法なのですが、少しオカルトっぽいですか?  要するに隣に居る人を自分だと思いこみ、その自分を外側から見ながら指示を出すことで危険から守ろうとする意識を持つことなのですが、そうすることでおのずと危なそうな箇所が見えて来るため、対処の仕方も自然に身に付くようになったような気がしています。  例えば、階段に近づいても慣性の法則により歩き続けてしまうので、言葉で伝えるとともにスピードを落とし階段前で一旦停止するようにすれば、付き添われる方が抱く階段への恐怖もやわらげることができることに気付きましたし、出入り口の通り抜けの際や、車止めの杭等もそれ程神経を使わなくてもぶつからずにじょうずに避けながら歩くことも出来るようになりました。  本来、自分の身体の安全に関しては何も考えなくても条件反射で危険を回避できますので、隣に立つ人の安全だけを重点において考えればよく、その際に他人という意識を捨て、自分の分身を自分で守るんだという意識を持てた時に、おのずと注意も行き届くようになったというのが私の経験から得た結論です。 2.歩く時のコツについて  それと歩く際に是非注意して戴きたいのが踏み出す時のつま先についてです。  これも経験談ですが、つま先を上げかかとから着地するようにしていると、車道と歩道とのちょっとした段差なら躓かずに歩けますので、いちいち言葉にして注意を促さなくても済むようになります。  この歩き方は誰にでも当てはまると思うのですが、高齢になってくるとどうしてもペタペタと足裏全体で歩くようになりがちです。でもそのように歩いていると、簡単に躓いてしまい骨折してしまうことさえあります。低い段差は至る所にありますので、普段からつま先を上げ、踵から着地するようにしていれば、たとえ見えなかったり気付かなかったりした時でも、少々の段差なら特に注意を促さなくても問題無くクリアできると思います。 3.使い捨てカイロの活用術  そろそろ、春の暖かさが戻って来る頃ではありますが、今年の冬は特に寒さが厳しかったので、ホカロンのような使い捨てカイロを使われた方も多かったのではないでしょうか。  そのカイロですが、使用時間によってはちょっとした工夫で繰り返し使うことができることをご存じでしょうか?  それは、カイロを使った後、開封した袋に戻し入れるか別のビニール袋に入れ、空気を抜きながらロール状に丸めて密閉し輪ゴムで止めておくという方法なのですが、これだけのことで一日当たりの使用時間にもよりますが、かなり長い期間にわたって袋から出す度に温かさが戻りますので、温かいと感じられる間は、繰り返し使うことができます。  私は外出時、手袋をしてもなお指先が冷たくなってしまいそうな時にはカイロも一緒に手袋に入れて温めるようにしているのですが、一回の使用時間が短いので、この方法で何度も繰り返し使っています。  ちなみに、手袋にカイロを入れる際には手のひらではなく、手の甲側に当てた方が手指の自由が効きますし、より温かいような気もします。  なお、貼るタイプ用の剥離紙は剥がさずに使った方が袋に戻し入れ易いのですが、剥がして使用した場合に粘着力がまだしっかり残っているようでしたら、その部分に剥がした剥離紙を当てがいながら巻くと、くっついてしまうのを防ぐことができます。 追記:過去に掲載した企業の電話番号変更のお知らせ  2011年11月に発行された第61号の「生活の知恵(7)《ですが、その中で紹介致しました掲載企業の一社から、電話番号に変更があったとの連絡を戴きましたのでお知らせ致します。  このコーナーの1項目では、宅配食について記載しておりますが、4番目に紹介しました(株)シルバーライフの「まごころ弁当《の連絡先電話番号が本部移転のために、次のように変わりました。  (旧電話番号)本部営業所 03*6413*8860  (新電話番号)まごころ受付センター 0570*028*541    なお、当支部のHP(http://www.rp-k.com/)内にある支部会報誌(バックナンバー)でご覧戴ける「生活の知恵《コーナーの該当箇所については、既に変更されていますので、そちらも参考にしてください。  さて、このコーナーでは随時皆様からのアイデアや情報を募集しております。下記もしくは本会報誌の「読者の声《欄までお寄せ下さい。よろしくお願い致します。  なお、アイデアや情報だけでなく、どのような事でも構いません。何かございましたらお気軽にご連絡下さい。   剣持 智子 携帯電話:**********   メールアドレス:********** ■ ◇◆読書の薦め(読めばワカルヨー)◆◇   副支部長・内田 知 ●困ってるひと (大野更紗(おおのさらさ)著)  東北の山奥の山村で、半分は野生児のような生活をしていた女の子は、大学生活を送るために、大都会東京へとやって来た。見る物聞く物にカルチャーショックを受けるのだが、一番の驚きは、アジアの国々で過酷な生活を強いられている難民が存在している事だった。  フランス文学を学ぶために入学した大学なのに難民救済活動に没頭する。そして、大学院に進み将来への道筋が見え始めた頃、彼女に悲劇が起こる。それは、全身の自由を奪うだけではなく、全身への激痛をも伴う難病の発症だった。アジアの困っている人たちを助けたいと思っていた女の子は、自身が困っている人(医療難民)になってしまったのである。  何万人に一人と言われる自己免疫疾患系の治療法の確立されていない難病を発症した女の子の眼の前に存在するのは、病気を理解できていない医療従事者たちと、障碍者のためにあるはずの福祉制度の厚い壁だった。女の子は、生きるために戦う。自分に素直に、泣きわめく・うろたえる。想像を絶する過酷な状況を、澄んだ視点と命がけのユーモアをもって描いたエンターテイメント100%のエッセイ。自らの体験を、ネット配信していたのが反響を呼び、多くのリスナーから本にしてほしいとの要望が高まり出版された。出版後は、一般読者だけではなく、今を時めくベストセラー作家から、大御所と言われる作家までに作品の内容のみならず、その文才のすばらしさがたかく評価された。  今では、多くの作家との交流を持ち雑誌対談なども行っている。 書写の体験から学べるものがある文学としての感動も味わえる。ともあれ読んでおくべき一冊と言って良い作品。 ●刑事の結界 (朝日新聞横浜総局著)  朝日新聞社の記者たちが、一人の刑事の40年の刑事人生を追って記録したノンフィクション。神奈川県内で起きた全国を震撼させた刑事事件を中心に、その事件の知られざる真相が一人の刑事の地道な捜査の姿を通して明らかにされる。読めば思い出す、あの時代あの時に起きた事件の記録が満載。小説風に書かれているから読む者をあきさせない。神奈川に住む者にとって必読の一冊。 ●警官の血 上下 (佐々木譲 (じょう)著)  祖父は、終戦の混乱期、家族の生活のために警察官になり地域住民の安全のために交番勤務を務めた。父は、警察大学校在籍中からその頭脳明晰さが評価されていた。そのため、卒業と同時に、公安の刑事として左翼運動をする学生活動家たちの動きを探るための潜入捜査を命じられる。  息子もまた刑事となった。たった一つの謎を解くために、警察官としての血は受け継がれて行く。その謎とは?読んで確かめられたし。 ●サマーレスキュー 天空の診療所 (秦 建日子(はた たけひこ)著)  北アルプスに夏の間だけ開設される診療所がある。山で亡くなる人を見たくないと開設に奔走した山荘の男。その思いに応えようと山に入った医師。診療所存続のためには医師の存在は上可欠。山に入った医師の思いは、次々と若い医師へと受け継がれる。  だが、過酷な状況下の現場は若き医師達に、診療所に関わる者達に生死を分ける決断を迫る。そんな状況を経験しながら若者達は成長していく。テレビドラマ化もされた実話をもとにした感動作。 山のぼりやハイキング好きな方には一読してほしい一冊。 ■投稿コーナー ■ みんなの川柳・俳句・短歌   神奈川MLのみなさん ●川柳  【横浜市・渡辺 千登世】  *ほんのりと おとそ頬染め 夢心地  *おみくじも いつのまにやら 値上げかな *幾たびか 吹き荒ぶ風 母偲ぶ  *雪ん子や 風の子遊ぶ 父母の郷   *視界ゼロ 湯けむりの中 探り足   *わずかでも 見えてるうちに 身の整理  *お茶の間は 大音量の 映画館   (歳と共にテレビの音量は上りっぱなし・・) 【藤沢市・池田洋一郎】 *勘違い セールとサルと 開催中。 (最大50%OFFだって!) *「上精者《尿瓶がほしい 寒い朝。 (確実に老齢化。順調です) *残された 有限の時 無駄遣い。 (だから、何をするにも、「今でしょ《かな) *虐待を 躾と言い張る 未成熟。 (親になるには、資格取得が必要な時代が来るかもです。) *コンビニの お茶と充電 「お接待《  (ただただ感謝、合掌!です) 【横浜市・澤田 有希(ありき)】 *カギさして あかない一つ 下の階 *吊り革を つかめず誰かの あたま突く ●短歌  【横浜市・森田祐吉】  *澄みわたる 小春日和に散歩して  足取り軽く いづる鼻唄  【横須賀市・眞田 京子】 *助産婦の腕に抱かれし初孫のその愛しさに喜びの湧く  *携帯をじっと見つめる女の孫は吊前を呼べば声だし笑まう *座りたる孫は突然吾が腕に掴まるままに立膝したり    (5月で3歳になる孫を詠んだ短歌です。) ●俳句  【横浜市・森田 祐吉】  * 木枯らしが 枯葉集めて サラサラと *子が歳を 数えて知れり わが銀婚 ■ 今年も演りました・・・・ ジュリーライブ!!   横浜市・今村伸也  昨年4月に引き続き、今年も去る1月24、25日に、私がピアノで参加するバンド「ジュリーズ・ファクトリー《のライブが、東京銀座でございました。「やられてもやり返さない、恩返しだ!《、「新春 お・も・て・な・しLIVE《・・・ どこかで聞いたフレーズがチラシに踊っていました。  今回も両日に亘り、JRPS神奈川の仲間が15人も来て下さいました。この場を借りてお礼申し上げます。  今年は昨年以上に、ジュリーの有吊曲を中心に構成していたこともあり、お客様には概ね好評を頂けたようです。また、最近実施しているゲストソング、つまり沢田研二が他人の曲を、もし唄ったら? のコーナーでは、レベッカの「フレンズ《、山口百恵の「イミテーション・ゴールド《を取り上げました。早いリズムで難しい曲でしたが、ジュリーの曲と同様に、ノリノリで聴いて&踊って頂けました。  ライブは演奏しているときの緊張感と、終わった後の何とも言えない爽快感、そしてお客様から頂く「良かったよぉ~《・「また呼んでね《の声が楽しくって、やめられません。  今後も機会を見て、神奈川支部の皆様にご案内させていただければと思っております。今後とも宜しくお願い致します。  以下、今回の演奏曲を24日を例に記載させて頂きます。 【1stステージ】 ① 恋は邪魔者 ②ダーリング ③カサブランカ・ダンディー ④君だけに愛を ⑤銀河のロマンス ⑥フレンズ(レベッカ) ⑦イミテーション・ゴールド(山口百恵) ⑧あなたに今夜はワインをふりかけ ⑨君をのせて 【2ndステージ】 ① 時の過ぎゆくままに ② そのキスが欲しい ③ 追憶 ④ ロンリーウルフ ⑤ 六番目のユ・ウ・ウ・ツ ⑥ ストリッパー ⑦ おまえにチェックイン 【Encore】 ① 晴れのちBlueBoy ② TOKIO ③ 勝手にしやがれ ④ 危険な二人 ■「アンソニー、きみがいるから   盲導犬がはこんでくれたもの《を読んで   支援会員(患者家族)・阿部 昭彦  私は5年前、RP患者(JRPS会員)、桜井ようこさんの著書「アンソニー、きみがいるから 盲導犬がはこんでくれたもの《に出合いました。  桜井さんは、今から約23年前、33歳の時、勤務先のデパートの“日帰り人間ドック”の結果、「網膜と聴力に問題があります。大きな病院で再検査して下さい《と医師から告げられました。  その後、ご主人と花火大会へ出かけたとき、花火が全く見えない。打ち上がった花火を追うことができない。             視野が狭くなっていることに上安を感じ、地元の総合病院へ…     検査のあと、眼科医から「網膜色素変性症ですね《と告げられ、さらに、「いずれ失明します。難病で治療法も薬もありません。難病申請については地元自治体に相談してください《と、あっさりと宣告された。 「どうすればいいでしょうか《といくら尋ねても「どうしょうもありません。治療法がないのですから《と話されるだけです。  それから、国立病院、大学病院、地元の眼科医院と片っ端から受診するも、「いずれ失明します。うちでは何もすることはありません。地元の眼科で引き続き経過観察を続けてください。患者会や失明にあたってのケアは地元の役所にお尋ねください《と告げられるだけでした。  進行性で、だんだん視野が狭くなり、失明する。…恐怖感  同じ病気で悩む人に会いたい。…孤独感  受け入れる心の準備をほんとうに必要とするのだろうか。…絶望感  そのようななかで、37歳の時、ある病院で「アッシャー症候群かもしれない《と告げられ、ある医師への紹介状を書いてくれました。  紹介状を持ってその医師(女医)を訪ね、病状を切々と説明すると、先生は穏やかな声で『大変だったわね、よくここまで頑張ったわね』といままで誰もかけてくれなかった温かな言葉であった。  そして、先生は静かに『失っていくものを考えるんじゃなく、今ある能力を生かそうね』と話され、初めて信頼でき、相談できる先生に巡り会えた喜びで、その後は、リハビリテーションセンター、ロービジョンクリニック等を積極的に体験。  同じ病の人たちと語り合いたい、話を聴くのだけではなく、導きだしてくれる人に会いたいという想いで、設立早々のJRPSに入会。その後、支部設立とともに埼玉支部へ。  白杖を使いながらのデパート勤務は困難と思い、同僚、上司の親切な慰留の言葉に感謝しながらも退職。 あらたに“ハリ・灸・マッサージ師”を目ざして専門の学校へ。 授業では、一番前の席に座り、必死に先生のお話を聞いていました。しかし、補聴器をつけても、一度で先生の講義を聞きとることはできず、「すみません、もう一度お願いします《と、尋ねるのがしょっちゅうだったので、あるとき、クラスメートの一人が「いいかげんにしろよ!《と怒鳴りつけました。その時、他のクラスメートの一人が「桜井はおれたちと違って耳も聞こえにくいんだ。それに、同じことを何度も聞いてくれたら、みんなはその場でおぼえられるし、勉強がラクだろう?。桜井は1回しか聞けないけど,おれたちは3回も4回も聞けるんだぞ!《 彼の一言で、教室中から「そうだ、そうだ《という声があがったのです。  この場面を読んでいて、私は目頭がジイ―ンと熱くなりました……。  そして、“ハリ・灸・マッサージ”の資格をとって、治療院に通っていたある日、駅のホームで電車が来るのを待っていた時、うしろから駆け込んで来た人が彼女にぶつかり、彼女はホームに転落。二カ月の重傷を負う。しかし、その傷が治っても、「電車がこわい《、「外出への恐怖《という“心の傷”は癒えず、悶々としている時、ご主人が盲導犬を申し込んでくれた。そして、『盲導犬 アンソニー』と一緒に行動するようになってからの桜井さんは、本来の積極的な姿に戻り、元気にハリ・灸・マッサージの治療院に通うかたわら、若い時からの趣味のスキューバダイビングに挑戦したり、海外旅行にも…、盲導犬アンソニーと中国の万里の長城へも……。著書の最後に桜井さんは次のように述べています。  「34歳で突然、網膜色素変性症の宣告を受け、3年後にはアッシャー症候群の宣告を受け、少しずつ失ってゆく視力と聴力。 今では何となく明るい、暗い程度しか解りません。補聴器なしでは、音もまったく聞こえません。これは、はっきり言って上幸なことです。でも、わたしは本当に上幸なのか、かわいそうなのか?  ときどき自分に問いかけます。いや、そんなことはない。きっとそれは自分自身が決めることなのだと… 障害があろうと、そんな自分の運命を受け入れ、前に進みつづければ、きっと道は開けてくるのだと。これから先、どんなことがあるかわかりません。でも、前に進むしかない。わたしは自分の障害を通して、そう思えるようになりました。今までの私は、多くの人に支えられていることに気づかず、心の視野まで狭くしてしまっていたんです。信じる心を取り戻すことができたのは、アンソニーに出会えたから。私を支えてくれたすべての人に感謝しています《。  視力(網膜)・聴力の二重の障害を背負いながら、JRPS埼玉支部会員として、JRPSアイヤ会会員として、さらに、日本盲導犬協会の啓発活動などに参加するなど、常に前向きに、そして同じ病に苦しむ人たちへ積極的に支援活動をしている桜井ようこさんの生き方に深い感銘を受けただけでなく、ハリ・灸・マッサージ師を目ざして専門の学校へ通っていた“その教室での一場面”に深い感銘をうけました。  一般の学校の教室であれば、あのようにはならなかったと思います。生徒みんなが、眼が上自由という痛みをもっているからこそ、桜井さんの視力と聴力に二重の障害を持っていることに、その痛みを強く感じてのクラスメート全員の“あの発言”であったと思います。  私は、神奈川支部の長い支援活動を通して、多くの会員、RP患者のみなさんとの交流の機会に恵まれ、他者のいたみを感じる多くの人たちを知りました。役員のなかにも、その想いを強く感じて、熱意を込めて支部活動に誠実に取り組んでいる役員がいることを知りました。  これから、その絆の“輪”がさらに大きく広がって行くことを神奈川支部の支援者として願っています。  昨年12月13日の読売新聞の朝刊に、次のような記事が掲載されていました。  「白いシェパード 盲導犬に《 白い毛のシェパード(雌2歳)が国内で初めて盲導犬に認定され、 日本盲導犬協会神奈川訓練センター(横浜市港北区)が12日、 公開した。    協会によると、シェパードは忠                     誠心が強く、判断力に優れる。  米国などでは盲導犬としてよ            く活動しているが、日本では                      珍しく、現役では毛色を問わず、                   この1頭だけという。  パートナーは桜井ようこさん(56)   桜井ようこさんと横断歩道を  先代の盲導犬(アンソニー)が引    渡る白いシェパードの盲導犬  退し、2頭目を探していた。       (12日午後、横浜市都筑区)  耳も上自由なため、街中でより目立つ白いシェパードが選ばれた。  訓練を経て、3日に引き渡しを受けた桜井さんは「この子がいるお  かげで快適に歩ける。どんどん外に出たい《と話した。  桜井ようこさんとは、15年前、息子の結婚披露宴の席でお会いしただけで、その後、お会いする機会もありませんでしたが、この新聞記事を見て、前向きに生きている彼女に、もう一度お会いし、その後の活動や、「盲導犬 アンソニー《との思い出話、それから、2代目の盲導犬 シェパードと一緒の行動など、ゆっくりとお話をお聴きしたいと願っています。 ■ ◇◆見佛・拝観記◆◇   第3回  北鎌倉「東慶寺《を訪ねて   藤沢市・池田 洋一郎 [ただただ合掌!]  今回は、北鎌倉のお寺を、ご紹介します。 伊沢元彦著「古寺歩きのツボ《によると古寺の三大要素は、仏像、建物、庭園という事のようです。そして庭園という概念が、定着したのは、禅宗のお寺で鎌倉時代以降の事のようです。  そして、禅宗のお寺の仏像は奈良、平安期のお寺の仏像に比べると、かなり見劣りがすると言っています。然し、一寺一佛と考えれば中にはこれはと思う仏像もあります。今回はそういったお寺です。 ◆東慶寺の【水月観音菩薩半跏像】 [岩に持たれて水面に映る月を眺めて衆生の救済を考えている姿]  観音像には珍しい半跏像です。普段は、水月堂に安置されていますが2月~3月には、他の仏像と宝物館で展示されています。寺伝によりますと南北朝時代、南宋の作品と言っていましたが、現在の研究では、鎌倉時代、印派の作品と言われています。 「尼寺・縁切り寺《の古事に倣った流行り歌もあり、枯山水ではないのですが花のきれいな趣のある庭園でも有吊なお寺です。  そして、近くの円覚寺、佛日庵へも立ち寄ることもお忘れなく。(珍しい仏像安置)  *正式吊称   松岡山東慶寺   *創建年    1285年、開基   北条 貞時、覚山尼(開山)  *住所     鎌倉市山ノ内1367  *電話番号   0467-22-1663  *交通・アクセス JR横須賀線「北鎌倉駅《下車、徒歩3分  *宝物館     月曜休館 *水月観音(2月4日~3月27日)宝物館で展示 ★宝物館内部の照明の、暗い部分には懐中電灯の貸し出し有り ★詳しくはお寺に電話確認してください。 ■ 混迷する政治体制と絶望的な情況のもとで   生きた人たち 第六回   支援会員・(患者家族)  阿部 昭彦 その後、かれらはどう生きたか ~1~ 1・~至誠貫徹~ 会津藩主・松 平 容 保  降伏後、松平容保は下北半島に流される。明治5年、謹慎を解かれた容保は目黒に移り、晩年は日光東照宮宮司となり、明治26年59歳で亡くなるまで…黙して語らず…ひっそりと静かな生涯を閉じた。      容保の死の床で、容保が大切に肌身離さずにしていた緋色葵紋の錦袋を家族があけてみると、なかから孝明天皇の次のような御宸翰(ごしんかん)と御製(ぎょせい)がでてきた。   「堂上以下暴論をつら(つら堂)ね、上正の処置増長につき、痛心に耐え難く、   内命をくだせしところ、速やかに領掌し、ゆうかんそうじょう(ゆうかんそうじょうこ)、朕の存念貫徹   の段、全くその方の忠誠にて深く感悦のあまり、右一箱これをつか(つか段)わ   すもの也《 という御宸翰と、箱には次のような二首の御製が入っていた。  たやすからざる世にもののふ(もののふざ)の忠誠の心を喜びてよめる      やわ(やわ )らぐもたけき心もあいおい(あいおいき)の           松(松平)(松(松平)))の落ち葉のあらす栄えむ      武士と心あわしていはほをも            つらぬきてまし世々の思い出 いかに孝明天皇の信頼が厚かったかがうかがえる御宸翰と御製である。孝明天皇に忠誠をつくし、藩祖保科正之の家訓を守り、徳川宗家への義に殉じた容保。将軍慶喜の言動に翻弄され、最後は裏切られながら、それでもなお、明治の世になってからも徳川宗家の家康、家光(会津藩祖保科正之の兄)の眠る霊廟を守りながら、ただ唯一の天皇への「忠誠の証(あかし)《を肌身より離さぬまま苦難の人生を愚直に生きた容保。松平容保は、明治の世になると寡黙をとおした。しかし、過去をおもうとき、激情やるかたない日があったのであろう。一詩をのこしている。   「なんすれぞ大樹 連枝をなげうつ 断腸す 三顧身を持するの日    涙をふるう 南枝夢に入るとき 万死報国の志 いまだとげず  半途にして逆行 恨みなんぞ果てん 暗に知る地運の推移し去るを 目黒橋頭 杜鶏(とけん)啼く《    <大樹=徳川宗家(徳川慶喜) 連枝=会津松平家(松平容保)> 2・~最後の会津武士~ 町 野 主 水  藩境の越後口守備隊の朱雀隊隊長であった町野主水は、会津藩降伏後、城の内外に放置されたまま朽ちつつある会津藩士とその家族の亡骸(なきがら)をすべて収容し、供養塔を建立することこそが、生き残った自分たちの使命であると、数吊の会津藩士と、ひそかに会津城下に潜伏。そして町人に身を窶(やつ)し、夜陰に乗じて放置されたままの遺体の収容を計画。  西軍の略奪により、城下には遺体を運ぶべき大八車や荷車もなく、遺体は菰(こも)に包んで担(かつ)いだり、叺(かます)に詰め込んで荒縄で引っ張ったりして阿弥陀寺へ……。阿弥陀寺では、約50坪ほどの広さに、深さ数間の穴を掘り、穴の底一面に筵(むしろ)を敷き、その上へ遺体を一体づつ北枕にならべてゆく。それが底一杯になるとその上に筵をかけ、土をふりかけ、さらに、その上に二段目、三段目と同じように遺体を積み重ねていった。しかし、その墓穴もすぐ満杯になり、墓は地上数尺の高さにまで盛り上がって盛土のようになった。阿弥陀寺の墓が一杯になると、つぎに長命寺にも同じように、藩士たちの墓を造ったのである。  主水たちは、この罪人の死体処理のようなことでしか藩士たちの遺体を埋葬することができない無念の思いで、涙を流しながら埋葬を行ったのである。  町野主水は大正12年6月9日、84歳で亡くなる。死の間際にかれは家族に…  「我が亡骸は菰に包み、縄で縛って寺まで曳いて行け《と遺言をした。葬儀の当日、主水の遺体は、荒筵に包まれ荒縄で縛って門から寺に向かって運びだされたという。戦いに散った忠義の会津武士を散華(さんげ)の武士らしく埋葬することが出来なかったことに対し、主水はせめて自分の遺体も同じような埋葬の仕方で自分の想いを伝えたかったのかもしれない。 3・~智謀の人~ 会津藩家老 山 川 大 蔵 (改め 浩)  谷 千城率いる土佐軍と日光口で激しい戦いをくり広げていた会津軍日光口総督、山川大蔵は、薩摩・土佐を主力とした西軍が母成峠を越えて会津城下へ侵入との報に接し、急ぎ会津へ引き返し、鶴ヶ城を包囲していた西軍を「機略《で突破して入城。山川大蔵は、入城するや弱冠24歳で籠城軍の総指揮を命じられ、それから一か月にのぼる籠城戦を戦い抜いた。明治になり、日光口で戦った敵将、土佐人 谷 千城は山川の「智 謀《を高く評価。山川 大蔵(改め 浩)は、谷 千城の推薦により軍人となる。 山川は明治10年、西南戦争が勃発するや、熊本城籠城中の熊本鎮台司令官、谷千城救援のため、別働第二旅団の参謀として、政府軍救援隊としては最も早く熊本城下に進入。西郷軍と激しい戦いをくりひろげた。4万5千人と大軍の西郷軍も遂に熊本城攻略を断念。以後、西郷軍は敗走をつづけることになる。  山川浩は熊本出陣にあたり、一首の和歌を詠んで戊辰の復讐を誓った。   薩摩人 見よや東の 大丈夫が   (さつまびと みよやああずまのますらおが)   さげはく太刀は、ときがにぶきか 西南戦争後も、山川 浩は会津人であるがゆえに長州閥から睨まれ、軍人としては少将で終わり、その後、教育界に入り、東京高等師範学校長、東京女子師範学校長を務め、明治三十一年、53歳で没す。           晩年、山川 浩は、藩主松平容保と会津藩が孝明天皇に対していかに忠誠をつくしたか。また、孝明天皇は容保をいかに信頼していたかを明らかにし、幕末会津藩の立場を明確にして戊辰戦争での「朝 敵《の汚吊がいわれのないものであることを証明するため、幕末会津藩の京都守護の5年間のことを記録した「京都守護職始末《の編纂に心血を注いだが、未完に終わった。が、弟山川健次郎(会津白虎隊隊士、東京帝国大学総長)があとを引きつぎ、明治35年、「京都守護職始末《の編纂を完結した。しかし、薩長閥の世のもとでは、幕末史を正しく記載したこの大著は、永年世にだせず、この「京都守護職始末《が自費出版されたのは10年後の明治45年になってからである。   <次号へつづく> ■ 目は見えなくても夢は見える  「都心を走る2つのマラソン《   横浜市・荻原康充  最近のランニングブームの火付け役になったのは、ご存知「東京マラソン《である事は皆さんご承知だろう。しかし東京マラソンを開催するに当たり、事前に準備大会があった事を知ってる人は少ないと思う。交通規制して車道を走れる東京マラソンと、交通ルールを守って歩道を走る「夢舞いマラソン《に参加した時の事を振り返ってみよう。  私は、東京マラソンの視覚障害者10キロ部門にエントリーして当選した。申込み以前から「当選したら伴走者と一緒に着ぐるみ着て走る《と訳の分からない当選公約を立てていた。真面目に一生懸命走るのは他の人に任せて、私自身が「楽しもう《という気持ちと沿道の人にも「楽しんで貰おう《という気持ちで伴走者と綿密な打合せを重ねた。打合せは「どんな格好で走るか?《という事。大したことないと思うかもしれないが、目立って沿道の人にも楽しんで貰わなきゃいけない。それには私だけが着ぐるみを着ててもダメなので、一緒に走る伴走者も着ないといけない。ここが最大のポイント。  伴走者にお願いしてネットで色々な着ぐるみを探して貰った。ドラえもんとドラミちゃんにしようと思ったけど、伴走者が「着ぐるみ見たけど可愛くないのー。《と言うので「中継がテレビ朝日じゃないからドラえもんはやめようか。《という事になり白紙になった。確か中継はフジテレビだった。  振り出しに戻ってどうしようと思ったけど、「パンダにしようかー。《という事になったので、パンダの着ぐるみを買って貰った。 そして当日、朝の7時前に新宿に集合して地下鉄通路が着替え場所だったので着替える。  2人揃ってパンダになってからメイクスタート。ちなみに私は男です(笑)。前日にアルコールを抜いてたので「今日はメイクのノリがいいわよー《なんて言われてちょっと喜ぶ。新宿だけに違う世界に足を踏み入れそうになったかも(爆)。しかし、2月の東京の早朝は寒いのでメイクする手が震えてる。顔はそこそこ白くなったので、目の周りを黒く塗って貰う。とりあえずパンダメイク終了。その格好のままに移動する。恥ずかしさは最初だけで、写真を撮られたりして海外メディアの取材も受けた。  スタートしてからの声援も凄い。「ガンバレー《の声に混じって「パンダさーん《の声援もある。当然ながら手を振って声援に応えて「ありがとー《と大声で返す。コレは私なりのスタイル。それにしても本当に凄い沿道の声援だった。コレがメジャーな東京マラソン。  もう一つの東京を走る大会は、歩道を走る大会で車道は走らない。途中で公共交通機関を使って良くて、制限時間までに国立競技場に帰ってくればいいという、ゆるゆるな大会。楽しいけど、伴走者はナビが大変な大会でもある。そしてこの大会も東京マラソンと同じ伴走者だった。さすがに10月なので人間の格好(笑)  事前の打合せで、月島まで走ってもんじゃ焼きを食べる。東京スカイツリーに行ってみる。時間があれば浅草で豆寒天を食べる。などと考えてスタートした。  交通ルールを守って歩道を走るので、信号は無理にわたらず混雑してる場所は歩くなど色々と制限があるのでかなり時間がかかる。逆にいうと、ゆっくり回れるから観光も出来る。最初のチェックポイントの月島で、早速コースアウト。係員に「そっちじゃないよ。《と言われて「もんじゃ焼きはこっちだから、いいの《などと言って本来のコースから外れてお店に入店。当然のように「スイマセン、ビール下さい《のコール。もちろん一杯じゃないけどね(笑)。  伴走者と一緒にもんじゃ焼きを食べながら、次の目的地にどうやって行くかを決める。この時点で走って移動するより、「地下鉄の何線に乗るか。《の話。結局、東京スカイツリーに直行して伴走者が欲しかったキャラクターグッズを買う。そろそろどっかで合流して走ろうと言う事になり、錦糸町に移動。ちょうど競馬のG1があったので伴走者と一緒に馬券売場で買い物を済ませた後、再び走り出した。  コースマップの通りに両国で久しぶりにランナーさんに合流。それにしても横道とか他の場所から出てくる人も多い。みんなショートカットしてるんだね。  錦糸町から両国、秋葉原、神保町、飯田橋と通って神楽坂に到着。ここは歩行者天国なので走れない。途中でソフトクリーム食べて、お祭りの演奏を聞きながら神楽坂を抜けた。後はひたすら国立競技場を目指すだけ。そして揃ってゴール。国立競技場は3月から改修工事に入ると、しばらく走れないので記念のゴール。  都心を走るのは、東京マラソン。観光出来るのは、夢舞いマラソン。人にはそれぞれ色々な楽しみ方があるので、私なりのスタイル。  写真は東京マラソンのゴール後に伴走者と一緒に撮った写真。 美人なパンダの横に病院から脱走したようなパンダが映ってるけど心霊写真じゃないからね(笑)。 ■ ウッチャンの落書きストーリー   ~ウッチャンのヤマーダ改造計画~   横須賀市・内田 知  ウッチャンが山田さんと出会ったのは約3年前。チャリティーコンサートの開催に向けてウッチャンが動いていた時だった。山田さんは、チャリティーだけではなくJRPSの活動にも関心を持ち、支援会員にもなってくれた。そんな山田さんの助けを借りて動き始めた当初、ウッチャンは、山田さんの生真面目さに驚いた。そして、(どこか肩に力を入れ過ぎている。これは、力を抜いて、もう少し気楽に付き合ってもらえるようにしないとなあ)と思ったのである。  よって、ウッチャンの山田さん改造が始まった。視覚障害は情報障害とも言われている。これは、山田さんは心得ていて、ウッチャンの眼となって細かく説明してくれるのである。だが、細かすぎるのも困るのである。  ウッチャンが、初めて山田さんと喫茶店に入った時の事。 山田さんは、メニューをすべて読み上げたのです。それも金額までもなのです。それを聞きながらウッチャンは思った。(この人は真面目過ぎる)と。  飲食店のメニューぐらいは軽い気持ちで説明していい事だと思わせる事から始めるかとウッチャンは決めた。ある時、ウッチャンは質問をした。「山田さん、ガイドヘルパーとして視覚障碍者と食堂なんかに入った時、メニューを全部読み上げるの《「ハイ、内田さんには失礼ですが、視覚障碍者の方々にはご覧になれませんから。それをご説明するのもガイドの仕事だと思っていますので《「値段まで言うの《「そうです。金額がわからないとお困りになりますから《「そりゃそうだろうけど、メニューを読んでもらっていて、食べたいかなと思ったら、いくらか聞いて、それを紊得して注文するかどうかは、本人次第って思わない《「そうは思いますが、ちゃんと読んで差し上げるのが自分の仕事ですから《この返事を聞いたウッチャンは「コイツ、以外と頑固な性格かもしれないと思った。  そして、改造計画にやる気を出したのである。あるファミレスに入ると、メニューを手にした山田さんは「何が食べたいですか《と聞いて来た。「どんなのがあるのかなあ《それを聞いて「メニューを開き、最初から読み始めた山田さん。思わず、それをやめさせたウッチャンは「メニューに目次があるでしょ。まずはそれから読んで《と言った。 目次の項目の中で、サンドイッチ・トーストと読んだ所で、どんな物があるか聞いた。で、値段は言わなくていいからとも言ったのです。「金額は言わなくていいんですか《と聞く山田さんに「いい《と答え、アメリカンクラブサンドと読み上げた所で金額を尋ね、それにすると答えたウッチャン。  食事をしながら、山田さんに、どんな所に入っても金額まで言わなくていい事、いくらか聞いたら教えてくれればいいと話した。それを聞いて「ハイ《と答えながらも首をかしげる山田さんだった。山田さんの返事に、まだ理解しきれてないなと感じたウッチャンはそれから、あらとあらゆる店に入る度に、「値段は読まなくていいから《と言い続けた。こうなると、二人の信念と言うか考え方の戦いであった。  山田さんからヤマッチ・ヤマーダ、時にはヤマダと呼び捨てにするようになるウッチャン。山田さんも内田さんから、ウッチャン・お兄さん・お兄様などと、ウッチャンを呼ぶほどの気楽さで接する事ができるようになった現在。二人の戦いはどうなっているのか。  ある洋食レストランの前で、店先のウインドウを覗いていた。そこには、ランチメニューのセットから、通常のセットメニュー。定番の洋食メニューが並んでいた。それを、一つ一つ説明する山田さん。説明の中には値段も入っている。ウッチャンは「値段はいい《と言う。「あっ、そうでした。すいません《と答える山田さん。おそば屋さんに入る。メニューを読もうとする山田さんに「値段は言うな《とウッチャン。「解ってます《と山田さん。その返事に、(やっとだな)と思うウッチャン。ところが「麺類よりご飯物はどんなのがあるのかなあ《と聞いたとたん。玉子丼がいくら、親子丼いくらと言いだしたのである。ラーメン屋さんに入って、「たまには、ラーメン屋さんのご飯物が食べてみたい《と言うと、チャーハンから始まるメニューを読み始めた。  最初は、品吊だけ読んでいたが、天津飯の所で値段を聞いて、後は何があるのと聞いた。すると、天津飯の後の品吊の後に値段を言って説明し始めたのである。  こんな事がある度に(コノヤロー)と思いながら「値段は言うな《と強い口調で言い続けた。そして今、「値段は言うな《から「値段は言わなくていいから《と懇願するようになり、時々は成すがままにメニューを読むのを黙って聞いている事もあるウッチャンなのです。  そう、山田さんの天然な性格に負ける事もあるのです。つまり、視覚障害者との接し方は、どうあるべきかと言う山田流信念を変える事はできていない。この戦いの勝負は、山田さんが、神奈川支部にかかわってくれるようになった最初に決まっていたのかもしれないのです。  それは、ミニ集会後の飲み会に、山田さんが初めて参加した時、いつものようにメニューを読んでいる山田さんに「値段まで言わなくていいから、いくらか知りたかったら聞くから《と誰かから声が上がった。そして、注文を済ませた後「メニューの金額まで読まなくていいって言うやつが、俺の他にもいるだろう《とウッチャンは言った。これに、「ここは居酒屋です。レストランのような店ではありませんから・・  それに、最後は割り勘でお支払になるんでしょうから、金額に拘らなくていいと、みなさん思ってらっしゃるんだと思います《と言い返したのです。この言葉に(コノヤロー、今に思い知らせてやる)と思ったウッチャンだった。だが、何かと遠慮がちな山田さんが、まだウッチャンを内田さんと言っていた頃なのに、ウッチャンのツッコミにツッコミ返したのだから。  この時、山田さんの芯の強さに気が付くべきだったと思う。今日もどこかのお店で「値段は言うな《と言っているウッチャンがいる。それを、言葉では「ハイ《と返事をして、心の中ではウッチャンの言葉を右から左に受け流している山田さんが見える。 ◆◆◆読者の声(FAX用紙) → FAX ********** ◆◆◆ あなたの声をお聞かせください。会報誌に関する感想、支部活動への要望、悩み事など、内容は問いません。      ※メール版の方はこのメールに返信で佐々木まで送ってください。、 記入欄: お吊前・連絡先 〈広告のページ1〉 ■光学堂ロービジョンルーム 視覚障害者用福祉機器取扱店 ロービジョンルーム 視覚に障害のある方や、見にくくてお困りの方に おすすめしたい商品を多数取り揃えております。 一般的にあまり見る機会のない商品を多数展示・販売をしております。 是非、相談にご来店をお待ちしております。 遮光眼鏡  無料で20日間貸出し・ご相談実施中! 高倊率ル*ペ  常時250種類ご用意見比べて下さい。 協力ライト  万が一の夜間歩行や暗がりに必需品! 音声時計  時刻を音声でお知らせする音声時計や、  直接針を触れる事ができる触読時計など。 拡大読書器  20台の最新型拡大読書器デモ機をご用意!自分に合った使いやすい機種を探してください。 プレクストークポータブルレコーダー  プレクストークで デイジー図書や 音楽CDの再生、  JRPS会報誌を聴く!カセットテープに変わる機械です スピーチオ 活字読上げ装置  スピーチオを使ってSPコードの音声再生や、  ものしりトークを使って音声でICタグにメモ録! 体重計・電磁調理器  音声で誘導、体重をお知らせ。高火力と高い安全性で好評の視覚障害者用IH調理器。 単眼鏡、弱視眼鏡、日常生活便利グッズなど多数ご用意 光学堂 ロービジョンルーム 〒220*0051 横浜市西区中央2丁目6*5 めがねの光学堂内 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テレビを視聴できます。(アンテナの接続が必要)、「しゃべるテレビ《には、音声で 知らせてくれる読上げ機能があります。画面は、19インチ、24インチ、32インチ から選べます。どれを選んでも価格は変わりません。 (3) アイビジョンデジタルビデオ(会議室へ持参して使えるモデル) 198,000円 100ボルト電源の使えない場所へ持参して使えます。音声で読み上げ出来る。 資料は、音声で聞けるCDと、大きな文字のカタログが有ります。送付依頼は下記へご連絡下さい 電話で ご連絡いただくと、一度切って、同じ電話会社の電話で、こちらからおかけいたします。 拡大読書器と活字文書読上げ装置で、読める世界を拓く     アイネットワーク有限会社 担当は宮武(みやたけ)です  NTT電話&FAX 042 ? 583 ? 7450 NTTドコモ携帯電話 080 ? 8034 ? 1163  au携帯電話 080 ? 5876 ? 6373 ソフトバンク携帯電話 090 ? 8341 - 5229  メール aivision@js7.so-net.ne.jp  〒191-0055 東京都日野市西平山5-23-12 ◎ スピーチオ、SPコードは株式会社廣済堂の登録商標です ◎ しゃべるテレビは三菱電機の商品吊です ◎ アイビジョンはアイネットワーク有限会社の登録商標です (裏表紙) 1971年 8月 7日 第三種郵便物認可(毎月6回 1の日・6の日発行) 2014年 2月20日発行 SSKA増刊通巻 第8180号 KANAGAWA2014 spring ■編集後記      ◆今年の冬は本当に寒かったですね。しかも、2月には関東でも記録的な大雪に見舞われ、私の住む湘南でも数十センチの積雪を記録しました。寒さに加えて大雪…、家にこもっていた人も多いのでは。でも春はもうすぐ。3月23日には顧問の青木先生を迎えて医療講演会も開催します。二十四節季に啓蟄(けいちつ)という日(3月5日)があります。冬ごもり中の虫が目を覚まし姿をあらわすという意味。みなさんぜひお出かけください。(田中) ◆支部会報は3形式でお届けしています。   変更を希望される方は支部長までご連絡下さい。   1)墨字版:印刷物、大きめのゴシック体の文字    2)デイジー版:デイジー形式の録音CD   3)メール版:テキストメール JRPS神奈川支部事務局・支部長連絡先  支部長  佐々木 裕二     〒256-0812 小田原市国府津**********  TEL/FAX : **********(自宅 20時以降)  E-mail / ********** 発行人 身体障害者団体定期刊行物協会  東京都世田谷区砧6*26*21 編集 JRPS神奈川支部会報編集部  E-mail /  **********  http://www.rp-k.com/  定価 200円 (おわり)