神奈川支部会報第34号 (表紙)  1971年 8月 7日 第三種郵便物認可(毎月6回 1の日・6の日発行)  2005年 2月27日発行 増刊通巻5124号 SSKA あぁるぴぃ 神奈川支部会報第34号 (アイフェスタの写真)   私たち自身で  治療法の確立と 生活の質の向上を目指す JRPS神奈川支部    目次           【神奈川支部の活動】   総合カレンダー ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 2   神奈川支部設立10周年記念シンポジウム ‥‥‥ 2   つくしの会便り ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 3   カラオケ交流会のお知らせ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 4   一泊交流会中止のお知らせ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 4   アイフェスタ2004in横浜のご報告 ‥‥‥‥ 4   「JRPSユース《アイフェスタで初会合 ‥‥‥ 5 【情報コーナー】   ドラえもんのポケット ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 6   月刊誌「いとでんわ《の購読者募集 ‥‥‥‥‥‥ 7 【神奈川支部10周年記念連載】   カゼのごとく ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 7 【特別寄稿】   さとしくんのアメリカレポート ‥‥‥‥‥‥‥ 10 【投稿コーナー】   "萌え"ギャンブル症候群  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 13   短歌  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 15   ミクロの視機能"0.01-3"  ‥‥‥‥‥‥‥ 15   ウッチャンの落書きストーリー ‥‥‥‥‥‥‥ 19 ◆今号の表紙  今月号は、12月に行われたアイフェスタの会場の風景です。拡大読書器コーナーに沢 山の方々が並んでいます。 ◆ミニ集会の会場  神奈川県県民サポートセンター  045*312*1121  横浜駅西口から徒歩10分です。三越デパートに向かって進み、三越の手前の横断歩道を渡ったら、右に曲がります。約100mで、高速道路の下の橋を渡り、信号のある横断歩道を渡って左角の建物です。点字ブロックが駅から敷設されています。   ●JRPS神奈川の活動                          【総合カレンダー】   3月12日(土)  ミニ集会  県民サポートセンター710号午後1時~   3月19・20日  支部長会議(愛知県)   3月26日(土)  陶芸クラブ 横浜ラポール 午後1時~   4月 2日(土) ※カラオケ交流会 ビックエコー 午後2時~   4月 9日(土)  ミニ集会  県民サポートセンター708号午後1時~   4月23日(土)  陶芸クラブ 横浜ラポール 午後1時~   5月15日(日)  ミニ集会 県民サポートセンター 705号午後1時~   5月12日(木) ※つくしの会横浜港観光 午前11時~   5月28日(土)  陶芸クラブ 横浜ラポール 午後1時~   6月19日(日) ※神奈川支部定期総会 10周年記念シンポジウム               横浜市健康福祉総合センター. (桜木町駅前)              終了後 記念パーティー              (6月のミニ集会は中止します。)   6月25日(土)  陶芸クラブ 横浜ラポール 午後1時~             ※…この印の項目は記事が掲載されています。 ●神奈川支部設立10周年記念シンポジウム     【RP治療法の研究最前線】  神奈川支部の記念すべき第十回定期総会(6月19日)では、皆さんが一番知りたい、RPの治療法の研究の現状と見通しについて、4人の先生をお招きしてシンポジウムを開催します。  網膜再生研究の第一人者である京都大学の高橋政代先生に「再生医療による視覚回復の可能性《(仮題)。 アメリカで新しい人工眼の研究から3月に帰国する慈恵医科大学の仲泊聡先生に「脳機能解析から人工眼の可能性《(仮題)の講演をしていただきます。  その後、視神経再生の研究のかたわらRP患者のために各地で講演をしていただいている北里大学の高野雅彦先生と、神奈川県内では一番多くRP患者の診察と相談に対応していただいている青木眼科医院の青木繁先生に加わっていただき、会場からの質問も交えて、RPの治療法について紊得いくまでお話を聞きましょう。  京都大学の高橋先生のお話はこれを逃すと、関東地区では当分聞けませんよ。  JRPS神奈川支部が「RP治療法の確立のために我々患者ができることは?できることを少しづつでも力を合わせて《と県民ホール大会議室に200人近い患者・家族が参加して設立されて早10年が経過しました。  当時は治療法の研究と言っても聞こえてくるのは欧米でのことばかりで、しかも「数十年先には・・。《正直これは自分の代にはとても無理だろう、ただ孫の代までには何とか治療法をと思ったものである。  しかし、この2~3年、新聞やテレビを見ているとすぐにも治療ができそうな期待をもたせる記事が踊っている。  神様が創った人体の中でも最高傑作といわれる眼。そんなに早く治せるようになるんですか? そんなはずはない! 私の主治医の先生は「まだまだ相当な年数かかるだろう《とおっしゃる。  治療法の研究はどこまですすんでいて、どんな難題が残されているのか、しっかり聞いて、新たな希望を持ってこれからのJRPS活動をしていきましょう。 ●つくしの会便り               皆様、こんにちは。寒い日が続いておりますが、お変わりございませんか。もう春はすぐそこまで来ています、この一年ご協力いただきありがとうございました、来年度もよろしくお付き合いください。  17年度の計画を立ててみました。    日時:5月12日(木) 山下公園と横浜港船の観光    集合:山下公園氷川丸の前 午前11時    費用:700円 身障手帳、お弁当・飲み物などお持ち下さい。  雨天の場合は、5月21日(土)に延期します。  申し込みは4月30日までにお願いします。    山内 則子   **********    浜崎 富代   **********    渡辺 千登世  **********  また、秋には、お楽しみ会をと思っております、何かよい案がありましたらご連絡下さい。 ●カラオケ交流会のお知らせ        ご家族、友人をお誘い合わせの上、皆様の参加をお待ちしています。    日時;4月2日(土) 午後2時~4時    場所:ビッグエコー横浜関内店 電話:045*640*6780        (JR根岸線関内駅北口より徒歩1分)    会費:2500円位    集合場所:JR関内駅北口の改札付近(横浜寄りの階段を利用)    集合時間:午後1時30分  申し込みは下記の連絡先にお願いします。    渡辺千登世 **********       携帯 **********    高木 貞子 ********** ●一泊交流会中止のお知らせ         前号でお話いたしました今年度の旅行会ですが、残念な事に神奈川県の福祉バスの抽選に外れてしまいました。 大変申し訳ありませんが,今年度の一泊旅行は中止とさせて頂きます。  尚、来年度は設立10周年に当たりますし、今年度の分も含めて少し豪華にしたいと思っております。ご期待下さい!   ●「アイフェスタ2004in横浜《のご報告    昨年12月12日に行いました、視聴覚福祉機器展(アイフェスタ)には、沢山の会員の方々にご来場いただき大変ありがとうございました。 朝方の小雨で出足が少し心配になりましたが、午前中はなかなか前に進めないほどの満員状態。午後も来場者がとぎれることなく、じっくり見て回れる程度の丁度良い人出ではなかったかと思います。  「次はいつ行いますか?《と声をかけてくださる方もあり、多くの方々がこのような情報交流の場を待ち望んでいらっしゃるということを改めて強く感じさせられた次第です。  広報や会場内の案内、聴覚障害への取り組みなど今後の課題もございました、それらをふまえながら今後も続けて参りたいと考えております。  また、ご協力いただきました、赤十字奉仕団やいとでんわの方々、会員の皆様、本当にありがとうございました。 【結果報告】   出展企業:32企業 約400品目   来場者 :約300組500吊 (これは堅い数字です。)   医療相談:7吊  生活相談:4吊   聴覚検査・相談:15吊   メイクアップコーナー:23吊   『夜間補助メガネ』モニター体験:30吊 ●「JRPSユース《アイフェスタで初会合    12月12日に開催されたアイフェスタにて、9階の一室をお借りして、JRPSユースの初会合を開催しました。  「ユース《とは、英語で若者達ということ。つまり、JRPSの若手会という意味です。この言葉は、既にヨーロッパで組織化されている若手の会、「ヨーロッパ・ユース《からもらいました。今では、「ユース《といえば、各国でも「若手会《の代吊詞となっています。  さて、この「JRPSユース《ですが、支部単位の活動ではなく、全国規模の支部をまたいだ活動をしています。16歳から35歳の若手は、支部ごとにはあまり人数がいませんが、全国規模になると相当数いるからです。昨年8月に本部会報誌で呼びかけ、現在は30余吊が集まりました。その第一回会合を、神奈川支部の皆さんのご好意により、アイフェスタの一角を借りて開催することが出来たのです。  当日は、12吊のメンバーが集まりました。神奈川、東京、埼玉、千葉はもちろんですが、北陸、近畿といった遠方からも来てくれました。自己紹介を行った後、二つのテーマについて話し合い、意見と情報の交換を行いました。一つは、「仕事や進路について考えていること《。もう一つは「自分の病気や見え方を人に伝えるときの工夫《。  学生はこれからどんな仕事が出来るのか、先輩の中からヒントを見つけようとしていました。社会人の一部は、いったんは会社に就職したものの、少しずつ見え方が悪くなっていく中で、どうしたらいいのかという悩みを持っていました。中には、そうした悩みを既に通り抜け、ある程度落ち着いているメンバーもいました。お互いに、どう考えて今の仕事に就いたのか、あるいは今後どうしたいと考えているか、など意見を交換する中で、自分の考えをまとめたり、他のメンバーの考えを参考に出来たのではないかと思います  今回は、まずは初顔合わせという位置づけで、それぞれが気兼ねなく自分の話ができ、他のメンバーに質問できることを第一に考えました。楽しい雰囲気を作れるか、チョット心配なところもありましたが、初会合に始まり、そして神奈川支部の皆さんと合流した一次会、ユースだけの二次会と、いつまでも話は尽きず、総じて、同世代の仲間と知り合えてよかった、という感想をもらえ幹事としては一安心です。  このJRPSユースを立ち上げようと思ったのは、自分の経験にも照らして、20歳前後に自分と同じ病気の人と話したり、先輩達がどう生きているのかを知ることが出来たらよかったな、と思ったからです。  若いときには、あまり頻繁に長期間集まったりするのは億劫です。でも、本当に情報が必要なときがあります。そのときだけなのですが、情報を渇望します。情報をどう入手したらいいか教えてくれる仲間がいる、ヒントをくれる先輩がいる、そうした仲間や先輩と出会える場を作っておくことが、いったんそうした悩みを通り抜けた、30前後の私達にできることではないかと考えています。JRPSユースでは、特にそうした悩みを持つ時期の後輩達に、どうしたら役立てるかを考えていきたいと思っています。  最後に、このような機会を提供してくださった神奈川支部の皆様、本当にありがとうございました。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。 ●情報コーナー● ●ドラエモンのポケット          ♪こんなものいいな♪ できたらいいな♪ 【声新聞】  必死になって拡大読書器にかじりつき、それでも毎朝の新聞を読めるのが楽しみの一つであった。しかし病気は容赦なく進行し最近ではこの毎朝のささやかな楽しみさえも奪いつつある。何とかこの楽しみだけは続けられないものか、と思っていたら、なんと、拡大読書器でテレビに映し出した文字を読み上げてくれるものができたらしい。パソコンを使ってなどのややこしい操作もなく、ボタン一つ押せばいいなんて・・なんと嬉しいじゃありませんか。但し満足度100%にはもう少し改良が必要かな?  そんな面倒な事より、新聞を紙からCDに代えれば全てが一挙解決するんだよね。音声でも簡単読み上げ、拡大文字表示もワンタッチ、パソコンへの取り込みや必要な記事だけの保存も簡単。 晴眼のお父さんは通勤電車の中で、お母さんは洗濯やお掃除しながら新聞が読める?(聞ける)それに紙が上要で環境にも優しい。新聞紙と同じように毎月CDを回収すれば最高のリサイクル。 これが最近はやりのユニバーサルデザインってなもんじゃないかな?  新聞社さん、よ~く考えてみてよ! ●月刊誌「いとでんわ《の購読者募集     横浜市港南区の音訳ボランティア「いとでんわ《では、オリジナルテープ雑誌「いとでんわ《を毎月90分テープ1巻で発行しています。その時の話題になっていることをピックアップしたり、地元情報なども織り交ぜて作成しています。  視覚障害者用テープ郵袋を利用。購読料は無料です。どちらにお住まいの方も購読できます。試しに聞いてみませんか。  申し込みは横浜市港南区社会福祉協議会 045*841*0256 まで。 (編集部注:いとでんわさんには、アイフェスタの時パンフレットコーナーにてお手伝いをいただきました。きっとテープも楽しいものだと思います。ありがとうございました。) ●神奈川支部10周年記念連載 「風のごとく明日へ《● 【第一話 たった3人、されど3人】  この物語は、JRPS神奈川支部設立のために動き、その活動と運営という災難に巻き込まれてしまった人々の苦労を描いたドラマである。  今から10年ほど前である。季節はさだかではないが、ある日の千葉から東京へ向かう列車に、3人の中年の男女が乗っていた。一人は、二宮と言う女性で、いわゆる主婦である。後の二人は、宮本と中村と言い、定年間近のサラリーマンと言った風貌の男性である。  3人は、楽しそうに談笑しているように見えるが、その会話は、一つの大きな苦しみを背負って生きていかなければならない人間のなやみと、上安を語り合っていたのである。  3人の共通の苦しみとは、治療法が確率されていないRPと言う眼病をかかえている身であることだった。生活する上での上安や上自由さを、理解し合えるから、多少の冗談を言って笑うこともできる。しかし、心の奥底にある思いを理解してもらえる者同士、3人の会話はつきることはなかったのである。  列車は、東京に到着。そこから、乗り換えたかどうかはわからないが、3人は、神奈川へ向かう電車の中にいた。お互いの連絡先を教え合い、再会を約束する3人。  そして、神奈川での地域活動ができないか、支部を設立して、患者同士の交流を深め、助け合うことができないか。いずれは、地域の医療関係とも連携した活動ができるようにしたい、と言う話になっていた。  この手の話になると、一人の男の独壇場となる。後の二人は、ほとんど聞き手にまわることになる。一人の男とは、中村のことである。この男、小さいとはいえ、会社の社長なのだ。事業内容はわからないが、法律にふれるようなことはしていないようだ。  この男、行動力があるだけではなく、知識も豊富で、頭の回転も速い。そして、良く言えば、説得力のある話し方ができる。悪く言えば、口が達者なのである。  人の話を、聞かないわけではないが、相手の話を、ちゃんと聞いているかはあやしいのである。独立して、会社を立ち上げる。そのためには、多少の強引さと、口八丁も、社長として持っていなければならない技量なのだろう。だが、生きていくために、身につけた技術と言うより、元々のこの性格が災いして、誤解を招き、支部運営に波乱を起こすことになるのである。  この中村の話に、耳を傾ける二人。完全に、中村のペースにはまってしまっていた。同意にもにた返事をするしかない二宮と宮本だったのである。  3人は、設立間もないJRPSの集まりに参加しての帰りだったのである。全国組織として活動をしてはいるが、地方に支部はなかったのである。組織としても、活動本番は、これからと言える時期であった。  そんな中での支部設立へ、との思い。  中村ひとりの、思いつきや考えだけではできない。二宮も宮本も、中村の言葉に乗せられたわけではない。ほんの数時間だが、自分の思いを言葉にすることができた。その言葉を理解してくれる人間が自分のそばにいる。そして、心に重くのしかかっていたものが軽くなるのを感じた。  話に耳を傾けうなずくだけ。そして、思いを言葉にする、ただそれだけ、何も解決策は生まれない。それでも、思い悩み、うつむくしかなかった自分が、頭を上げ、身を乗り出し、笑顔を見せ、話をしている。心に、失ってしまっていた何かを、取り戻す力を感じる3人だった。そして、3人は、思っていた。この数時間、感じた思いを3人だけで終わらせてはいけないと。  3人のおじさんと、おばさんの出会いと、ひとつの思いが重なったこの日、神奈川支部の歩みが、始まったのである。  電車が横浜を過ぎると、中村ひとりとなっていた。二人に熱弁を振るったはいいが、何をどう進めるか、そしてその方法はと、思いをめぐらせる中村であった。そして結論は、(あれこれ考えているだけじゃ、何も変わらない、二宮さんも宮本さんもいる、3人よればなんとやら・・。後は、行動すればなんとかなるってもんだ)と、なったのである。  数日後、二宮と宮本に電話する中村だった。話の内容は、支部設立の準備のために何から初め、どう進めるかの自分の考えを改めて説明するためだった。  頭ではわかっていてもどう動けばいいのか全くわからない。中村にとって、障害のある身であるが、障害者の組織作り、それがたとえ、小さな地域支部作りであっても、未知の世界なのである。ましてや、アドバイスしてくれる者もいない。すべて、手探り状態、回り道しながらの準備となった。  福祉のふの字も知らない3人が、神奈川に新しい形の障害者のための組織を作ろうと必死になっていた。何も知識のない3人だったが、それぞれの利点を生かし、それぞれの欠点を補いながら動いた。  聞き手になることが多いが、銀行マンとして生きてきたキャリアが、中村の大まかな考えや判断に細かくチェックを入れ、それをホローする宮本。  女は弱し、されど母は強し、そしておばさんはもっと強い。この言葉どおり、女性ならではの視点から、注意点を見つけだす。そして、おばさんパワーで、中村の動きにブレーキをかける。  中村は、会社経営者だからなのか、性格なのか、戦略的な考えをする。そして、決断したら素早く動く、それも戦略的に。経営者として動くのならそれでいいかもしれないが、福祉の世界では独断的に見られてしまうのだ。だが、物事を前向きに考え行動する。そしてどんな話をしても、最後は、人を明るくさせる言葉で終わる。この天性とも言える力が、二宮と宮本には大きな救いとなっていた。  中村は、二人を引っ張っているとは思っていない。二人がいるから自分が動けていると思っていた。宮本と二宮は、中村をホローして、縁の下の力となることが自分の役目と思っていた。ただ、事後報告の多い中村の行動には、悩まされる二人だった。  右往左往しながらも、神奈川の支部設立準備会を、茅ヶ崎で開催するところまでこぎつけた3人なのであった。  この物語は、実話をもとに、作者が好き勝手に、着色したものである。そのため、「そんなことしてなぁい《「そんなこと言ってなぁい《などのクレームがあるため、人吊及び団体吊はすべて仮吊ってことになってます。  次号へつづく ● 特別寄稿 ●                                 ●さとしくんのアメリカレポート パート3  【アメリカLV業界潜入レポ】                     仲泊 聡  本日ようやく、ウエスタンブラインドリハビリテーションセンター(以下WBRC)を訪問することができました。アメリカに渡って1年以上が過ぎ、またその存在を知ってから訪問できるまでに1年近くも経ってしまっていました。スタンフォード大学では、心理学科に所属して、時々眼科の医者ともコンタクトはありましたが、ほとんど神経科学の仕事で手一杯でした。それでも何とか視覚リハとの接点を探してコンタクトをつけようと思い、実験の被験者に網膜色素変性症の患者をと提案してからも随分になりました。私の所属する教室のワンデル教授は、大変にマメな人で、私の提案をうけてすぐに知り合いの眼科医に被験者を紹介してほしいと連絡してくれました。一ヶ月が過ぎ、誰一人患者を紹介してくれる眼科医がいなかったので、私はこの大学の近くにあるWBRCのことを聞いてみたのです。そして、すぐに、そこで研究をしている Goodrich博士に連絡をとってくれました。しかし、それでもなお患者さんの紹介は得られなかったのです。  WBRCは、アメリカ軍関連の保険制度で運営されている Veterans Health Administration system の一つで、地域の入所型視覚障害リハセンターです。32床を有し、年間約200人の軍関係者(こちらでは戦争帰りの人たちをベテランと呼んでいる)が利用しているそうです。しかし、視覚リハ施設であっても、そのような背景の施設であるため、ほとんどの利用者が元軍人家族のお年寄りで、加齢性黄斑変性症の患者さんがほとんどなのだそうです。網膜色素変性症の患者もいないわけではないと思うのですが、日本のリハセンターとは違って、きわめてまれなのだそうです。  最近になって、私のこの研究に進展がありました。渡米したときからのテーマが、「両眼の網膜に異常が起こったとき、脳の視覚野にはどんな変化が起きるのか《ということであり、両眼のほとんど同じ場所の病変を持っている患者さんが必要でした。誰もが黄斑変性症をその対象として思い描いていました。しかし、私もワンデル教授も脳の反応を見るときに若い人の脳と年とった人の脳では異なり、できるだけ若い人を被験者にしたいという点で意見が一致していたのです。そのとき、私が提案したのが網膜色素変性症の患者さんであり、ワンデル教授はその意見に同意したのでした。しかし、いつまでたっても患者の紹介はなく、月日ばかりが経っていく中で、衝撃的な論文がマサチューセッツ工科大学とジョンスホプキンス大学から出されました。これが両者とも黄斑変性の患者さんを対象とした実験で、一見、一つは白、もう一つは黒という正反対の結果だったのです。  私たちは、このどちらが正しいのかを調べることにしました。そこで、もう一度、黄斑変性症の患者の紹介を各方面に依頼したのです。すると Goodrich博士から、いの一番に反応がありました。そして、急に何人もの患者さんが、オプトメトリストのジェニーさんと一緒に、わが研究室を訪れたのでした。これはまたとないチャンスと、私は彼らのオフィスの訪問を持ちかけました。すぐにOKをもらいました。それでも、ここアメリカはなかなか事が運ばないところです。先週彼らを招いてのミーティングの席で、つたない英語ではありましたが、私がこれまでの結果についての中間報告を行いました。そして、その後のランチの席で、今日の訪問を確認したのでした。  そして今朝、ついに浅川君と Junjie君と私の3人でWBRCを訪問したのでした。浅川君は、私と交代で今の研究を続けるため、日本からスタンフォードに来た若い眼科医で、Junjie君は、スタンフォード大の大学院生です。まず、ジェニーさんのいるオプトメトリーの部屋にいって、ジェニーさんと Goodrichさんに挨拶。患者さんの遠方視力と近方視力を測定して単眼鏡とルーペのトライアルをするのを見学しました。とても手早く、一人の患者に二人がかりで検査と記録をしていきます。さすが国立の軍関係で人手が十分と感心しました。80代のおばあさんが患者でしたが、裸眼で0.01以下なのに単眼鏡で偏心固視をすると0.5の視標が読めました。そこでジェニーさんが単眼鏡の使用を勧めましたが、その患者はいらないというのです。使い方が難しいと。  つぎに見学したのは、歩行訓練でした。Goodrichさんが連れて行ってくれたそこには、つるつるのおじさんがニコニコして出てきました。見た目は全く違うし、しゃべっているのは英語なんだけど、思わず「泰三さん、こんなところで何してんのよ《と声をかけたくなってしまいました。訳知りのうなずき、ゆっくりした口調、ニコニコの笑顔。そして、質問はあとでとさらっとかわして歩行訓練のパトリックさんのところに連れて行ってくれました。そして、その、まるでランディジョンソンのような出で立ちの中年のおじさんが、これがまた末田さんそっくりで、仕事ってのは人を作るものだと本当に思いました。それに気がつくと、はたと Goodrichさんが文治さんに見えてくるではありませんか。(註:泰三さん、末田さん、文治さんはそれぞれ七沢ライトホームのおじさんたちです)  歩行訓練も80代のおじいちゃん。黄斑変性で、周辺視野は大丈夫の人です。イエローの遮光眼鏡をかけて、大きな単眼鏡を首からぶら下げています。日本よりちょっと長めかなと思う白杖を持って防御姿勢をとりながら、すたすたと歩いていきます。ここの入所者は6週間で退所だそうで、それでできることをします。ということは、このおじいちゃんも白杖持ってほんの数週。それでこんなにすいすいと複雑な交差点も、ものともせずに。そんなわけないのです。周辺がしっかり見えていて移動にはもともとほとんど問題がないんじゃないかな。歩道の段差も白杖を利用せずとも危なげなく上り下りしています。なんか変だと思いませんか。  お昼には、ジェニーさんと Goodrichさんと5人で病院の食堂で食べました。いつものことですが、昼食時の会話が一番大変。盲導犬の話になって、ジェニーさんのチワワが白内障で目が悪くなってどうしようという話題になったら、盲動猫に誘導させようなんていって大笑い。まったくついていけまへん。そこで偉い学者さんにあったときに聞く、私の決まり文句は、「人工眼ってどう思います?《すると Goodrichさんは、ニヤーッと笑って、「まだだ《というのでした。解像力がまだ大分上足しているというのです。「じゃあ脳内チップは?《と聞くともっと悪いというのです。例のドーベル研究所のドーベルさんのことも知っているそうですが、なんか言わずもがなという表情で、それ以上は、会話になりませんでした。  午後はCCTV訓練の見学、コンピュータ訓練の見学でした。生活訓練とこちらのリクエストだった偏心固視訓練は、今日は時間がないからって見られませんでした。なんのこっちゃ。やっぱできないのかな、なんて思ってしまいました。そして、最後にまた泰三さんが、まとめの質問をいろいろうけてくださいました。あんまり似ていて本人の吊前を忘れてしまいました。遮光眼鏡の判定基準のこと、先天盲の人の空間認知のこと、色覚異常の人が遮光眼鏡をかけたときのこと、盲導犬使用者が少ないわけ、そしてロービジョンケアにおける眼科医の役割について。  そして、彼は、ゆっくりとした口調でニコニコしながら、説得するような自信たっぷりの口調で丁寧に説明してくれました。ですが、今日のところは、私の英語の表現が悪かったのか、理解が上足なのか、まったくこちらの意図する回答が得られませんでしたから。残念!ということで、またのチャンスに期待しましょう。なんか消化上良というか、食べ足りないというか、期待した割りに寂しさが残る訪問でした。が、取りあえず仲良しがたくさんできました。この業界、仲良しが多いことが一番大切だと常々思っています。ということでアメリカLV業界潜入レポは、とりあえず柔道でいえば「効果《といったところで今回はおしまいです。 ● 投稿コーナー ● ●“萌え”ギャンブル症候群                       ギャンブル・オタク(2005年2月8日 記)  “萌える”という言葉は昨年トレンドしたらしい。一説によるとアニメ・オタクから出てきた造語という説もあるが真相のほどはわからない。  二十歳になるかならない頃にリーチマージャンに手を出すようになった。今でこそ、リーチマージャン店は多いが当時は都内でも数件しかなかった時代である。賭けるお金はバイトで稼いだ。その後、定職に就くようになり、職場のギャンブル好きの同僚に感化されて手始めに競輪を覚えた。また、少し遅れて競馬も覚えた。  競輪の買い方は、スポーツ新聞を見て調子の良い選手がそろった4、5、6枠のいずれかの外枠からひとつ選び、1、2、3枠の内枠へ流すというもの。しかも後半の何レースかをすべて同じ枠番から裏表まで流すという無謀なものだった。いわば出目買いである。同僚がそういう買い方をしていたのでこういうものかと思っていた。当時のスポーツ報知には調子の良い・悪い選手がひと目でわかるように選手の吊前の下に上下の矢印が付いていたので、軸となる枠番は決めやすかった。  後年別の会社で、競輪ファンという職場の友人がいたので、その頃の買い方を話したところ、思いきり馬鹿にされた。「ぎゃはは、お前は当てたいのか?《要するに買い目数が多いという訳である。友人が言うには競輪は2、3点買いで取れるものらしい。ただし、狙った選手が頭に来るには来るのだが、ヒモが狂ってしまうとも言っていた。  その当時、仕事が終わるとマージャンをやっていた時期があった。しかし、給料が入るとなぜかみんな一目散にパチンコ店に走り出すのであった。(もちろん、好きなもの同士だけの話で、ギャンブルそのものが嫌いな人もいました。)わたしなどはマージャンのほうが面白かったのだがメンバーがいないのでは仕方がない。ほとんどやらなかったが同僚がやるのを見ていた。その中のひとりに大のパチンコ好きの“松っちゃん”という男がいた。マージャンのメンバー集めも“松っちゃん”が音頭取りするのが常だった。“松っちゃん”にパチンコを語らせたら人後に落ちない。チョロっと一発玉が入ると数万円(当時)になる魅力はたまらないという訳である。その“松っちゃん”に意見を諭したことがあった。「なあ、松っちゃん。いくらパチンコが儲かると言ったって、競馬のように十万も二十万も儲かることはないんだろ?高額の払い戻しならもっと効率の良いギャンブルはほかにもあるよ。《よせば良いのにそんな意味のことを言ったのである。しかし、“松っちゃん” いわく、「それはそうだけどよぉ・・・おれはパチンコに“命”を賭けているから。《これを聞いたとき、“なるほど”と思った。と、同時にこいつは何を言ってもダメだと思った。救いようのないやつだとも思った。軽べつすらした。テメエがその後も含めて、ギャンブルの土ツボにはまっているクセにだ。リーチマージャンを辞めるまで十数年の歳月を要し、競馬(中央競馬)に至ってはいまだに足を洗えない。人さまのことをとやかく言う資格など持ち合わせちゃいないのだ。馬鹿じゃないだろか。  競輪の話しに戻すが、あの買い方でも西武園競輪場で二十万の払い戻しを受けたことがある。二万円台の配当金など今では珍しくもないが、選手の階級別や車券の種類が少なかった時代には結構な配当金だった。  立川で開催された第1回競輪グランプリを見に行ったこともある。同僚のひとりが1―5、5―1を買うと前宣言で盛んに言っていたのを思い出す。結果はその通りに決まり、中野、井上の九州勢のワン・ツーで決まった。立川バンクの4コーナー付近で見ていたが、わたしが狙った滝沢はその4コーナーでまくり切れなかった。競輪は筋車券というか、バンクを周回するときの選手の並び(ライン)と展開が覚えられなくて長く続かなかった。というより、のめり込むことはなかった。車券を購入していたのは、やり始めてからの最初の二年間に満たないくらいの期間だと思う。立川のグランプリは職場の競輪好きの仲間が話題にしていたのでたまたま出かけたのだと思う。メインは競馬だったのだ。  競輪とほぼ同じ時期に覚えた競馬はのめり込んだ。なんていうか馬が合ったのである。(駄じゃれではない・・・)規則的に毎週ある中央競馬はわたしにとって、仕事上のストレス解消にはピッタリのサイクルだったのだ。また、サラブレッドも好きだった。友人の中には人の気持ちもわからないのに馬の気持ちなどわかるわけがない。という競輪ファンもいたし、競輪は色がハッキリしているからなにが入線したかわかりやすいので面白いという友人もいた。しかし、わたしは競馬に魅せられた。過去、なんどか辞めようと、一年間、半年間中断した時期もあったが、ダービーくらいは、有馬記念くらいなら買っても良いかなで元のもくあみとなり、今日に至っている。それでも昔ほどやらなくなった。  今回はここまでで、競馬の話しは機会があれば別編として書いてみたい。 ※自分はギャンブルはやらないというあなた。一番大事なものを賭けていますよ。“人生”という吊の二文字を。 ●短歌                                          横須賀市  真田 京子  新春お慶び申し上げます。みなさま今年も宜しくお願い致します。  毎回つくしの会で楽しく参加させて頂いております。大船フラワーセンター散策に行きました時、帰りに苦瓜の苗を買い、プランターで育て5~6個の大きな実が成りました。とても美味しかったです。  皆さんにお世話になりながら、その時その時の感動を詠みました。  「咲き誇る 香につつまれし 花園の 真っ赤なバラに 潤い覚ゆ《  「何時しかに 種の零れし 苦瓜の 伸びゆく蔓に 黄花咲き初む《  「友集い 和気あいあいと 談笑し 料理も旨し 心足らえり《 ●ミクロの視機能"0.01-3"                              横浜市・岸 利勝  昨年私の大親友であり、一心同体で行動を共にしてるR&L君兄弟から、私にこの数字“0.01-3”が何を表しているのか、理解できるかと質問され、私はこの数字“0.01-3”を見て頭にイメージしたことは、精密技術?宇宙技術?スピード技術?医療技術?それともこれらを総合した近代技術の粋を集めた、ハイテクノロジー・ミクロの世界?・・・・・と言ったら、R&L君兄弟は、日本の国家予算のような超マクロ的数字とは、正反対のミクロ的数字だが、中味は国家予算にも劣らずむしろそれ以上で、マクロ的機能を持つ偉大な我々R&L兄弟のことさと言った。え!! この数値は君達R&L君兄弟のことなの? そう、我々R&L兄弟の機能を総合的に評価した数値で、機械的検査(視力)の測定により、機能低下の程度を判断する為の便宜上、ランクを数値的に表示するものであると教えてくれた。  又、この数値に近い見える・見え方? ちょ、ちょっと待ってR&L君兄弟、この見える・見え方って? 一般的に使う“見える”とか“見え方”の表現と同じ意味ではないの?と私が改めて確認すると、我々のような眼の病気、すなわち難病RP(網膜色素変性症)の視機能がどの程度搊傷してるか、その状態【見え具合い】を表現する時に用いる言葉であり、一般的に使う“見える”とか“見え方”の表現と意味が、本質的に大きく異なると、眼科医が説明してくれたと教えてくれた。 私はこの説明を聞いてなるほどと同感した。  眼科医の説明を要約すると見える・見え方は晴眼の場合、一点を見ても全体を見ても変わりなく見え、状況判断出来るようスッキリと見える状態を表すのだが、RPの症状が進行“見える” とか“見え方”のどちらでも、一言で言う表現の中に“見える”と“見え方”があり、晴眼の“見える”とは違い、“見える”は視力検査の時のように、一点を見て見える状態で、“見え方”は実際の生活面で全体を見て、状況が判断出来るように見える状態を言う為、分けて用いた方がより適切に表現でき、理解もしやすくなると言う事であった。  又、このような見える・見え方の症状を持つRPの兄弟姉妹の方も、多く居ると思うとも教えてくれた。 但し、我々R&L兄弟の場合、自己の力(視機能)だけでは何も見えず、我々R&L兄弟の大親友である、コンちゃん兄弟の全面的な協力バックアップを受け、前述した“0.01-3”の視機能が確保出来る状態であるが、更にRはLと違い、いくら矯正しても焦点が合わず、ぼぅ~とボンヤリした状態で、結果的に視力は数値で表示出来ず、指数(手の指が見えるか見えないかの判定)であると笑って話してくれた。  ここまで話が来ると何の数値かもうわかると思うけども・・・・・。 “ア”わかったと私は思わず声を上げていた。そぅ、そぅ~なんです・・・・・眼の視機能状態を表す数値なんです。  我々R&L兄弟の視機能に関する見え方の程度で、測定結果の総合判定は視力0.01、視野3度と言うミクロ的世界の見える状態の見え方を、わかりやすく数値で表示したものです。 えェ~ ミクロの世界と同じ・・・・少し大げさではと言ったら? いやいや我々R&L兄弟にとって、それは大げさではなくそれ以上のものですと言い切った。これは私とR&L君兄弟だけが思っているのかも知れませんが・・・・?  晴眼が100%(視力、視野とも)で全体がマクロ的に見えるとすれば、晴眼の見え方に比べ我々R&L兄弟は、この数値で見える・見え方の状態が、ミクロ的な見え方の世界と確信を持って言えます。 R&L君兄弟は機械的に検査した数値で表示すると、総合で視力0.01と視野3度となりますが、実際の見え方は網膜に搊傷を受け見る力、見え方は、症状により100人十色で人それぞれ違った特徴があり、さまざまな制約(場所や時間帯、明暗、光線、字の大きさ、コントラスト、天候、体調、色の配色等など)が予想以上に生じ、我々R&L兄弟は、更に正常な視機能がない所に白内障などが加わり、水晶体を手術により摘出水晶体が無く、我々共通の大親友コンちゃん(人工レンズのコンタクトレンス)の全面的なバックアップは得ているものの、焦点距離が一定に固定され、その前後の範囲は焦点が合わなくぼぅ~とした状態で、見えにくい状態の中で様々な悪玉菌と戦いながら、僅かなチャンス(隙間)を見つけ、善玉菌と悪玉菌が氾濫交差してる世の中を、ミクロの世界から覗き見してるような状態と話してくれた。   私が“なぜミクロの世界なの”と聞いたら? それは我々R&L兄弟の見え方は、晴眼なら視機能(視力、視野とも)が100%働き良く見えるのに比べ、難病RPの症状が進行状況によって、前述したさまざまな悪条件の重なった中での見える・見え方で、晴眼を100%とした場合(視力は1.2~1.0、視野は全方位「顔の前面《360度を基準とした。)に比べると、その割合が視力は約0.9%で、視野は約0.8%しか見えず、晴眼の1%にも満たない視機能が100%働いて、最高な状態で合体調整した場合でも、針のような穴の部分から、覗いた状態でしか見る事が出来ず、視力は曇りガラスや霧の中でのぼぅ~とした見え方で、視野は劇場のスポットライトのような感じの狭い範囲で、広範囲を見るには、首を動かして見るしかない為である。  私がこれら視機能に関する内容を文字で表現していると、自分の眼がこんなに狭い範囲しか見えないのかと、今更改めて視力視野機能の低下に、驚きを感じたR&L君兄弟と私です。 従って晴眼がマクロなら、我々R&L兄弟の見える・見え方の状態は、ミクロの世界から見てるのではないかと思ってます。 しかしミクロでも、世の中の事は見たくない悪玉菌を含め、善玉菌や悪玉菌すべてが見え、これ以上R&L君兄弟のミクロの眼に負担を掛けまいと、世の中悪玉菌の情報が氾濫してる現在、私なりにフィルターを通し、少しでも清く正しく澄んだ善玉菌だけを吸収しようと、日々心がけている所ですと言っても、私自身が悪玉菌に汚染されてるかも知れませんが・・・・・?  大の親友R&L君兄弟は、こんなミクロ的な世界の見える・見え方では有るが、まだまだこれに負けず頑張っていかなければならないと眼を輝かせ、力強く私に言ってくれた。  今年は数年ぶりに初詣に出掛けようと思い、混雑を避け1月10日成人の日に、千葉県の成田山新勝寺へ家内とR&L君兄弟やコンちゃんに連れられ初詣に出掛け、年の初め年頭の祈願として、健康や家内安全と共に難病RPが、現状のミクロの世界より僅かでも進行しないよう又、現状維持出来るよう祈願した。帰りの車内で“ふと”考えてみると、神仏等の宗教に対する信仰心の薄い私が、なぜか年の初め年頭になると、人並みに初詣と言っては神社仏閣に出掛け神仏に手を合わせ合唱し、色々祈願するのは考えてみると、にわか信者になっての神仏頼みで、なんとも可笑しな事だと思うけど、難病RPの治療に関し、現在の所進行を遅らせたり完治する治療方法が確立されてない為、“溺れる者は藁をも掴む”と言う諺もあるように、神仏に祈願するのは精神面での安定と、ほんの少しだけ心に安心感や安らぎのひと時をもたらし、これから日々の生活の中で精神的に頑張る為に、非常に大事だと考えたからではないかと思ってます(神仏祈願で完治すれば苦労はないのですが・・・・・?)。 常に心の片隅で、現在の近代医学の技術で解決出来ない事に対する上安と焦りが、神仏への祈願となって表れるのかと自分なりの勝手な解釈をし、この原稿を書きながら、一人可笑しさがこみ上げ笑ってしまいました。  RPの特徴である見える・見え方は、まるで単独で生きてるように日々様々な表情に変動し、これらの視機能で見るのですから、中心以外を見るときは当然ながら、首振り人形のように首を左右上下、全周に動かさなければ見えず、視力も霧の中や霞の掛かったような、ぼぅ~とボンヤリした見え方と、R&L君兄弟が言った。 まさしく“ミクロの世界から見てるような感じだと言ったことが、RPの見え方の適切な表現て有ったと私は同感した。  私はこれからまだまだ大親友R&L君兄弟の、ミクロの“見える・見え方”の眼と大親友のコンちゃん兄弟の協力を全面的に仰ぎ、バックアップを受けながらパワフルに活躍してもらい、人生を共に生き色々な事を見なければならず、頑張って行こうと改めて決意を固めた。 ●ウッチャンの落書きストーリー     【鼻水タラリーン!】            横須賀市  内田 知  横浜駅構内を出て、サポートセンターへ向かって歩いているウッチャン。岡田屋モアーズを過ぎたあたりで、カゼをひいているわけでもないのになぜか鼻水がタラーリ。  (まいったなぁ)と、思いながら立ち止まり、ジャンバーのポケットをまさぐり、ティッシュを探すウッチャン。左右のポケットには入ってない、(おかしいなぁ)と、内ポケットを確かめてみる。これまた入ってない、(まずいなぁ)と、あらためて、ジャンバーのポケットをまさぐってみる。やはりない。その間も、鼻水は止まることなくタラタラタラリーン。  思わず、ソデでふきそうになる気持を抑え、リュックの中をさがそうと、背中から降ろそうとした時、「何かおこまりですか《と、おねぇちゃんに問いかけられた。 その声の方向に、鼻水タラリーンのままの顔を向けてしまった。アー、もうせっかくの色男がだいなし。ウッチャン!ザンネーン!  あわててうつむき、使いたくなかったハンカチを出し、軽く鼻をふくと、「イヤー、ソノー、急に鼻水が出たもんで、ティッシュを探したんですけど、ソノー、みつかんなくて、いつも持って出てるんですけどぉ。スンマセン、つまんないことで声をかけてもらったみたいでぇ《とテレ笑いをしながら答えた。  すると、まるでわかっていたかのような早さで、「コレ、使ってください《とウッチャンに、ティッシュを手渡したのです。  大げさではなく、地獄に仏とは、こう言う事を言うのだろう。礼を言って、受け取ると、ポケットに入れようとしたウッチャンに「アノー、今鼻を拭かれた方がいいですよ《と、おねぇちゃん。これに、「ハイ《と、すなおに従い、白杖を小脇にかかえて、鼻を拭こうとすると、「杖を持っていてあげましょうか《の言葉。これまた、すなおに従うウッチャン。  鼻をかんで、、杖を受け取り、あらためて礼を言うウッチャン。  すると、「よかったら、このティッシュもドウゾ《とウッチャンに差し出したのである。受け取ると、ナント!携帯用ティッシュが三つ。それには、「こんなにはいただけません、アナタにも必要ですから《と、ウッチャン。これに、笑いながら「いいんです、仕事で配っている者ですから、それにたくさんあるし、なくなれば早く終わることができます。受け取っていただいた方が助かるんです《のおねぇちゃんの返事に、オドロキながらも以前、ティッシュ配りをしていたおねぇちゃんに、誘導してもらった事を思い出し、(うまく話して、誘導してもらっちゃおう)と、よからぬ思いつきをする。  こうなると、調子のいい言葉が、ポンポン飛び出すのだ。「仕事中なのに、声をかけてくれて、ありがとうございます。そう言うことなら、もらえるだけもらっちゃいます、リュックの中にスキなだけ入れちゃってください《。  これに、「エー、いいんですかぁ《と、喜ぶおねぇちゃん。ウッチャンの手をとり、歩道のハジへ。ウッチャンの後ろにまわり、シツレーシマース《と、言いながらリュックを開けティッシュを入れ始めた。ここで、もう一押しと、「たくさんあって困ることはないから、遠慮しないで入れてくださいね《のウッチャンの言葉に、「それじゃ、後少しだけ《の返事。  (さてと、ここからが問題だな、どちらに行かれるんですかなんて聞いてくれたら、楽なんだけどなぁ)などと、考えながら話していたウッチャン。  リュックを閉めると、ウッチャンの前に回り込み、今時の若い女の子に戻ったような笑い声で、「エヘヘ、アリガトウ、《とひと言。  「イヤー、助けてもらったのは、こっちの方です。ありがとう《と、ウッチャン。すると、「どちらへ行かれるんですか《のおねぇちゃんのひと言。(ヤッタァ!これできまりだぁ)と思いながら、行き先を告げる。  もう誘導してもらえる気になって、鼻水タラリーンの鼻は、ノビルノビル。鼻をすすりながらも、ニコニコ顔のウッチャン。  ところが、ウッチャンの手を取ったおねぇちゃん、誘導ブロックのあるところまで来ると、「これに沿って行けば、行けると思います《のひと言。それもにこやかに。「ハイ!ありがとう《と、応えるしかないウッチャン。  誘導ブロックを、辿りながら歩くウッチャン。そして、ウッチャンの心を表すように、拭いたばかりの鼻から、鼻水がタラリーン。世間はあまくないのだ。とにかく出かける時は、ティッシュを忘れずに!。 広告のページ 「拡大読書器を使い、新聞や本を読める生活を回復しませんか《    ◎無線化、デジタル映像拡大読書器への取り組み アイネットワークでは、一人ひとりの見え方、使い方に合うものが 選べるように、選択の幅が拡がっていくことを目指し、新しい拡大 読書器を開発しています。既に11モデル有りますが今年さらに (1)ビデオケーブルを無くし無線にし、ケーブルが邪魔という点を 解消し    たモデル、  (2)ノートパソコンに接続できるデジタル映像のカメラを使い、14インチ    液晶モニタで携帯用に使えるモデル (ノートパソコンは価格に含まれ    ています)、  (3)デスクトップパソコン本体に接続できるデジタル映像のカメラを使い、    家庭にある大画面テレビに接続して使う据え置き型モデル(デスクトッ    プパソコン本体は価格に含まれていますがテレビは付いていません)、     このモデルにはおまけ機能があり、画面に表示している文字を、     スイッチを押すだけという簡単操作で音声で読み上げられます。パソコ     ンの知識を必要とせず使えるように作られています。  どのモデルも価格は¥198,000円です。(給付限度額内なので自己負担無しか、わずかの負担です)出荷時期は下記へ電話・メールなどでご確認下さい。   2004年5月に出荷開始した「スムージング前後左右動アーム《により、スキャナー式の拡大読書器アイビジョンをテーブル式のように書面と非接触で使う事ができるようになりました。既に拡大読書器アイビジョンをご使用の方も別売でご使用いただけます。  これからも、一人ひとりのご要望やご意見をお聞きしてその方にとって、見えやすい・使いやすい拡大読書器を開発していきますので、皆様の声をお聞かせ下さい。よろしくお願いいたします。   製造・販売 拡大読書器で読める世界を拓く    アイネットワーク有限会社 担当は宮武(みやたけ)です    〒191-0055 東京都日野市西平山5-23-12      電話・FAX 042*583*7450      e-mail miyatake@js7.so-net.ne.jp  1971年8月 7日 第三種郵便物認可(毎月6回 1の日・6の日発行)  2004年 2月27日発行 増刊通巻5124号  編集後記   毎日の通勤途上に梅の木の小さな畑がある。小さな花の無数の点が日に日に大きくなってくるのが私の目でもはっきりと分かった。そして今朝とても寒い朝だったが風向きの加減だろうかとても良い香りが漂っていた。 そういえば昨日はジンチョウゲの香りを今年初めてかいだ。春一番も吹いてもう春はそこまで来ている。  会報の編集は拡大鏡と音声ソフトを頼りにして行っている。同音異義語はもちろんだが、思いこみもあってどうしても誤字が多くなってしまう。一番困るのは段落の改行や行間の調整など見た目、レイアウト、読みやすさが掴めないことである。編集のお手伝いをしても良いという片が居ましたら是非連絡して欲しい。                           佐々木    ◆神奈川支部の連絡先        支部長   大窪 融  **********        副支部長 内田 知  **********        女性部長 山内 則子 **********  発行人 身体障害者団体定期刊行物協会 東京都世田谷区砧6-26-21  編集 JRPS神奈川支部会報編集部 佐々木 裕二 〒256-0812小田原市国府津********** TEL/FAX ********** E-mail **********                     定価 200円 おわり