●医療講演会ハイライト その3

役員・田中 和之

 昨年6月に行われた池田康博先生の講演ハイライトをお届けします。「網膜色素変性に対する新しい治療法開発」と題した講演の中から、新しい治療法についてのお話をまとめました。(文責・編集部)

■新しい治療法――
 九州大学病院眼科・池田康博(いけだやすひろ)先生

 現在使えるお薬と合併症の治療についてお話しましたが、ここからは新しい治療法についてご紹介したいと思います。
 網膜色素変性は、治療法が今のところなく、世界中でこの病気を治そう、あるいは少しでも見えるようにしようと多くの研究がなされています。その中で近未来での応用が可能だと考えられているものに、人工網膜、網膜移植、網膜再生、遺伝子治療の4つがあります。

 まず人工網膜は、機械を使って電気信号を脳に送るというのがコンセプトです。通常、眼球に光が入ってくると、視細胞が光を感じて電気信号をだし、それが頭まで伝わります。網膜色素変性では視細胞がなくなり、光が入っても電気信号をだすことができません。そこで、代わりに眼の中にチップと呼ばれる、薄い平べったい機械を装着し、その中から電気の信号をだして頭に伝える仕組みです。
 人工網膜は、アメリカやドイツを中心に長い間研究されてきましたが、日本でも大阪大学の不二門先生のグループが積極的に取り組んでいます。2006年2月、まったく光がわからない色素変性の患者さんにこのチップを移植して、実際に電気信号を流して光の点が見えたと報告されました。現在はそのチップの性能を上げる試みがされています。
 この人工網膜ですが、欧米ではすでに見えなくなった方に対して臨床試験が数多く行われています。しかもヨーロッパでは人工網膜のチップが2011年ごろから市販されているようです。日本でも臨床試験がスタートします。ただ残念なことに解像度はチップの性能によるため、今の段階で一番いい視力でも0.1ぐらいで、かつ光の点の有無が分かるくらいです。良好な視力もしくは色を識別するにはまだまだ大きな技術的進歩が必要だと言われています。

 網膜移植は、日本では倫理的に難しい方法ですが、アメリカでは比較的積極的に行われています。10〜15週の胎児の網膜、つまり中絶をした胎児から網膜をとり、たくさん集めてそのシートを作り、それを眼の網膜の下に植えるという臨床研究です。
 移植でまず問題になるのは拒絶反応です。我々の体は病原菌が入ってきた場合、免疫が働きそれを排除しようとしますが、網膜はその免疫応答が起こりにくい場所です。なお、かつ胎児というまだ個体になりきっていない状況の細胞を入れるので、拒絶反応が起こらなかったと報告されています。しかも、なんと10名中7名で視力が改善したと報告されています。特に網膜色素変性の患者さん1名の方では0.03だった視力が0.1に改善し、そして網膜の感度も約20%上昇しています。

 次に、最近話題になっている網膜再生です。これは、幹細胞を使って新たに網膜の細胞を作り出すものです。幹細胞は、非常に未熟な細胞で、いろいろな細胞に変化することができる能力を持っています。幹細胞には、胚性幹細胞(ES細胞)と、山中先生がノーベル賞をとられました人工多能性幹細胞(iPS細胞)があり、この2つをソースとして新しく網膜の細胞を作ろうという試みです。
 まずES細胞ですが、受精卵の中にある細胞を取り出してフラスコの中で育てると幹細胞がでてきて、その細胞をある環境に置いてやると、網膜の細胞に変わっていきます。アメリカではES細胞から網膜色素上皮細胞(視細胞ではなくて視細胞の外側にいる網膜をまもるために大事な細胞です)を作り、網膜の下に植え付ける、世界で始めての臨床応用がなされています。2例しか行われていませんが、移植後の視力が0.01より悪い手動弁から0.05に改善しています。これも先程の網膜移植と同様で、正常な元気な細胞を眼の中に入れることにより、視機能が少し改善するのが証明された報告になるかと思います。

 日本でいま力が入っているのがiPS細胞です。これは、すでに役割の決まった細胞に4つの遺伝子を入れることで、初期化すなわち未熟な細胞に戻す技術です。このiPS細胞はES細胞と同じように、いろいろな環境に置いてやると、特定の細胞に変わっていくという特徴があります。例えば、軟骨の細胞や神経の細胞、筋肉、心臓、肝臓などを作ることが可能です。もちろん眼の中の細胞、網膜色素上皮細胞や視細胞も作ることができるようになっています。
 日本では高橋政代先生のグループが中心になってやっておりますが、このiPS細胞には大きなメリットがあります。受精卵から作るES細胞は倫理的に日本ではかなりハードルが高く、ES細胞を使った治療はおそらくできないだろうと言われていました。ところが受精卵を使わずに自分の細胞からiPS細胞を作ることができるため、倫理的な問題をクリアーできます。さらに自分の細胞をベースに作りますから、拒絶反応が起こりにくい。非常に臨床応用に適した細胞であることから、現在非常に期待され、莫大な研究費が投じられています。
 平成21年に文部科学省がだした「iPS細胞研究のロードマップ」の中では、網膜色素上皮細胞の移植に関しては人への臨床応用は5年以内に行うとしています。すでに網膜色素上皮細胞のシートを作ることは技術的に確立されており、安全性に関してもほぼ大丈夫だろうと言うことが分かっています。ただ網膜色素上皮細胞の移植は網膜色素変性の方ではなく、加齢黄班変性の方にまずは使われるようになります。
 視細胞は色素変性の方に応用されるものですが、ロードマップでは人への臨床応用は7年以内となっています。平成28年くらいまでには行いたいと、高橋政代先生のお話を聞きますと、色素上皮細胞の後3〜5年くらいしてから色素変性の方にトライしたいと準備を進めているそうです。

 もう一つ、あと少しで皆さんのところにお届けできる方法が、我々のやっている遺伝子治療です。
(この後、会報68号に掲載した「九州大学眼科が取り組む遺伝子治療」に続きます。講演ハイライトは今号で最終回となります)