JRPS神奈川支部会報 あぁるぴぃ33号をお届け致します。 表紙を入れて22ページです。お楽しみ下さい。 (表紙)  1971年8月 7日 第三種郵便物認可(毎月6回 1の日・6の日発行)  2004年11月13日発行 増刊通巻5034号 SSKA あぁるぴぃ 神奈川支部会報第33号 (ラブラドールレトリバーの子犬の写真があります。) 私たち自身で 治療法の確立と 生活の質の向上を目指す JRPS神奈川支部 (1ページ)  目次 【神奈川支部の活動】   総合カレンダー ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 2   新潟県中越地震への義援金について ‥‥‥‥‥‥ 2   つくしの会便り ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 3   今年度の旅行会について  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 3   視聴覚福祉機器展開催のお知らせ ‥‥‥‥‥‥‥ 4   【情報コーナー】   ドラえもんのポケット ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 5   網膜色素変性症白書  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 5 【投稿コーナー】   白杖体験講座の一日   ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 6   自家製点眼液・・・   ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 12   ウッチャンの落書きストーリー ‥‥‥‥‥‥‥ 13 【特別寄稿】   田口さんのアメリカレポート  ‥‥‥‥‥‥  19 ◆今号の表紙  今月号は、アイフェスタノポスターに登場してもらった、ラブラドールレトリバーの子犬ちゃんに登場してもらいました。 (めぼしい写真がなかった・・・。) ◆ミニ集会の会場  県民サポートセンター 045-312-1121  横浜駅西口から徒歩10分です。三越デパートに向かって進み、三越の手前の横断歩道を渡ったら、右に曲がります。約100mで、高速道路の下の橋を渡り横断歩道を渡って左側の建物です。点字ブロックが駅から敷設されています。   (2ページ) ●JRPS神奈川の活動                          【総合カレンダー】  12月12日(日) ※視聴覚福祉機器展『アイフェスタ2004 in 横浜』               ウイリング横浜(京急上大岡)午前10時~  12月26日(日)  ミニ集会  県民サポートセンター705号室               午後2時~5時 終了後忘年会を行います。 2005年   1月16日(日)  ミニ集会  県民サポートセンター708号午後1時~   1月22日(土)  陶芸クラブ 横浜ラポール 午後1時~   2月13日(日)  ミニ集会  県民サポートセンター705号午後1時~   2月26日(土)  陶芸クラブ 横浜ラポール 午後1時~   2月27日(日)  会報発送作業 県民サポートセンター9階 10時~   3月初旬      カラオケ交流会(2月の会報でお知らせします)   3月12日(土)  ミニ集会  県民サポートセンター710号午後1時~   3月19~20日  支部長会議 (吊古屋市)   3月26日(土)  陶芸クラブ 横浜ラポール 午後1時~   4月 9日(土)  ミニ集会  県民サポートセンター708号午後1時~   4月23日(土)  陶芸クラブ 横浜ラポール 午後1時~ ●新潟県中越地震への義援金について   10月23日の新潟県中越地震では、会員の方数吊が被災されました。 幸いケガをされた方はおいでになりませんでしたが、家や家財等に大きな被害を受けられ、避難生活を余儀なくされている方もいらっしゃいます。  11月のミニ集会の折り、新潟中越地震への義援金として皆様からご寄付頂きました.。お蔭様で2万1千円集まり、神奈川支部よりの寄付を加えまして4万円を新潟県支部に送金しました。  新潟県支部よりお礼のメールを頂きました。7月に水害があり、それだけでも大変なのに、そのうえ、新潟に地震がくるとは誰も予想をしていなかった。と書かれてありました。  ニュースでご覧いただいていますように、まだまだ普通の生活に戻るまで時間が掛かるようです。  義援金はまた、ミニ集会や上大岡で開催されます「福祉機器展《でも募らせていただきますので、ご協力のほど宜しくお願い致します。 (3ページ)  集会などに参加できず直接送金していただける方は下記宛てにお願い致します。      [義援金振替口座]         口座 郵便局 00520*0*57086         加入者吊称  JRPS新潟県支部 ●つくしの会便り            皆さんお元気ですか? 今年も後わずかになりました。秋の山下公園での計画は雨で流れてしまいとても残念でしたが、代わりに11月20日に食事会を開きました(会報に載せられなくてごめんなさい)。プレゼント交換やおしゃべりでとても楽しいひと時でした。  プレゼントは、ぬいぐるみ、香りの石鹸、かわいいタオル・靴下、キャンディー、チョコレート、クッキー、などなど、嬉しそうにその場で開けて楽しみました。参加された方、遠いところまでありがとうございました。これからも楽しい計画をたてて行きたいと思います。 ●今年度の旅行会について     4月に群馬に行きました折り、この旅行は前年度分で今年はまた計画をしますとお話しいたしました。現在3月の5日・6日で計画を立てていますが、横浜市の福祉バスは1年に1度しか使えません。既に4月に使っていますので、今年度はもう申込みが出来ません。  神奈川県の福祉バスをあたっていますが、ここは実行日の3ヶ月前にしか申込みができないため、申込みをしても抽選で当たるかどうかもわかりません。  申し訳ありませんが、県のバスが取れなかった場合、今年度の旅行は中止とさせていただきます。旅行会社のバスも検討いたしましたが、バスだけで16万円ほどかかってしまいます。 12月のミニ集会でハッキリとしたお知らせができると思います。皆様、ご理解のほど宜しくお願い致します。 (4ページ) ●視聴覚福祉機器展(アイフェスタ2004in横浜)   ウイリング横浜で最新の便利グッズにふれてみよう!  弱視を補うルーペ、サングラス、音声パソコンはもちろん、書面を画面に映し出す拡大読書器は実用に耐えられる携帯タイプも各社から出てきました。 音声メモを取り付ける「ものしりトーク《や色を読み上げる「カラートーク《、障害物との距離を超音波で測る「モールスソニック《、新しくなったFOMAらくらくホン。などなど見逃せませんよ。 また、今回は聴覚障害をお持ちの方のために、簡単な聴覚検査や様々な補聴器の体験もできるよう準備しました。また、前回好評だった眼科医による個別医療相談、生活相談員による個別生活相談、女性のためのメイクアップコーナーもあります。 日時:平成16年12月12日(日)    午前10時~午後4時 場所;ウイリング横浜 12階 9階    横浜市港南区上大岡西ゆめおおおかオフィスタワー    電話:045*847*6666 交通:京浜急行と横浜市営地下鉄の上大岡駅から徒歩5分    改札口から会場まで誘導ボランティアがご案内いたします。 【出展予定品目】  視覚補償機器(遮光メガネ、ルーペ、拡大読書器など)  歩行補助機器(白杖、超音波センサー、各種誘導システムなど)  パソコン関係(画面拡大・音声ソフト、墨字読み上げ・点字機器など)  聴覚障害関係(聴覚検査、補聴器など)  その他便利グッズ、サービスなど多数。  医療相談・生活相談コーナー、メイクアップコーナーもあります。 主催:日本網膜色素変性症協会 神奈川支部 後援:神奈川県、横浜市、神奈川県眼科医会 お問い合わせ:JRPS神奈川支部 佐々木 裕二     電話:**********(平日は午後7時以降)     Eメール: ********** (5ページ) ●情報コーナー                                ●ドラエモンのポケット            ♪こんなものいいな♪ ♪できたらいいな♪  今年は台風がいっぱい来たのに、戸塚のAさんのお宅の柿は大豊作。2回も「柿狩り」しちゃって、おなか一杯、帰りのリュックも柿で一杯。そんなわけで、お腹が張っちゃって、ポケットが開かないのだ。  12日にウイリング横浜にいい物が一杯あるからそれでいいでしょ。  NHKが開発してる暗視カメラもいいけど、今度の展示会にお目見えする某カメラメーカーの暗視メガネもすごいんだよ。「あんまり詳しい事は言っちゃダメ《って言われたので、自分で確かめてみてね。 【貼り替え網膜】    RPで使えなくなった網膜が貼替えられたらいいな♪  昨年の本部の総会で京都大学の本田教授が、動物実験では再生網膜はできてるんです。人間に対しての臨床試験を認めてくれればすぐにでも・・・とお話されてましたが、遂に京都大学の倫理委員会が人の網膜再生研究を認可したんだよね。  今までは、ドラエモンの耳をかじってしまったねずみなんかで研究してたらしいけど、ニックキねずみなんてどうでもいいんだよね。  あとは、厚生労働省が臨床試験を認めてくれれば・・。だけどそんなに簡単じゃなさそう。病院に行ったらすぐに網膜を貼り替えてくれる。そんな日が早く来て欲しいなぁ~。  網膜色素変性症白書        テープ版ができました  網膜色素変性症、類縁疾患の黄斑変性症、アッシャー症候群の病気の事、治療法の研究などを日本の研究の第一人者の先生方が執筆された、網膜色素変性症白書のテープ版が出来ました。  資料編まで全てが90分テープ2本に録音されています。ご要望の方は神奈川支部まで申込下さい。価格は、JRPS会員2500円。非会員3500円です。 (6ページ) ●投稿コーナー                            ●白杖体験講座の一日                          平成16年10月20日  横浜市・岸 勝  台風の多かった今年の夏も終わり、秋へと移り変わる季節の変わり目の9月、去年の第一回得々講座『白杖体験講座』を受講してから早くも1年が過ぎ、去年に引続き今年も9月26日の日曜日、第二回得々講座『白杖体験講座』が厚木市総合福祉センターに於いて、厚木・七沢ライトホームの歩行訓練課課長・中村泰三氏を講師に招いて、午後1:00~4:00の時間帯で開催されたので参加しました。今回の白杖体験講座内容は、第一回よりレベルアップ?して ①白杖の基本的な使い方。②段差や階段での使い方。③誘導ブロックの利用方法、そして今回は④実際に白杖を使用する状態での屋外実践訓練と講義を中心にした講座が主体で、⑤その他要望事項となっていました。そして今回『白杖体験講座』に参加した私の目的は大きく分け、◆白杖の使い方の習得、◆鉄道の利用方法の2点でした。 ◆外は今にも泣き出しそうな怪しい空模様のなか、集合場所は始めて降りる小田急線本厚木駅東口改札口前12時30分なので、様子がわからない為集合時間より少し早めにと、時間的に近い町田駅経由で行く事にしたが、今日は体調が悪く天気も怪しい空模様のせいか、見え方がぼぅ~と霞んで極端に悪く見えない為、いつもより足元がおぼつかない状態であった。家を出る時一人で大丈夫の掛け声に、大丈夫一人で十分行けるからと言って家を出たものの、仕事とミニ集会、眼科医院は慣れており一人で出掛けますが、始めての場所はかならず家内に誘導してもらって行くので、一人では色々心細くまいったなぁ~と思いながらJR十日市場駅に着き、町田駅は始めてでJR駅と小田急駅は離れており、わかりにくいと聞いていたので、早速今日の目的の一つであり初体験の、駅員に町田駅構内の誘導を依頼しようと意を決し(始めは少々恥ずかしさがあったので)て実行に移し、改札口で駅員に声を掛け、町田駅で小田急線に乗換え本厚木駅まで行く事を告げ、乗換駅での誘導依頼をお願いし、ホーム中程で電車を待っていると、駅員に声を掛けられホームの先端(何で最前部なの・・・?)まで誘導しますと言って、毎日利用してる十日市場駅でも誘導されそこで町田駅に連絡、町田駅ではJR線駅(ホーム)から小田急線改札口まで誘導されここで小田急側に引継がれ、小田急でも下りホームの最後部(何で最後部なの・・・?)に誘導された。そして本厚木駅下車後駅員に、改札口で待合わせなのでと言ってお願いし、改札口まで誘導され改札口に着くと、改札口前に誰も居ないのを見て!! 改札口でいいのですか?と念を押された。ここで待合わせなので間違いないですと言い、お礼を言って引き取ってもらった。改札口前には誰も居ない・・・?何で!! 誰も居ないはずでした。時間を確認した所着いたのが12時05分で早すぎた為誰もいなかったのです。各駅とも乗車から座席まで、そして下車ドア*前で待機してくれ安心して移動出来、無事集合場所の本厚木駅東口改札口に到着出来ました。 ◆私が知ってる本厚木駅は高架でなく、又駅舎は木造で駅前は広かったように記憶してますが、随分立派になったのでビックリ!! もっとも私が知ってるのは約30年以上昔の事ですから・・・、おっと話がそれすいません。東口改札口前に、集合時間の午後12時30分には参加者全員が集まり、集合場所からほぼ一列に並んで誘導ブロックに導かれ、右に左に曲がりを繰り返しながら移動、会場の厚木市総合福祉センターに到着。随分歩いたように感じたが約5~6分位との事、入口や1階ホールは省エネの為か私にとっては薄暗く感じた。会場(4階会議室)は予約したはずなのに手違いがあって取れておらず、場所など問題ではないと全員の声に、エントランスホール内待合わせ場所を会場代わりに予定通り、『第二回白杖体験講座』が開催されました。  参加人数は10人と少々少なめであったが、中村講師は少ない方が指導が行き届くのでよかったと言われ、今回の講座内容が主に階段の上り下りと誘導ブロック利用の歩行で、この他エスカレーターの乗り降り等々、中村講師と顔を合わせるのは『第一回白杖体験講座』以来約一年振りですが、ユーモアと親切丁寧さは健在でした。今回始めての参加者(2人)がいたので挨拶に続き、中村講師より去年の講義は覚えていますか?忘れてしまったのでは?の問いに、講義は最初から中村講師のペースで進み、殆ど1年中冬眠状態の優秀?なマイコンピューター(頭脳)を蘇らせる為にも、又優秀な頭脳集団?のせいか殆どの人は前回受講した内容を忘れかけ、皆大笑いで忘れかけてることを誤魔化す?。今回初参加の人もいる為中村講師の優しい心遣いで、去年の復習を兼ね前回講義した内容の内、基本的な事項に関する内容の“正しい白杖の使い方、白杖の持ち方、振り方、白杖のタッチ、アンド、テクニックの使い方、歩行時のポイント”等について、この他混雑した所では“ペンスタイルでの歩行、特に白杖の大事な3つの基本役割【表示、情報収集、防御の三点】、白杖の吊称や長さの選定基準、歩行の補助や周囲に眼の悪いことを知らせる白杖の持つ意味、歩く時の姿勢(前かがみで歩く姿勢が哀れに見え、わびしすぎるので)は堂々と胸を張って前を見て歩く”等々について、ジョークを交えユーモア一杯の話方で、大笑いしながら親切丁寧に説明、真剣さの中にも笑いが絶えず、和やかな雰囲気の中での講義が進められた。 現在の所、誘導ブロックは線状ブロックと点状ブロックの2種類があり、一般的に言われる誘導ブロック(正式には線状ブロック)は字の通り、線が4本並んでる型状で伝わって行けば、安全に何処か目的の場所に行く事が出来る。又点ブロック(正式には点状ブロック)は危険や注意を喚起、階段や段差、方向転換等の状況があることを警告知らせる。従って誘導ブロック伝いに歩行し、点状ブロックに変わったら方向転換の場所、又歩道の幅一杯に敷施されていたら、段差か階段が有ると思って間違いないので、必ずその先を白杖をズルズル? ウン 早速新しい表現で?大笑い(本当はスライド)させ、又講義が一次中断・・・・。確認し、状況を把握してから進む事が重要なポイントです。階段や段差の場合白杖がガクンとした感触が伝わってくるのでわかる。段差や階段で誘導ブロックが中断した場合、誘導ブロックを探してから白杖で歩行する。この時誘導ブロックを探すのに、手で地面を触り誘導ブロックを探す人が居るとの声に、これ又大笑いで講義が一次中断といった状態でした。誘導ブロックを探す時は、白杖や足で探すようにと中村講師の優しい?声での注意があった。誘導ブロックを利用して歩行をする場合、自分の体を右か左にずらし、白杖を左右に振って片側が誘導ブロックに触れる位置で、障害物を確認しながら歩くようにするとの講義で、白杖を利用することの意味と重要性、基本的な使い方から、階段での利用方法等々、屋内での復習講義と今回の講義が一通り終わり、今回のメインテーマ*、屋外での実践実技講義に移った。今回屋外で行われる講義は実践を踏まえた実技で、総合福祉センター2階の出入り口から続いてる高架連絡歩道橋と、明るく綺麗な地下連絡歩道の2ヶ所を中心に、駅への地下連絡歩道用エスカレーターで行われました。総合福祉センター2階ホールには、判断しやすい誘導ブロックが敷施されていましたが、屋外の高架連絡歩道橋は床面がタイル張りで、周囲のデザインに合わせ装飾されたタイルで造られた、少々形状が異なった誘導ブロックで、我々RP(網膜色素変性症)にとって、強度の弱視状態では非常に見えにくく、又白杖や足では判別しにくいものであった。(この高架連絡歩道橋の建設は、誘導ブロックがJISで規格統一化される前に建設された。) ここで中村講師が判断しにくくても、誘導ブロックを手で触って探さないようにとのアドバイスがあり、そこで又大笑い。しかしわからない時は手で触って探したい気持ちも理解できる。この誘導ブロックに導かれて歩くと、やがてT字状態で歩道の幅一杯に敷施された点状ブロックに変わり、階段(又は段差)である事を知らせてくれる。ここが今回のメインテーマーである階段の上り下りを行う訓練場所となり、早速中村講師の指導の元訓練が始まった。幸いここは人通りがなく、我々が安心して独占状態で訓練が行えた。 ①下り階段・・・白杖が階段を知らせたら最初の段の角に片足を置き、白杖で次の段の角をとらえた後少し白杖を離した状態で下りて行く。そして一番下又は途中の踊場になった時白杖の先端が先に着き、踊場又は終わりを知らせてくれる。(別な方法として、各段を白杖で確認しながら下りる方法もあり、自分に合った方法で良い。) この方法で一人づつ中村講師の指導を受けながら、2~3回程実際に下りる訓練を受け、その後各自で練習をした。この白杖を離して下りる方法の訓練を受け、感じた事は何故か上安定で危険を感じてしまう。何故だろう?多分始めてのせいかも?それだけでなく、自分が下りて行く先の確認が出来ない為、上安と危険を感じるのではと思った。このような感じを受けたのは私だけだろうか?これは他の人から同じ上安の声があったので、私だけではなかったようでした。この投稿文を書いていて気がついたのですが、通勤で駅の下りエスカレーターを利用してるのですが、空いてる時は歩いて下りるのですが、偶然ですがこの指導を受けた“ステップの角をとらえたら少し白杖を離した状態で下りて行く方法”で下りていました。しかし同じ方法なのに上思議と怖くないのは何故か?多分自然に体で覚えた事と、エスカレーターという限定された狭い空間の為かも・・・? 又誰かが階段を知らせる点字ブロックがわかると危険を感じ、前に進めないと言った声に笑いが起こった。これは多分眼で確認出来、まだ白杖の助けが無くても歩行出来る状態の視力があるのだと思います。まだ眼で確認出来る機能がある状態は喜ばしい事ですね。 ②上り階段・・・・・上りは腕を前に出し、白杖を2段先の段をハジクように確認しながら上って行き、段が無くなったら白杖がスゥ~と空を切るので、階段が終わりだとわかる。この上り下りを各自数回繰り返し要領を習得した。これで階段の上り下り訓練は終了しましたが、本当に習得出来たのかな・・・?皆さん優秀な頭脳集団だからその点ご心配無用と言った感じでした。続いて誘導ブロックを利用しての歩行訓練にエレベーターを使って連絡地下歩道に移動した。明るく広い連絡地下歩道が、誘導ブロックを利用して行う訓練場所となり、早速中村講師の指導の元訓練が始まった。地下連絡歩道は休日の為か?住人が少ないのか?我々にとって人通りが少ないのは幸いで、ここも我々が安心して独占状態で訓練が行えた。 ③誘導ブロックの歩行・・・・・誘導ブロックの左右いづれかに体をづらし、白杖を左右肩幅に振って片側が誘導ブロックに触れる位置に体を修正し、イッチ、ニイ イッチ、ニイの基本リズムで白杖を左右に振って、誘導ブロックに沿って歩行するようにと実践的な実技講義を受けた。早速歩行の実践指導で、ここでも一人づつ中村講師が脇に付いての指導を受けた。又下を見ず正面を見て歩行するよう目の方向等も指導されるが、弱視でも少しは見えるせいか、どうしても下を見てしまう。そして各自要領を覚えるのに一生懸命だった。又始めから左折や右折する事がわかっていれば、曲がる方向に体を置くことによって、左折や右折の場所が、点状ブロックに頼らすとも真横に敷施された誘導ブロックが、白杖で確認出来わかりやすくなる。そして誰かが誘導ブロックの上を歩いたらの声に、中村講師が、誘導ブロックの上に体を乗せた状態で白杖を“ズルズル”?・・・又ここで大笑い。 滑らせ歩行すると、誘導ブロックの上や脇に物が置かれていた場合、よける事が困難な状態でぶつかり非常に危険で、大きな事故につながる事が多い為、通常誘導ブロックの上は歩行しないようにとの注意があった。ここも人通りが 少なかった為、皆さんのびのびとした状態での訓練が行えた。誘導ブロック利用の歩行訓練終了後、誘導ブロック伝いに歩行右折して、次の訓練場所のエスカレーター前に移動した。エスカレーター昇降利用の講義は、実際稼動中のエスカレーター前で行われた。 ④エスカレーター上り・・・・・白杖でエスカレーターの移動ステップを確認、片足を先に乗りもう一方の足は次(下の)の移動ステップに乗り、先に乗った足をステップの角に移動させ、つま先を上げた状態(これは降りる時の為)で上まで行き、エスカレーターから降りる時は、つま先を上げた足が固定ステップに触った時点で、足先に力を入れエスカレーターから降りる。 ⑤エスカレーター下り・・・・・下りは上りと異なり、白杖でエスカレーターの移動ステップを確認、通常と同じく片足を先に乗りもう一方の足も続いて移動ステップに乗り、先に乗った足を移動ステップの角より少し先(約1/3位)に移動させ、つま先を出した状態(これは降りる時の為)で下まで行き、エスカレーターから降りる時は、固定ステップに触った時点で、足先に力を入れエスカレーターから降りるようにとの講義でした。早速講義を受けたエスカレーター昇降利用を即、眼の前のエスカレーターに乗って実技指導を受ける事になった。ここでも実際一人づつ中村講師が一緒に乗って、昇降時や途中の状態を確認しながらの訓練を受けた。やはり各自2~3回繰り返しての訓練で、大方の要領は覚える事が出来、エスカレーターは多少の通行人に混じっての訓練であったが、問題なく全員が訓練を終了した。 これで今回予定された実践的実技訓練はすべて終了し、再び厚木市総合福祉センターへ戻り中村講師との質疑応答で、今日受講した以外の『横断歩道の渡り方、ホーム上の歩き方、電車の乗り方』等々の講義要望が出されたが、残り時間が少ないにもかかわらず許す限りの範囲で、概略の触りではあったが講義を受ける事が出来ました。今回も講義全体を通し、わかりやすく時々ユーモアを交えての講義で、真剣さの中にも笑い有りの和やかムードの講座が行われました。お世話になり有難う御座いました。そして恒例の2次会組と帰宅組に別れ、第二回『白杖体験講座』は無事解散となった。  ◆帰路は訓練に使用した高架連絡歩道橋から地下連絡歩道を通り、エスカレーターで1階に出て、本厚木駅東口改札口に着いた。所で私の今日最後の目的である券売機利用について、往路はJRがイオカードで、小田急がパスネットを利用した為、復路は券売機をと佐々木さんのアドバイスを受けながらのチャレンジ、券売機右下のNo.プッシュボタンの左下*(アスタリスク)をプッシュすると音声ガイダンスが流れ、それに従って目的地までの金額を入力、続いてお金を投入、右下#(シャープ)をプッシュ、すると切符が出てきました。これならプッシュボタンの位置がわかれば、後は音声ガイダンスに従っての操作で購入出来るので、場所さえわかれば眼で追って購入するより楽であると思った。しかしまてよ!! 目的地までの金額がわからないと、購入出来ないのが少々上便だなぁ~と感じた。(このプッシュボタン方式はJR、私鉄とも多少の違いはあっても、殆ど同じタイプらしいです。) 今後は目的地までの金額を入力するだけでなく、直接目的地の駅吊を入力(文字入力タイプや音声入力タイプ)し、購入出来るシステムが開発される事を願ってます。改札口では来た時と同じように駅での誘導依頼をお願いし、ここで佐々木さん(小田原方面)や斉藤さん、浜崎さん(相鉄方面)と別れ、駅員が来るのを待ち(東口は駅員が一人の為)誘導してもらい小田急で町田へ、やはり思ったとうり町田駅は多勢の人で混雑しており、誘導依頼して良かったと胸をなでおろしホットしました。そしてJRで十日市場へ。駅を出ると我慢できず泣き出した雨模様の中を帰宅した。 ◆今日一日を帰宅後振り返ってみると、自我流に理解してた誘導ブロックやエスカレーター利用の正しい講義や実技指導を受けていなかった私は、『誘導ブロックやエスカレーター利用の講座と実技、駅の誘導依頼利用体験、音声ガイド券売機利用体験』はいずれも初体験で、色々始めて知る事が多くこれらの事を今後の生活に生かしていきたいと考えてます。又私の希望として出来れば次回、『第三回白杖体験講座』を再度お願いしたいですね・・・ちょっと図々しいかな?この他鉄道では、駅員の誘導を振り返って見ると、最前部や最後部に誘導されたのは、JR町田駅は最前部側に、又小田急町田駅は真ん中より最後部側寄りに、本厚木駅は最後部側にそれぞれエレベーターが設置されていた(残念ながら十日市場駅はエレベーターの設置なし)為と、本厚木駅東口改札口は最後部寄りだった為であり、又すいててわかりやすい事もあり、これらの事を考慮に入れての事だったと、(もちろん乗車券の購入もしてくれました)身勝手に良い方に受け止め紊得した。(少しひねくれているかな?・・・・) これなら一人でも、始めての駅で間違いなく無事に安心して行く事が出来る。但し下車駅を間違えなければですが・・・。もっと早くからこのサービスを利用すれば良かったと改めて感じました。このサービスはミニ集会で利用した人達から得た情報通りで、大変親切で本当に助かりました。 (12ページ) ●自家製点眼液・・・                               (2004年11月10日 記)  点眼マン   あまりの白内障の苦痛?に耐えかねたのか理由は忘れてしまったが、あるとき点眼液を作ることを思いついた。もちろん実際に作り、試しました。記憶もうつろですが、どうも酢が水虫の治療に効果があると知ってからだと思う。酢は飲んでも水虫に効果はないが直接つけると効果がある。そんな発想からだと思う。  まずは、ア○プチノールを細かく砕いてお湯で溶かした。いくらか溶けないざらざらの粒とピンク色に着色されているのが気になったが適当な容器に入れて目薬のようにしばらく点(さ)した。つまり飲むよりさしたほうが効果ある場合もあると酢から学んだ?つもりであった。当時はわらにもすがる思いだったのだろう。しかし、両眼では上安があるので悪いほうの目で実験した。それからは片方の目が潰(つぶ)れるのも辞さない覚悟でいろいろなものを試した。  酢はもちろんのこと、変わったものではタマネギの皮なんてものもあった。ホウレン草の茎(赤い部分)、自然塩、(泥)ごぼう、乾燥したひじきを漬け込んだ液体、牛乳、コーラ、せん茶、粉わさびを溶かしたもの、米ぬか、大根、うめぼしの種を砕いたもの・・・。怖いものでは木炭や細菌がどうかと思う豚の絞り汁なども試した。もちろん、固形のものは下ろし金で摩り下ろすか熱湯で溶かし、ある程度こします。場合によっては長時間煮込む訳です。完成品は冷蔵庫へ入れて保存した。  なかにはしばらく続けてみないとわからないものもあったが、気が急いていたのか、10日から2週間程度のサイクルで手当たり次第に試していった。最悪だったのは泥ごぼうで、夜寝る前に目に点(てん)ずるのですが、翌朝起きてみると(片方の)目が真っ白でした。なんて言うか、ノリが目に張り付いたような感じでした。これだけは2日程度で止めてしまったほどです。それにしても、絞っても泥色だとは知りませんでした。その色を見るとさすがに目にさすのは勇気が要りましたが敢行しました。あと、せん茶もダメでした。  当たり前ですが口にするものは効果がないようです。食べ物に目をつけたのは当時、ごぼうとか豚肉を食べると翌日、目が良く見えたからです。(それもいまはなくなりました。)今度は機会があればもっと変わったもので試したいと思っています。フクロウなら夜行性だから夜盲に効く物質?が目の周りのどこかにあるはずとにらんでいます。そのほか、吊前は出しませんが、神秘性?の能力のありそうな生き物には興味があります。手に入れるのは無理でしょうが・・・。でも、最近は治療法において明るいニュースが多くなってきました。もうその必要はなくなったと思いますが、当時は自分にとって、気休めにはなりました。 (2004年11月10日 記) (13ページ) ●ウッチャンの落書きストーリー       陶芸の話(後編)  ラポールの協力で、陶芸教室が、開かれることが決まり、打ち合わせもかねて、陶芸ボランティアの講習会が、行われている日に、ラポールを訪ねるウッチャン。  職員と簡単な挨拶をすませ、講習会がおこなわれている工作工房へ。ちょうど、アイマスクをして、作品を作る、それをどう手助けするかの体験が行われていた。  そして、講師を務めている金子さんを、ウッチャンに紹介する職員。挨拶を交わす金子さんとウッチャン。  この時、まさか目の前にいる視覚障害者とのつき合いが、長きにわたると、想像することもなかった金子さんだったに違いない。それは、金子さんのサポート役として、その場にいた紅林さん、講習を受けていた神野さんも同様であっただろう。  陶芸教室の進め方、などなど話をするウッチャン。ところが、ここでもウッチャンの悪い性格がでてしまう。  誰と話をしても、一歩引いたものの言い方をしない。思ったことは言葉にしてしまう。それも、話の中心が陶芸となればなおさら。とどまることなく、口を動かす。シッタカブリをしての言いたい放題。  初対面の金子さん、陶芸に関して、それなりの経験と知識を持った視覚障害者だと、その時は思ったらしい。しかし、陶芸体験教室で、言うほどの事はできてないと感じ、陶芸クラブに協力して、実力のなさを実感する。となれば、ウッチャンには、言うまでもなく陶芸クラブでのキビシイ指導が、始まることになる。  だが、ウッチャンにとって、望むべき体験であり、楽しい時間なのです。  そりゃそうでしょう!。とにかく、陶芸を、楽しむことができることにはかわりはないのだ。  クラブとして、活動を始めてみると、以外と陶芸に、興味がある人が多く、常時5~6人の参加がある。 体験教室とは違い、作るだけ作って、後はお任せとはいかない。手直しや仕上げの状態まで、自分でやらなければならない。ボランティアの力を借りてのことだが、最低2回は参加しないと、作り上げることはできない。  一つ作るために、それなりに時間と手間をかける。だから、人の手をかりたとしても、自分の力で作ったと思える満足感があるし、できあがった時の喜びがひとしおなのだ。  活動日の午後1時頃になると、一人また一人と、工作工房に集まってくる。作業の準備をしてもらう、なれた者は、準備を手伝いながらの世間話。和気藹々の中、作品づくりが始まる。  「ここは、こうするとこうなるから、こうゆうふうに《「まずは、これをこうしてから、こうすると・・《。などなど、アドバイスの声が聞こえてくる。  ウッチャンは、と言うと、夢中になっているから、静かなもんです。しかし、「それじゃだめでしょう《、「アッ、何やってんの《などなど、作業を止めるひと言が、金子さんや神野さんから入る。 「できるから・・《「知っていると言うから、だまってみてたのに、これじゃぁ《と、半ばあきれながらぼやく  それに対して、「ど忘れしちゃって・・《とか言って、ごまかすのだが、少しずつばれていくウッチャンの正体。  「一番の経験者が、コレジャー・・《と、ツッコまれるようになる。もう、ボケることもできずに、「すいません《と、言うしかない。  すると、「ウッチャンが、すなおに謝るとこみれた《と、だれかのひと言。これには、全員大爆笑。  この程度はまだまし、活動を始めて、1年半ほどたった頃。電動ろくろがあるのを知ったウッチャン。よせばいいのに、電動ろくろに挑戦したのです。  一回しか経験がないのに、大口をたたく。観光客相手に、作られた電動ろくろと、すべて一から始める電動ろくろとの違いを知らずにいた。  となると、ろくろを前に、金子さんの説明に、「エッ、ナニソレ《と思う言葉が、次から次へとでてくる。 こうなると、指導してくれる金子さんのひと言ひと言に、返せる言葉は、「ハイ《しかない。  そんな中、「聞いた、ハイだって《、「聞いた聞いた、ウッチャンがハイだもんね《、「そうそう、すなおに返事してんの《 「だよね、ウッチャンのハイを、きけるなんてここだけかもね《、「うん、それだけでも、陶芸しててよかったと、思っちゃった、ハハハ《 と、参加者たちが、笑いをこらえながら会話をしている。  それに、ムッとしたウッチャン、「なんか、楽しそうだねぇ《とひと言。すると、誰かが、「ウン、楽しい《と返した。 これに、あのなぁ・・《と言葉をつづけようとした時、金子さんが、「ウッチャン、人のことはいいから、集中して《の言葉に、思わず「ハイ《と返事をするウッチャン。  これに、「オッ、今のが、一番いい(ハイ)だな《と一声。これには、指導している金子さん、がまんできずに大笑い。もちろん、周りで笑っていないのは、ウッチャンだけ。  この時の経験から、多少はおとなしくなったウッチャン。  ちなみにその後、金子さんから、電動やってみる?《と言われて、「アッ、今日はやめときます《と言って、電動ろくろには、手を出さなくなったのでした。 しかし、ウッチャンは、あきらめてませんよ。ここんとこは、しっかり書いておかないとね。  さて、月一回の活動で、満足できないウッチャン。時間を作っては、ラポールへ通うようになる。紅林さんや神野さんが居ると言う安心感もあってか、十日に一回が、一週間に一回、二回と増えていったのです。  クラブのメンバーより、粘土にふれる機会が多くなったんだから、それなりの実力がつくはずなのだが、なぜか身に付かない。神野さんに、「他の人より、陶芸やってんのに、なんで身に付かないのかねぇ《と、ツッコまれる始末なのである。  しかし、いつまでもやられっぱなしのウッチャンではない。「おれの陶芸は、技術が身に付けばいいと言うレベルでは、おさまらない芸術なのだ。ナハハハ《  これに、「おさまらない芸術ねぇわかるように教えてくれる《と神野さん。「そう、ピカソ的感性が必要だから、説明してもムリだと思う《と、ウッチャン。そして、話のオチは、「そうそう、感性だけでなくて、頭の中もピカソ的じゃないとだめかな!《と続けた。 これを聞いた神野さん、しばらく笑いが、止まらなくなってしまったのです。  神野さんの笑い声を聞きながら、(ヤッター)と、何かに、勝ったような気分になっているウッチャン。やはり、頭の中もピカソ的な人間を、理解するのは難しいかもしれない。  さて、随分長くなった陶芸の話となりましたが、ここからが、ウッチャンの落書きならではの話です。  陶芸は、形を作ると言う作業だけではないのです。作品を完成させるために、最後の最後にやらなければならない事。 それは、(ゆかけ)とか(うわぐすりを、ぬる)と言われている作業。つまり、色づけなのです。やることは簡単、塗料のような液体が、入っているバケツの中につけ込むだけ。  どんな色に、染めたいのか、染めるのか。それを考え、染めなければ完成しない。しかし、視覚障害者にとって、ふれることのできない色の世界。形のない世界をどう理解するか。(見えないから、わからない)と言う、思いとの戦いである。  色彩感覚を、得ることが、できなかった人もいれば、その感覚を、記憶できた人もいる。ウッチャンは、後者の方になる人間だが、思い出せるのは、単純な色だけなのである。  世の中の進歩は、生活を大きく変化させるだけではなく、文化を変えるような新しい感性を生み出している。言葉も例外ではない。進歩によって、生まれた新しい色、その色を、表現する新しい言葉。ウッチャンには、見たことのない色が、世間にたくさんあるのだ。  新しい言葉が、生まれる度に、失われていく言葉。単純に、日本語で教えてくれればわかる色も、英語だったり、意味上明なカタカナ言葉で表現したりする。  スカイブルーや、マリンブルーはまだわかる。トルコブルー? いったいどんな青なんだ。 オフホワイト?白は白だろう、他にどんな白があるんだよ。 アイボリー、モスグリーン、ダークグリーン、頭の中はハテナマーク。ピンクシルバー?どっちか一つにならないもんかなぁ。ショッキングピンク?びっくりする桃色って、どんな桃色なんですか。  色の吊前が、思い浮かばず、「赤に近い茶色《。それじゃぁ、「茶色に近い、赤ってのは、何色?《。「黒と言うか、見た目は、濃い紺色なんです《「どっちか、ハッキリさせい《。  ウッチャンの残された色彩感覚では、理解上能、チンプンカンプン。そこで、思いついたのが、自分なりの色の世界を作ること。  眼の前にある色が、何色か、その色の吊称を言われてもわからない。では世間は、その色をどうイメージしているのか。表現する言葉は、(明るい)(暗い)(ハデ)(じみ)。 他にもたくさんある。何色か、認識できなくても、その色を、好きなようにイメージするのは、本人の自由、白を黒と、認識してしまうのは問題だが、黒をどうイメージするかは、それぞれの感性に、ゆだねられていいはず。  信号の赤を、危険な色と感じ、リンゴやイチゴの赤を、おいしい色と感じ、血の赤を、痛い色と感じる。これを、へりくつと、思うか、ウッチャンのごたくと捕らえるか。好きなように感じればいい。そう、(好きなように・・)なのです。  だが、そう思ってしまったのが、ウッチャン、こうなると、かかわってしまった人たちがたいへん、いい迷惑なのだ。なにせ、どんな色かわからないのは、自分が視覚障害者だからではなく、その色を、イメージできるように、説明できないからだと、思っているのだ。  どんなに、一生懸命説明してくれても、イメージできない。そんな時も、自分の感性がとぼしいのではなく、(なんだよなぁ、もっと感性を豊かにしてものを見ろよな。せっかく、みえんだからよぉ)と、相手のせいにする。  この自分勝手な考えのもと、ウッチャンにしか理解できない、色の世界を作っているのです。  ある日の朝、午前9時30分頃。ふだんとは違い、工作工房の入り口には、10数人の人だかりができていた。この日は、数ヶ月に一回おこなわれる(ゆかけ)の日なのである。  入り口が開けられ、準備が始まる。テーブルの上は、たくさんの作品が並べられ、床には、所せましと、バケツが置かれていく。バケツの中には、色づけのための塗料が入っている。 思い思いの色に染める作業が始まる。そのままつけ込む人もいれば、筆を使って、模様や、絵を描く人もいる。  そんな中に、神野さんや紅林さん、顔なじみになった人達に、囲まれているウッチャンの姿があった。ウッチャンの前には、自分の作った物が三つ。これを、どんな色で染めるかを決めていたのです。  一番悩むはずのウッチャンは、ニコニコ顔。その逆に周りは、何かの答を見つけようと考え込んでしまっていた。数分前までは、なごやかに会話をしていた。ところが、ウッチャンの、「白とか、黒とか、単純なのはわかるけど、いろんなのが、混じった色は、わかんないよ、おれにわかるようにって言うか、イメージできる説明してくんないかな。何かにたとえるとか、なんかあるでしょう。《  この言葉に、みんな悩みの世界に、入ってしまったのである。  どんな答えが返ってくるか、楽しみでしょうがないウッチャン、顔もほころぶってもんです。まぁ、おもしろい表現がイッパイ。  ここだけの話、色がイメージできなくても、オモシロイ !オモシロイ!。笑うのが先で、色のことなど忘れてしまうこともあるのです。  残念ながら陶芸クラブのメンバーは、この作業に参加できた人はいない。この作業は、ラポールのスケジュールに会わせないといけないのです。そして、どうしても平日に行われることになっていて、クラブのメンバーは、体験できずにいるのです。こればかりは、ウッチャンもどうすることもできないのです。 色づけした後の釜入れが、たいへんな作業だと知っているだけに、無理は言えないのである。  陶芸の中で、一番単純な作業だが、一番最後のワクワクできる瞬間でもある。クラブのメンバーに、一人でも多く体験してもらえたらと、願っているウッチャンなのである。  自分の感性を、陶芸の世界で表現している、視覚障害者のプロの陶芸家がいると言う話を聞いたことがあります。 それにくらべて、ウッチャンは、三流陶芸家。ましてや、アマチュア、完成した作品の評価など気にしない。完成させるまでの時間を、楽しむのが先なのである。 ウーン、おもいきり負け惜しみのひと言。  失ってはいない、眠っているだけの感性を、呼び起こすために、心のアンテナをひろげてみると、何やら、心にやさしい電波が届くはず。その電波の発信元へと尋ねていけば・・・。  ハテハテ?何が待っているんでしょう。この後は、それぞれの感性にゆだねます。 (19ページ) ●特別寄稿                                  今回からアメリカレポートのレポーターが代わります。仲泊先生の留学が12月までで終り帰国されるからです。(だけど、3月まで延長との話も聞こえてきていますので、2月号には最後のレポートを期待しましょう)  新人レポーターは田口朋子さんです。一昨年の本部定期総会のシンポジュウムで視能訓練士の立場からスピーカーを務めていただきましたので覚えている人も多いでしょう。  田口さんは、東京女子大学現代文化学部コミュニケーション学科を1999年に卒業、その後、国立小児病院付属視能訓練学院を2000年に卒業、昭和大学病院付属東病院眼科に視能訓練士として一年間勤務の後、仲泊先生のもとで神奈川リハビリテーション病院眼科に今年8月まで勤務されていました。  9月から2年間の武者修行のため渡米しました。これからのレポートに、「乞うご期待《です。「ファンレター《は会報誌に掲載しますので、どしどしお寄せ下さい。 ●田口さん のアメリカレポート        JRPS神奈川支部の皆様、初めまして。今回、JRPSの会報に私のアメリカでの学生生活についてのレポートを書かせて頂くこととなり、時差14時間のワシントンDCで宿題に追われながらこのレポートを書いています。  私が日本を発ってから、早くも3ヶ月以上が経ち、選挙戦も無事に終わり、ジングルベルがそろそろ聞こえてきそうな季節になってしまいました。アメリカへ来る直前まで、私は神奈川リハビリテーション病院の眼科で視能訓練士として主にロービジョンケアに取り組んでいたのですが、9月からは、ワシントンDCにある大学で大学院生としてリハビリテーションカウンセリングを勉強しています。  さて、ここできっと「一体、リハビリテーションカウンセリングってなんだ?《という疑問を皆さんお持ちでしょうから、少しリハビリテーションカウンセラーという職業について説明しておきます。簡単に言うと、リハビリテーションカウンセラーとは、障害がもたらす様々な問題(私的な、社会的な、それから職業に関わる問題)についてカウンセリング、アセスメントを行い、障害者の社会的な自立をサポートする人のことです。といってもピンとこないかもしれませんが、仕事の内容としては、カウンセリングやアセスメントを通して、障害者一人一人の自立生活へのプランニングを行い実行するのが主な内容です。日本の状況に例えるならば、カウンセラーと、ソーシャルワーカー、ケースワーカーを合わせて、それに職業カウンセラーという職種を合わせた感じでしょうか。アメリカの障害者雇用制度は日本とは全く異なるので、単純に比較することは全く出来ないのですが、ここでは、障害者の職業リハビリテーションが盛んに行われていると思います(自分が勉強しているからさらにそう感じるのかもしれないのですが・・・)。大きな理由はもちろん、経済的に障害者が日本のように保護されていないというところにあると思うのですが、それでも、社会の中で、地域の中で障害を持っていない人と同じようにいきていくことの重要性や、その為のサポート体制には学ぶ所が多いです。新しいことを学ぶのはとっても大変なのですが、それでもやりたいことを勉強することができるのはとても幸せだと思います。これでお金があったらもっとうれしいのですが・・・  では、なぜ私が視能訓練士という仕事を辞めて、こんな遠くまでそんな学問を学びに来てしまったのかといいますと、神奈川リハビリテーション病院のロービジョン外来で多くの人に出会う中で、患者さん(ロービジョンだけに関わらず、どんな障害であっても)の抱えている問題が、眼科的な問題だけではなくて、それ以外の問題の方が大きなウェイトを占めているのでは、と思い出し、一人の人間として眼科的な問題以外の問題をもサポートできる人になりたい、と思ったからです。それは、日本のソーシャルワーカーでも、カウンセラーでもなくて、私がやりたいことは、リハビリテーションカウンセラーという職業だと思ったのです。そんなわけで、日本にすべてをおいてきて、こんなところまできてしまったのでした。ははは・・・  さて、そんなわけで、最初のFall Semesterもあと1ヶ月で終わってしまう!のですが(本当に無事にクリスマスが迎えられるのかしら?)、あと1ヶ月の間に、インターンシップをしながら、恐ろしい数のペーパーと、それからプレゼンテーションと、最後のファイナルエグザムが待っているので、そろそろ私の現実に戻って勉強することにします。ふぃ~、アメリカでの学生生活は大変です。  とりとめのないレポートになってしまいましたが、この辺で。                                        田口 朋子 (裏表紙)  1971年8月 7日 第三種郵便物認可(毎月6回 1の日・6の日発行)  2004年11月13日発行 増刊通巻5034号 【編集後記】  10月23日、仕事から帰って地震のことを知った。いや、職場で、ゆらゆらと随分長く揺れる気持ち悪い地震に、みんなで「まだ揺れてるぅ《などと話していた。テレビのニュースで新潟と知った。すぐに実家に電話をかけたが通じない。携帯もダメ。何度も何度もかけてやっと通じた。佐渡は震度4、親父は何も落ちなかったが、家が土台からずれるのではないかと感じたそうだ。  小3の時新潟地震があった。丁度当番で日誌を書いていた私は、窓の外の池の水がポッチャン、ポッチャンしていたのをはっきり覚えている。  一刻も早く全ての方が安心して休める住宅に入り、復興が進むことを願ってやみません。                                      佐々木     ◆神奈川支部の連絡先        支部長   大窪 融   **********        副支部長 内田 知   **********        女性部長  山内 則子 ********** 発行人   身体障害者団体定期刊行物協会   東京都世田谷区砧6-26-21 編集   JRPS神奈川支部会報編集部   佐々木 裕二   〒256-0812小田原市国府津**********   TEL/FAX **********   E-mail: **********                              定価 200円 (終わり)