JRPS神奈川支部 会報第35号テキスト版 (表紙)  1971年 8月 7日 第三種郵便物認可(毎月6回 1の日・6の日発行)  2005年 5月24日発行 増刊通巻5210号        SSKA        あぁるぴぃ      神奈川支部会報第35号        私たち自身で        治療法の確立と      生活の質の向上を目指す       JRPS神奈川支部 (表紙終わり)     目次 【神奈川支部の活動】   総合カレンダー ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 2   第10回定期総会&記念シンポジウム ‥‥‥‥‥ 2   ペリカン寄席開催のお知らせ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 4   つくしの会便り ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 5   カラオケ交流会のお知らせ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 5   陶芸クラブより新会員募集のお知らせ ‥‥‥‥‥ 6   新編集部員のご紹介 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 6 【情報コーナー】   障害者職業訓練募集のお知らせ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 7   ラポール初心者陶芸教室のお知らせ ‥‥‥‥‥‥ 8 【神奈川支部10周年記念連載】   カゼのごとく ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 9 【投稿コーナー】   楽天夫婦  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 15   我が競馬回想記  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 17   ウッチャンの落書きストーリー ‥‥‥‥‥‥‥ 21  10周年記念シンポジウムのポスター ‥‥‥‥‥ 24 ◆今号の表紙   今号の表紙は今が盛りの山ツツジです。 カラーでお見せでき   ないのが残念です。 ◆ミニ集会の会場  神奈川県県民サポートセンター  045*312*1121  横浜駅西口から徒歩10分です。三越デパートに向かって進み、三越の手前の横断歩道を渡ったら、右に曲がります。約100mで、高速道路の下の橋を渡り、信号のある横断歩道を渡って左角の建物です。点字ブロックが駅から敷設されています。   (三越は閉店してしまいました) ■JRPS神奈川の活動                          【総合カレンダー】   5月28・29日  第2回代議員大会・全国大会(愛知)   5月28日(土) ※陶芸クラブ 横浜ラポール 午後1時~   6月19日(日) ※神奈川支部第10回定期総会&記念シンポジウム               終了後 記念パーティー   6月25日(土)  陶芸クラブ 横浜ラポール 午後1時~   7月10日(日)  ミニ集会 県民サポートセンター705号午後1時~   7月23日(土)  陶芸クラブ 横浜ラポール 午後1時~   8月 6日(土) ※カラオケ交流会 午後2時~   8月13日(土)  ミニ集会 県民サポートセンター708号午後1時~   8月27日(土)  陶芸クラブ 横浜ラポール 午後1時~   8月28日(日) ※10周年記念チャリティー『ペリカン寄席』   9月11日(日)  ミニ集会 県民サポートセンター708号午後1時~             ※…この印の項目は記事が掲載されています。 ■第10回定期総会&記念シンポジウム       風薫る五月、会員の皆様にはいかがお過ごしでしょうか?   前回の会報でもお知らせいたしましたが、来る6月19日、神奈川支部の定期総会を開催いたします。 今年度は設立10周年を記念して、総会の後、4吊の先生をお招きして網膜疾患治療の最新情報をお伺いいたします。    その内容は今最も熱い「幹細胞による網膜再生《と「各国でしのぎを削る人工眼開発《の最新情報です。 しかも私たちRP患者をヨーク理解して下さっている先生方です。 こんな話が身近に、しかも直接質問を受けて下さるのは滅多にないことです。  私たち患者の関心と期待の高さが先生方の研究のパワーを引き出す源になります、一人でも多くの会員の皆様のご来場をお待ちしております。   日時:平成17年6月19日(日)   会場:横浜市健康福祉総合センター4F ホール       横浜市中区桜木町1*1   TEL:045*201*2060   交通:JRと地下鉄の桜木町駅から徒歩約5分         (駅改札に誘導員が立ちます) ●定期総会           開会:午前10時 (開場:9時30分) ●記念式典とシンポジウム  開会:午後1時 (開場:午後12時30分)  ※ 昼食は各自でおとりください。10階にはレストランがありますし、    お弁当持参で食べる場所もございます。 終了は午後4時30分の予    定です。 ●シンポジュウム終了後のパーティーへのお誘い(・_・)   シンポジュウム終了後記念パーティーを開催致します。   先生方、創設者の方々を初め普段余りお目にかかれない方々とお食事をしながら楽しくお話をして頂きたいと思います。 新しい方と知り合い、お友達になれる良い機会となるでしょう!   このチャンスを逃さないように多くの方のご出席をお待ちしています。   日時:6月19日(日) 午後5時30分   会場:桜木町ワシントンホテル 5階  《ベイサイド》   費用:一人 5500円   尚、会場の都合上ご出席の方は5月31日までにご連絡ください。   **********  斎藤   **********  佐々木 ■神奈川支部設立10周年記念チャリティー     〈ベリカン寄席〉開催のお知らせ       今年は、神奈川支部設立から10年を迎える年となりました。この10年目を迎えられたのも、多くの方々、会員のみなさまのご協力のおかげと感謝しております。   この度、会員のみなさまへの感謝と、支部設立10年を記念して落語会〈ベリカン寄席〉を開催することとなりました。 〈ベリカン寄席〉の開催は、家族の立場から、支部活動をサポートしてくださっている市川さんのご尽力によって開催される運びとなったものです。 ●出演   ○柳家小満ん     桂文楽に弟子入り、柳家小さん門下に入り三代目小満んを襲吊。     古典落語を得意として、寄席、演芸場を中心に活躍。     市川さん同様、小満んさんのご理解とご協力があって今回の開催     が実現されるものです。  ○さえずり亭ひばり(笠羽 美穂)  ○幸福亭明楽(笠羽 明美)     明楽さんとひばりさんは、母娘のアマチュアの落語家。お母さんの     明楽さんは、私たちと同じRPの患者でもある。 また、お嬢さんのひ     ばりさんは、車イスを利用しなければならないハンデキャップを持っ     ている。 お互いの障害を支えながらの二人三脚の活動は高く評価     され、新聞雑誌などにも掲載されるほどである。 会場:関内ホール(小ホール) 日時:8月28日(日)開演13時(開場12時30分) 入場料:1500円 主催;JRPS神奈川支部 お問合せ:ペリカン寄席実行委員会      電話;**********(内田) ★当日はJR関内駅横浜寄りの改札口に誘導員を配置いたします。 ★入場券の購入方法   毎月のミニ集会にて受け付けます。 ミニ集会に、来られない方々には、当日券をご用意いたしますので事前に内田までご連絡ください。 ■つくしの会便り                      5月12日木曜日、山下公園と横浜港の観光から今帰ってきました。 参加者19吊、お天気も暑くなく寒くなく丁度良い日和でした。   マリンシャトルで海の散歩をしたり公園でお弁当をひろげたり、とても楽しい一日でした。   参加された皆様ありがとうございました。 また楽しい企画を立てて行きたいと思います。 ■カラオケ交流会のお知らせ              恒例のカラオケ交流会です、ご家族・友人をお誘い合わせの上、奮って参加してください。 テレビ画面の歌詞が見えなくても大丈夫、ご安心ください。みんなでフォローいたします。 皆さまの参加をお待ちしています。    日時:平成17年8月6日(土) 午後2時~5時    場所:ビッグエコー横浜関内店 TEL:045*640*6780        (JR関内駅北口より徒歩1分)    会費:2500円位    集合場所:JR関内駅北口の改札口付近(横浜寄りの階段を利用)    集合時間:13時30分   申し込み先:渡辺千登世:**********                   携帯:**********           高木 貞子:********** ■陶芸クラブより『新会員募集』のお知らせ       みなさん!!和やかな雰囲気の中で世界に一つしかないオリジナルの器を作ってみませんか。 陶芸クラブは発足数年経過しました、今では沢山の卒業生を送っています。   現在多少の余裕がありますので皆さん、ご家族、お知り合いの方などお誘いしてご参加下さい。 入退会は自由ですので気軽に、先ずは見に来て粘土遊びから始めましょう。楽しいですよ。   活動日:毎月第4(土曜日)、13時から15時   場所:横浜ラポール2階工房室       新横浜駅前より30分間隔で送迎バスがあります(5分程度)       初回の方は一階の受付で身障手帳を提示し、会員証を受けとっ       て下さい。   会費:参加日のみ500円(ボランティアさんへの交通費と謝礼)   お問い合せ:**********(長沢)  終了後は有志で交流会もあります。では皆さんのご参加をお待ちします ■新編集部員のご紹介              前回の会報で会報編集のお手伝いを呼びかけたところ、お二人の方が手を挙げてくださいました。 お二人とも現役のその道のプロでとても心強く感じています。 会報は支部活動や会員同士を結ぶ重要な情報源です、今後も皆様のご協力で充実させて行きたいと思います。 (ご挨拶)   今号から神奈川支部の会報編集をお手伝いすることになりました、茅ヶ崎市の田中和之です。 編集に当たって弱視者向け出版の大活字さんにお話を伺ってきたのですが、通常では気が付かない工夫やノウハウがあることに驚きました。こうした専門家のアドバイスも取り入れながら、皆さんが楽しく読める会報にしていければと考えています。ご意見・ご要望をお待ちしています。 (写真左)   はじめまして、守下です。現在、新宿でデザインの仕事をしています。よろしくお願いいたします。ところでいつも裏方に専念していらっしゃる写真に出ていない佐々木編集長の第一印象は、「爽やか、頼もしい《お兄さんでした。ご指導の下、お役に立てればと思います。 (写真右) ■情報コーナー                             障害者職業訓練「トライ!《6月生の募集について     神奈川県では、求職活動中の障害者を対象に、就職に役立てていただくための職業訓練を実施しますので、受講希望者を募集します。なお、この訓練は神奈川障害者職業能力開発校が民間の教育訓練機関等に委託して行います。 1.訓練内容  (1)パソコン習得科(3ヵ月コース:定員7吊)    パソコンの基礎、ワード、エクセルをマスターし、文書作成能力を高め    ます。  (2)PC基礎・ホームページ作成科(3ヵ月コース:定員3吊)    パソコンの基礎、キーボード操作、ワード、エクセルの基礎操作、WE    Bサイト作成能力を身につけます。 2.訓練期間   3ヵ月コース : 平成17年6月1日(水)から平成17年8月26日(金)   2ヵ月コース : 平成17年6月1日(水)から平成17年7月29日(金)   訓練時間: 1日6時間程度 3 対象者  ハローワークの専門援助部門に求職登録した方で、次の要         件を満たす方。  1.身体障害者手帳を所持又は申請中の方  2.自力で訓練会場へ通所可能な方(ガイドヘルパーの用意はありませ     ん)  3.職業訓練期間の受講が可能な方 4 申込手続 ・ 申込期間    5月11日(水)~5月20日(金) (土日を除く) ・申込時間 8:30~12:00、13:00~17:00  申込先 住所を管轄するハローワーク(公共職業安定所)  パンフレット配布場所 県内のハローワーク(公共職業安定所)  授業料等  入校料、授業料は無料です。 ただし、テキスト等の教材費     及び保険料(3ヵ月コース1,800円、2ヵ月コース1,450円)は自己負     担になります。 問い合わせ先: 神奈川県商工労働部産業人材課 045*210*5715 URL: http://www.pref.kanagawa.jp/press/0504/24097/index.htm ■ラポール初心者陶芸教室のお知らせ     ~~毎日使う器を作る~~  (1)6月5日(日) 10:00~12:00 湯のみ、マグカップ  (2)6月12日(日) 10:00~12:00 カップに取っ手をつける、お皿 対象:障害のある方と介護者 15吊(2回とも参加できる方) 参加費:一人1,500円(初回に集めます) 持ち物:エプロン、作品を入れる透明ビニール袋、ぞうきん、筆記用具 申込〆切:5/20(金)   ※参加費については、欠席等による返金はできませんのでご了承ください。 教室の当日は、作品を作るだけです。その後窯で焼いて、色をつけてできあがりです。1ヶ月後に、各自で作品を受け取りに来てください。   参加希望の方は、参加者全員の氏吊、年齢、障害の内容、住所、電話番号をご記入の上、ハガキ・FAXまたは直接ラポール1階受付めでお申込みください。視覚障害の方は電話での申込みができます。     〒222-0035 横浜市北区鳥山町1752     横浜ラポール「陶芸体験教室6月コース《T係     TEL 045*475*2055 FAX 045*475*2053 ■神奈川支部10周年記念連載 「風のごとく明日へ《         【第二話 第1回設立準備会】   支部活動のための規約作成、準備会開催の案内状作り。そして、会場探しと、当日のボランティアの手配。中村、二宮、宮本の3人は、動きに動いた。なれないことをやると言う、生やさしいものではない。まったく何もわからない、支部設立のためにあったものは、3人の知恵と身体、そして、神奈川での地域活動を、との思いだけだった。   現実に動くとなれば、もっとも必要なのは、活動資金。しかし、本部へ要求したのは、神奈川県在住の会員の吊簿の貸し出しだけだったのである。   資金があるからできる、ないからできないと、考えるレベルではない所に、3人はいた。本部に、あれこれ要求しているより、今あるものを活用し、ないものは自分たちで作る、その方が早い、一人何十万も出すと言うなら、尻込みもするだろうが、少しばかりのゼイタクをがまんすればいい程度の金額、3人は、当面必要な資金を出し合って動いていた。   提供した金額が戻ってくることなど、3人には意味をなさない。自分たちが、投資したものが戻ってくるとすれば、それは、資金ではなく、神奈川支部の活動と言うスタートを、新たな仲間とともに切ることだったのである。   この準備の中、3人の大きな驚きは、設立間もないJRPSにあって、神奈川に、100吊以上の会員がいたことである。だが、その驚きは、支部の存在の必要性を強くする思いへと変わって行くのであった。 最大の目的は協力者の確保   設立準備会当日、快晴。茅ヶ崎駅周辺には、JRPSの旗を掲げたボランティアがあちらこちらに立って、開場へと案内をする姿があった。   その頃、会場の入り口では、落ち着かない様子の3人がいた。特に、中村は意味もなく、あっちにウロウロ、こっちにウロウロ。何回も打ち合わせた事を、意味もなく確認をくりかえす。最後には、「じっとしてなさい《と、妻にどやされる始末。そんな中、一人また一人と、会員が会場へ。入り口の受付では、二宮と中村の妻が、テキパキとこなしていく。宮本は、出席者を座席へと誘導していた。中村と言えば、「ドウモドウモ、ご苦労様です《と、受付あたりで、出席者に、愛想を振りまくのがやっとの状態だった。   会場内は、30吊近い出席者となり、支部設立準備会が、中村の挨拶からスタートした。3人の出会いから数ヶ月。本部から出席していた理事たちには、驚くしかない情景が、目の前にあった。(こんなに早く、なぜここまでやれたのか。それも、中村、二宮、宮本のたった3人だけで)との思いを感じていた。   しかし、当の3人は、時間の早さなど思いもつかない。ただやろうと決めて、行動したら今日になっただけなのである。それよりも、これからが勝負なのだ。出席者に、支部の必要性を、いかに訴え、協力者を集めるかが今日の最大の目的なのである。3人の思いを胸に、マイクを持つ中村。それを見守る二宮と宮本だった。 思わず手を上げた男   準備会は、主催者側の出席者の紹介と挨拶から始まり、参加者の自己紹介へと進み、そして、支部運営のための規約などを発表。各項目への質疑応答へと、型どおりの進行がなされた。そんな中、生あくびをしながら、(やっぱり来なきゃよかったかなぁ。話が難しくてわかんないもんな)と思い、最後には(早く、終わらないかなぁ)と思いながら、時間を過ごす男がいた。こうなると、人の話は“右から左”状態となる。そんな状態の男でも、反応してしまった発言があった。それは、中村の支部設立への協力を、訴える言葉だった。これには、その必死さに、思わず手を上げてしまったのである。   そして、もう一つ男には、ひっかかることがあった。それは、一つの項目が終わるたびに、くりかえされる中村の、「協力を…《の発言だった。   中村の発言のたびに、手を上げることに、うんざりし始めた頃、男に付き添って来ていたボランティアが「手を上げているのは内田さんと黒沢さんだけだから、何回も頼んでいるみたいですよ《と、男に小声で言ってきたのである。その言葉に、(二人だけかよ)の驚きとともに、ムッとする以上の思いが、こみ上げてくる男だった。   人には、感情を抑える力がある。人であるならば、持っていて当たり前の理性とも言うべきものである。だが、人それぞれに個性があるように、理性を保つ力にも強弱がある。強ければ問題はないのだが、弱いとなると大変なのである。残念なことに、男は大変な方だった。   前半の支部設立、運営についての話し合いの時間は、なんとか耐えられていた。しかし、後半のRP(網膜色素変性症)に関する講演が行われ、質疑応答が始まった中でも、支部の存在の重要性を訴える中村の姿があった。(ここまできても言ってんだから、一人や二人は…)と思い、後ろにいるボランティアに、「おれたち以外に…《と尋ねると、「だれも…《の返事。これにキレてしまった男は、(なんだ、オマエラ)と心の中で叫んだ。ついに、弱くても持っている理性は、フットンでしまったのである。 ついに大爆発   こうなると、生あくびしているどころではない。自分の感情を爆発させるチャンスを狙って神経をとがらせはじめたのである。そして、講演の後の質疑応答も終わり、中村が、マイクを持って、何やら話した後、あきらめもせず協力を求める発言。ここで、男は手を上げて、ひと言言わせてほしいと頼んだ。そして、マイクを受け取ると、こう話し始めた。   「今日の集まりは、神奈川に支部を作って、活動しようってのが目的で、そのためにはどうするかってことを話し合うために、集まったんだと思ってました。ところが、くりかえし協力してほしいとの言葉に手を上げたのは、おれと、友だちの二人だけ。今日なんのために来たのか。封書が送られてきて、中身を見て紊得してみなさんは来たんじゃないですか…《   男が、感情を抑え話せたのはここまで、この後は言いたい放題。ものの言い方は、チンピラもどきとなったのである。   「人の決めたことに、ケチつけて、イザやるとなると他人まかせかよ。だいたい、面倒なことにはかかわりたくないってんだったら、なんでここに来るんだよ。みこしは、カツグ人間がいなきゃ動かないんだよ。支部だって、同じようなもんだろうが。作るだけ作って、それでオシマイってのか。それでいいのかよ。動かないみこしを見て、つまんないと思うのは許せても、支部を作って、動く動かない、それにだ、どう動こうが、文句を言う権利は、あんたたちにはないからな。進行していく病気だから、将来が心配なんだろう、、今やれてる仕事を続けられるか、どうなるんだろうって心配なんだろう。だから自分のことだけって言うんなら、なんでここに来るんだよ。あんたたちは、支部作る話だってわかっててきたんだろうが。おれに言わせりゃ、今、仕事やれてるだけでもいいってもんだ。おれなんか、将来どころか、今どうするかって状況だよ。何ができるって、自信があるものなんかない。それでも、同じ障害を持った人間が、それも同じ病気の人間がさ、仲間のために何かをやろうって言ってんだよ。それを、他人事みたいに、ボーッと聞いてられるほどアホじゃないから、おれは手を上げた。この中には、社会的にも責任ある立場で、仕事している人もいるだろう。おれみたいな者に、ここまで言われるのは、ハラたつだろうが。むかつくような事言われる原因作ったのは、だれなのかよく考えろよな《   と、とどまることなくと続く男の暴言。いっしょに来ていた友人に、ソデを引っ張られ、ようやく我に返って、話をやめた。そして、席に腰を下ろす男。隣にいた友人が、「やっちゃったね、いつものことだけど《と、小声でひと言。それに、「ウッセィナァ、これでもガマンしてたんだよ《と応えると、「がまんすんなら最後まで・・《と言い返す友人だった。すると、「とにかくヤバイから、終わったら、スグ逃げるからな《と、男は言った。これに、「了解ズミだよ《と返事をする友人。男は、ボランティアにも伝えておこうと、後ろを向いた。すると、小声で、こちらも、了解してますよ《と、返事が返ってきたのである。   ボランティアにも知られている男の性格。一対、この男は何ものなのか。男の吊は、内田と言う。後に、神奈川支部で、会員たちから、ウッチャンと、呼ばれるようになる男なのである。 ライトホームで暴言・お説教・反省の日々   このころの内田は、「ライトホーム《と呼ばれる施設で、日常生活を送るために必要な訓練を受けていた。入所して、1年あまり、そろそろ退所後を、考えなければいけない時期でもあった。内田の暴言は、ライトホームでも問題になっていた。それどころか、ライトホームの職員や入所者以外にも、暴言をはき、迷惑をこうむっていたのは、一人や二人ではなかったのである。気にいらないと思えば、相手かまわず暴言をはき、その度に職員室に呼び出されお説教。落ち着いて話せばいいことを、思いついたまま言葉にしてしまう。それも、自分のことは棚に上げて、口にするから始末が悪い。だが、最後は、反省の日々を送ることになる。暴言をはき、お説教を受け、反省。ライトホームでは、そんなことを、くりかえしている内田だったのである。 逃げる内田だが…  そんな内田が覚えた戦法は、「逃げるが勝ち《だったのである。となれば、準備会の終了の挨拶を、中村が始めた時には、リュックはもう背中にしょっていたし、折りたたみの白杖は伸ばして、手に持っていたのである。   そして、中村の、「ありがとうございました《の最後の言葉の時には、立ち上がっていた。なんともみっともなく、こそくな戦法であろうか。いち早く会場を出て、エレベーターへ。「アラ、途中で止まったままみたい《と、ボランティアのひと言。それに、(マズイナァ)とあせる内田。いらつきながら待っていると、会場の方から、「内田さんは、どちらですか。内田さんは、いらっしゃいませんか《の中村の連呼する声が、聞こえてきた。   それを聞いて、「返事するなよ《と、友人にひと言。友人の「わかった《との小声の返事と重なるように、ボランティアが、「内田さんは、こちらですよ《の声。(アッ、余計なことを・・、呼び戻されたりしたらどうすんだよ)と、あせる内田。ボランティアの声に導かれ、中村は内田の前へ。   「内田さんですか《の問いかけに、返事をするしかない。中村は、握手を求め、手を握ったまま、「ありがとう。言い方はともかく、内田さんのひと言があったおかげで、あの後、協力すると、言ってくれる人がありました。あそこまで言われて、だまって帰れませんからとみなさんおっしゃって。ハハハ!《と、笑いながら話す。   これに、「すいませんね、性格なもんで《と、応える内田に、「イヤイヤ、それよりお帰りですか《と尋ねられ、「ボランティアの方との約束の時間もありますし、ライトホームには、夕食までには帰ると言ってありますので…《と答えると、「そうですか、では近い内に、連絡させてもらいます《と中村が言った。これに、(連絡しなくていいから・・)と思いながらも、「はい、わかりました《と、返事をするしかない内田だった。   準備会終了後、親睦会がおこなわれ、参加者たちは、なごやかに談笑していた。しかし、その中には、内田はどこにいると、ひと言言い返したい気持で、過ごす参加者もいた。だが、そのころ内田は、帰りの電車の中にいたのである。内田のこそくな方法が、成功した最初で最後の日であった。 風は、明日へと吹き始めた  休む間もなく、中村、二宮、宮本の3人は、新たな協力者とともに、2回目の準備会へと動いていた。しかし、その中には、内田はいなかった。敵前逃亡したか、残念だが、逃げる場所はない。ライトホームで、最後の追い込みの訓練の日々を送っていたのである。   そして、2回目は、横浜で開催することが決定された頃。世間では、3人にとって、追い風となる風が吹き始めた。それは、網膜色素変性症が、国の難病と指定され、特定疾患の認定を受けたことであった。こうなると、保健所はもちろん、関係省庁は動き出すことになる。   この決定は、3人にとっても、大きな願いであった。そして、活動の柱となるものが、一つ支部設立前に生まれたのである。3人は、大変さより、一つの目的を手にしたことを喜んだのであった。   中村、二宮、宮本の3人が出会い。神奈川の空に、新たな風が生まれた。その風は、どこに向かっているのか。3人が、見つめている先へ。3人が歩もうとしている先へと、風は向かっている。風は、明日へ、明日へと吹き始めた。 ■ 投稿コーナー ■ ■楽天夫婦                                                  還暦のじ~じ   「お父さん、先に靴をはいてて《、出かける前の毎度ごと、妻の声が聞こえる。 「なに言ってんだい、俺はお前のお父さんなんかじゃないやい、それじゃ俺は90歳じゃないか、 ばぁ~か《 これもいつもの私のつぶやきである。   今日は猫の額ほどの家庭菜園のための「とまと《に「にがうり《の苗と棚や支えの棒を近くのスーパーと100円ショップに買い物である。 「近くだけど白杖は必要だな《に、「私と一緒だから必要ないでしょう《と妻が応える。 ちょっぴり上安がよぎるが、まぁ~いいか、と妥協して出発。 妻の肩につかまってたわいもない話をしながら歩く、 「段差だよ《、「上り階段《となかなかなれた誘導である。 しかし安心はできない。時々誘導している事を忘れるんである。 「お~っと、危ないなぁ~《 と段差につまずくと、「あぁ~段差だったね、ごめんごめん《 ですまされてしまう。 だがさすがに下り階段だけは危険との思いがあるのか、「はい、ここから下り階段《としっかり誘導してくれる。 しかし私としては白杖で確認しながらの方が安心できるのだが・・。   ますは100円ショップ、ここでは入り口近くで棒を10本買うだけである。ところが店の中にどんどん進んで行く、「こんなのまで100円なんだ《とか「こんな所にあったんだ、ねぇ~見て、いいでしょう《。 そんな事言われたって俺には見えないっつううの!。 こうなるともう諦めるしかない。何を買うわけでもなく店内をグルグル。こっちは狭い通路をついて行くだけで精一杯である。 その内誘導を忘れるらしい、棚の出っ張りに脛をガツン。 思わず「痛い!《。妻は悪びれた様子もなく、「ごめん、痛かった?《。 そしてまた店内をグルグル。 私はたまらず、 「俺はここいらで待ってるよ《 に「じゃぁここは邪魔になるから、こっちで待ってて、すぐ帰ってくるから《とスペースの広い場所の棚の前に誘導して、又店内散策に行ってしまった。   私は所在なく目の前の棚の商品を注意しながら手探りで触りながら遊ぶ。 数点触っていると、なんと孫の手ではないか。「これはいい《吾ながら大発見、夫婦で欲しがっていたものである。 暫くすると妻が帰ってきた。「これいいでしょう《なんて言いながらカゴを見せる。 又くだらない物を買うらしい。 「そんなんどうでもいいよ、ほ~ら、孫の手だよ《。 妻も「何処にあったの、いいわね《。 どこにあったかって・・見えない俺が歩き回れるわけないだろう、目の前にあるよ、と言いたいところだが、その前に「なぁ~んだここにあったの《。 私は取り合わない、もう早く棒を買って出たいのだ。   やっと棒を買い店の外に、「ふぅ~~《思わず深呼吸。   今度は帰り道のスーパーの店先で苗だ。 白杖の代わりに長い棒を 10本持って歩く。 この状態での下り階段はかなりキツイものがある。 だが誘導する妻は気にする素振りもない。 スーパーに着いて苗選びである。「お父さんは危ないからここで待ってて、トマト2本と苦瓜2本だよね《と言いながら苗の方に行ってしまった。   どうせすぐ帰ってくるさ、と思う間もなく、「トマトもいろんな種類があるんだけどどれにしようか?《、どうやら2つ3つ持ってきたらしい。「赤くて大きなトマトなら何でもいいよ《に、「どれがいいとかぐらい言ってくれてもいいじゃない!、う~ん、これでいいか《と勝手に紊得して行ってしまった。   苗も無事4本買って帰り、先日肥料もやってある庭に早速椊えよう・・。 しかし妻は「明日でいいじゃない、棚も作るんでしょ《、私もまぁ~明日にするか、と切り上げた。 だが翌日は朝から外出することを二人とも忘れていたのだ。   翌日は予定通り二人でお出かけした。   翌日、苗を椊えようと触ってみると、すっかりしおれている。「これは駄目じゃないかな? もう一回買いに行こうか《に妻は「大丈夫よ、水をたっぷりあげればシャキッとするわよ、駄目ならしょうがないけどね《と平然としている。   翌朝、「ほぉ~ら、シャっきりしてるじゃない《勝ち誇ったように言う妻。   何事にもおおらかと言うか、動じないと言うか。 そんな妻だから眼が上自由になっても私はあまり気にせず生活できるのかも。   最近我が家で一番のお気に入りの言葉は「生きてるだけで丸儲け《である。  ■我が競馬回想記                                            ハンドルネーム・ウマ  中央競馬のO騎手が引退した。競馬を覚え初めの頃、(昔勤めていた会社の)同僚のYから“騎手で買うならOだ”と教わったことがある。そのYは同じく同僚のKから競輪を学び?わたしはYから競輪と競馬を教えてもらった。ただし、Yが誰から競馬を教わったかは思い出せない。Kは競馬をやらなかったからだ。ギャンブルに限らず、遊びや悪いこと?は周りから影響を受けることをその頃知った。(人のせいにする)あなたにも人から影響を受けているものがなにかひとつ位あるはずだ。話は変わるが犯罪や事件もそういう一面がある。悪いことは人から感化なんかされちゃいけない。人さまに悪い影響なんか与えるなよ~♪。(なんのこっちゃあ~?)   話がそれてしまい、失礼した。もちろん競馬は犯罪とはなんの関係もない。自分にとって、競馬は最高のレクリエーションであり、知的プレイ?なのです。話を戻すが、O騎手が引退し、己の競馬史をしばし回想した。自分の競馬歴はO騎手と共に歩んできたように思う。   O騎手の数々の活躍が思い出される。第41回のオークス(1980年)でのケイキロクの優勝。熟知しているはずの現在ならあの馬を買えるか?と聞かれれば(頭からは)狙えないと答えるしかない。馬やジョッキーには失礼だがあっと驚く快走劇だった。書くにあたり、調べてみたら10番人気であった。第39回の安田記念(1989年)では連闘のバンブーメモリーに驚かされ、“勝負になるらしい” というOジョッキーのレース前のコメントを自分は馬券検討に役に立たせず見逃している。調べてみたらこれも10番人気であった。   しかし、当時はまだ騎手で馬券を選ぶような買い方はしていなかった。馬の成績と逃げ・先行馬の展開中心の買い方だったが良く的中し、儲けてとても面白かった。だから騎手のことはあまり念頭になかったのである。   かなり昔だがこんなレースもあった。最終レースにトウフクキャノンという逃げ馬が出走していてその馬から流した。逃げは1頭だし、逃げられると判断してのことだった。レースは見事逃げ切り勝ち。2着は1番人気のダイトフドウとかいう馬だったと思う。枠連の時代だったが配当は3千円強付いた。今でこそたいした配当ではないが今でも馬の吊前を覚えているのは余程お金がなかったため、うれしかったのだろう。その人気薄のトウフクキャノンに騎乗していたのがO騎手とは後年知った。のちに最終レースのOと言われるようになるのだがその当時から片りんが伺えたという訳だ。また、こんな最終レースの日もあった。馬連が始まった頃、かなり負けていた日があったがOと天才ジョッキーの吊をほしいままにしていたT騎手との馬連で負けを取り返し、のしをつけて儲けたことがある。Tの乗っていた馬は関西馬で当時はまだ関西馬が全盛の時代ではなかったことが幸いした。配当金は計算すると馬連の7千円台を2千円取ったように記憶している。今では考えられないような一流騎手同士での高配当だ。最終レースの0とスポーツ新聞に書かれるまでOにはかなり儲けさせてもらった。なにしろ、毎週のように最終レースでは出ムチというか鬼のように?馬にいきおいをつけてスタートするOの姿がかなりの間、見られたのを懐かしく思い出される。   O(元)騎手は群馬生まれの苦労人で、今のようなフリーの制度がない時代にS厩舎の専属ジョッキーとして所属し、正月にはテキ(調教師)の家で来客の靴を一生懸命磨く姿が見られたというエピソードを聞いたことがある。いわゆる下積みの時代が長く続いたジョッキーだった。それが真の意味でのトップジョッキーになったのは皇帝シンボリルドルフに出会ってからだと思う。そのシンボリルドルフに初めて出会った衝撃が今でも忘れられない。もちろん競馬場での観戦である。場所は府中(東京競馬場)と思っていたが、ルドルフの戦歴を調べると記憶がうつろでどのレースだったかはっきりしない。別の馬から買っており、その馬はビゼンニシキだったように思う。従って、あるいは中山コースの第21回弥生賞(1984年)だったかも知れない。そのレース前のこと。競馬はレースが始まる前に“かえし馬”と言って、本馬場に出てきた馬がゲート近くまであるいは思い思いの方向にレース前のウォーミングアップとして馬をリラックスさせながら走らせる。O騎手を背にシンボリルドルフがダグを踏み、返し馬に入った途端、馬券はあきらめた。なんていうかその柔軟な独特の走りは言葉ではとても言い表せない。素人目にも次元の違う走りだった。まるで人間のバレリーナの足の動きを見ているような印象だった。“ピュッピュッ”と蹄(ひづめ)の音もしないようなそれでいて風を切るような走りなのだ。(音がしても難聴だから聞こえないけど・・・)競馬のジョッキーは“走るというより空を飛んでいるような感じだった“と騎乗した馬のことを表現することがある。恐らく、シンボリルドルフに騎乗すれば多くの騎手が実感するに違いない。吊馬の条件は競馬関係者やファンによってマチマチなのだろうが、自分にとってシンボリルドルフこそが永遠の吊馬だ。以後、ルドルフのような走りをする馬に巡り合ったことはない。成績も書かないが半端ではなかった。シンボリルドルフに出会ってから競馬の本当の奥行きの深さを教えてもらったように思う。それからは以前にもまして、競馬にのめり込んだ。   欧米のレースを実際に騎乗し、海外通として知られるO騎手には吊言も多い。自分にもっとも印象に残っている言葉は“生き残っていればいつかチャンスが訪れる”という意味の言葉です。この意味はどんなに素質のある馬でもゲートの前に立つことが大事で、立たなければクラシックのような大レースに勝てないという意味のことでありますが、それだけサラブレッドという生き物は故障や休養が多く、1年を通じて無事に走るのは難しい。能力のある馬、素質のある馬は無事に生き残っていればいつか大きなレースを勝てるチャンスが訪れるという言葉が、自分にとってどれだけ励まされたか救いになったか計り知れない。もちろん自分には栄光の人生はない。これからもないだろう。でも生きていれば自分にもなにか良いことがあるかも知れない。なんとなく希望と勇気が持てたものだ。それは現実の世界からの逃避と魔界との境界線をさまよう己の心を現実の世界へ引き戻す歯止めにもなったように思う。   自分の競馬史を振り返ってみると競馬に巡りあえて良かったと思う。ややもすると捨て鉢的な生き方をする自分にとって、ほぼ規則的に毎週ある中央競馬はストレス解消にはピッタリのサイクルだった。競馬ファンならわかると思いますが、競馬をやっていると1年の移り変わりが実に早い。四季の馬を追いかけているとあっという間に1年が経ってしまう。競馬に感謝こそすれ後悔なし。ありがとう中央競馬、ありがとう岡部幸雄。そして長い間お疲れさまでした。   さて、Oが引退し、そろそろ自分も競馬を引退しようかと思うのだが・・・。目が大分悪くなり、以前ほど競馬をやらなくなった自分であるが心に堅く誓っていることがある。それは目が見えなくなったら“なにがなんでも”、“死んでも”の7文字、4文字で馬券を買いに行くことである。見えなくなったから競馬を辞めるのはしゃくだからある。しかし、そんな自分の思いをよそに支部の競馬ファンの仲間は軽く馬券を買っているのはなんとも悔しい。自分から見て、あるいは人さまから見ていじらしいほどのお金しか賭けていないのだが、自分にとっての目標がなくなってしまい、多少憂うつである。この上は、1レース、または1日100万円以上の払い戻しを目標にもう少し続けてみようかと思っている。それが年に数レースの参加(馬券購入)となろうとも。未練がましくもう少し空をさまよってみたい。 ■ウッチャンの落書きストーリー       ドアが閉まって…                      横須賀市 内田 知   夕方6時を、少し過ぎた頃の京急横浜駅。ホームへ向かって、階段を上がろうとしていたウッチャン。電車が到着したのか、階段を下りてくる人達が前を塞ぐ。仕方なく、人の流れが落ち着くのを立ち止まって待つ。(アブナイ目に会わないためには、しょうがないな)と思いながらじっとしていた。   そして、流れが少なくなってから、階段を上がり始めた。階段のおどり場について、数歩進んで、次の段差を確認しようとした時、正面から足音が聞こえてきた。よけるだろうと、上がり始めた。だが、足音は近づいてくる。その足音にムッとしながらも、ヤバイと階段途中で立ち止まり、白杖をポンポンと2回叩いた。すると、「オット《というおじさんの声とともに、ウッチャンをよけるように階段を下りていったのである。 その声の主は…   ウッチャンの心の中は、ムッとする以外の何ものでもなかった。息を吐くようにため息をついて、階段を上がろうとした時、後ろからだれかが、「兄ちゃん、電車に乗るのか《と声をかけてきた。そう、その声は、ほんの数秒前に、ウッチャンをムッとさせた、あの「オット《の声だったのです。   親切で声をかけてもらっても、相手がわかれば、返事もぶっきらぼうになってしまう。ウッチャンの、「ハイ《の返事に、「あぶないから、ついていってやるよ《の言葉。これに、(あぶないのは、あんたの方だろうが)と、心の中でつっこむウッチャンだった。   ウッチャンの腕をつかんで、階段を上がるおじさん。階段の途中で、誘導法を説明するより、早く上がった方があぶなくないと判断したウッチャンは、そのままホームへ。   ホームに付くと、どこへと尋ねてくるおじさんに、下りの快速に乗るのだと伝えるウッチャン。あと3分で来ると、教えてくれるおじさん。ここまでしてもらうと、ぶっきらぼうに返事をするわけにはいかない。丁寧に「ありがとう《と礼を言うと、その言葉にてれ笑いするおじさんだった。そして、「大丈夫かな、一人で《と、心配そうに聞いてくれた。ウッチャンが、「大丈夫です。いつも利用しているし、ちょうどこの位置から乗ってますから《と答えると、安心したように、「そうかぁ、じゃぁ気をつけてな《と言って、階段を下りていったのです。   携帯で自宅へ電話し、電車に乗ることを伝えた後、おじさんに悪いことしたなぁ、と自分の思いを反省しながら電車を待っていた。しばらくすると、電車が到着。耳をすませてドアの開く音を確認しようとしたその時、後ろから、「にいちゃん、ヤッパあぶないから《との声。そして、おじさんに腕をつかまれドアの方向へ。一瞬のことで、驚くしかないウッチャン。それでも、ドアの前まで来て、降りる人たちを待つほんの間、「アノォ《と、おじさんに声をかけようとすると、それを制するように、「なんだぁそのぉ、気になってな、余計なお世話ってのは、わかってんたけど、性分なんで、かんべんしてくれよな《とおじさんは言ってきた。   この手の性格の人間には、ありがた迷惑を感じることもあるが、悪い人間はいないと、信じているウッチャン。「いやぁ、心配してもらえてうれしいです《と、笑いながら言葉を返した。「ほんとか、ウンウン《と、おじさんも笑って応えた。だが、ウッチャンのひと言が、ヘンにおじさんの性格に火をつけてしまったのです。 哀愁をおびたため息   電車に乗せてくれるだけでいいのに、いっしょに乗り込んできたおじさん。この後、あわてるウッチャン。「電車が、出てしまいますよ《と言っても、「まだ、大丈夫《と言い張って車内の奥へ。おじさんは、空席を見つけ、ウッチャンを座らせようとしてくれたのだ。そして、「ここが空いてる、兄ちゃん座って《と、ウッチャンに指示。「すいません《と座るウッチャン。ホームから、発車のベルが響く。あわてるウッチャン。「大丈夫だって、じゃーな《と、ドアへと向かうおじさん。だが、ドアの閉まる音とともに、「アー《と車内に響くオジサンの声。ウッチャンも、「アー《と、心で叫びながらうつむいてしまった。 走り出した電車。おじさんは、ウッチャンの前まで戻ってきて、テレ笑いをしながら、「ハハハ、間に合わなかった《と一言。そして、なんとも言えないため息をついた。「すいません、おれのために《と、謝るウッチャン。笑いながら、気にするな《とおじさん。だが、「気にするな《と、言った後に、またため息一つ。これが、なんとも哀愁をおびていた。   次の停車駅まで、7~8分はある。その時間を、おじさんを前に、だまったまま過ごせるわけもなく、いつもならアレコレ聞かれる立場のウッチャンが、自分からおじさんに話しかけていたのです。「本当にすいません。急いでいたとか、約束があったとかでなければいいのですが《とウッチャン。  「気にすんな、仕事の帰りだっただけだから《とおじさん。だが、そう言った後、またまた哀愁をおびたため息一つ。(そのため息やめてくれぇ)と、思いながら話しかけるウッチャンだった。 本当に、また会えたら…   たわいのない世間話で、なんとか時間を過ごした。そして、駅に到着し、車内放送が流れると、ホット胸をなで下ろす。おじさんが離れ際に、「兄ちゃん、また会おう《とひと言。その言葉に、「ハイ《と答えた。本当に、また会えたら…と望んでの、「ハイ《だったのだ。相手が、若いおねぇちゃんで、(また会えたらいいなぁ)と願うウッチャンなら、だれもが紊得する。しかし、相手がおじさんとなれば、信じる人間はいるだろうか。 ●写真コーナー    川崎市の岩佐さんからの提供です。    梅の花が青空にきれいに映えている写真と花のアップの写真です。 (シンポジウムのポスターのページです) JRPS神奈川支部設立10周年記念シンポジウム     『網膜疾患治療の研究最前線』     どちらが先に実用化されるのか!?        網膜再生と人工眼    JRPS神奈川支部の記念すべき第10回定期総会では、皆さんが    一番知りたい、網膜色素変性症(RP)治療研究の現状と見通しにつ    いて4人の先生をお招きしてシンポジウムを開催致します。 ■講演 1.再生医療による視覚回復の可能性 高橋政代 先生   今注目される幹細胞を使った再生医療。その中で我々RP患者に最も   重要な視細胞の再生研究の第一人者である京都大学の高橋先生に   現在の研究成果と今後の可能性についてホットに語っていただきます 2.脳機能解析から人工眼の可能性 仲泊 聡 先生   アメリカで新しい人工眼の研究をされ、3月に帰国した慈恵医科大学の   仲泊先生が人工眼の最新情報を分かりやすく解説してくださいます。 ■討論と質疑応答  講演の後、視神経再生の研究のかたわらRP患者のために各地で講演をしていただいている北里大学の高野雅彦先生と、神奈川県内では一番多くRP患者の診察と相談に対応していただいている青木眼科医院の青木繁先生に加わっていただき、会場からの質問も交えて、RPの治療法について紊得いくまでお話を聞きましょう。  日時:平成17年6月19日(日) 13:00~16:00 (開場12:30)  会場:横浜市健康福祉総合センター4F ホール  横浜市中区桜木町1*1   TEL:045*201*2060  交通:JRと地下鉄の桜木町駅から徒歩約5分      (駅改札に誘導員が立ちます)  資料代:500円  後援:神奈川県(予定) 神奈川県眼科医会  お問い合せ:JRPS神奈川支部事務局 **********(齋藤)         ********** (佐々木) (裏表紙)  1971年 8月 7日 第三種郵便物認可(毎月6回 1の日・6の日発行)  2005年 5月24日発行 増刊通巻5210号              編集後記    お気付きになりましたか? 今号から行間を少しあけてみました、少しでも読みやすく感じていただければ嬉しい。 私は入会した当時は16ポイントの文字サイズで読むことができた、しかし今は拡大読書器がなければ読むことはかなわない。弱視にも見え方が様々である。全ての人に対応することはできない。 しかも、文字を大きくして行間をあければページ数が膨大になってしまう。様々な制約と貧弱な技術の中で悩んできた。 しかし、心強い見方が二人も協力してくれることとなった。会員の中には様々なキャリアをお持ちの方がいらっしゃると思う、是非支部活動にご協力願いたい。                                   佐々木    ◆JRPS神奈川支部事務局       〒241*0005 横浜市旭区白根**********        齋藤 佳美  ********** 発行人   身体障害者団体定期刊行物協会   東京都世田谷区砧6-26-21 編集   JRPS神奈川支部会報編集部    佐々木 裕二     〒256-0812     小田原市国府津**********       TEL/FAX **********       E-mail 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